家の中に響くインターホンに「はーい」と返事をしながら出ると、カメラに映った姿に昼間から夢を見ているんじゃないかと思った。
『こんにちは。さんはいらっしゃいますか?』
「た、たた――」
『あれ? 聞こえてる?』
「辰己くん!?」
何故辰己くんが私の家の前に?という疑問で頭の中を埋め尽くされながら、玄関までバタバタと大きな音を立てながら駆けていく。
慌ててサンダルを足に突っ込んだせいで、つっかかりそうになってしまった。すんでのところで堪えて、その前のめりの姿勢のまま玄関のドアを開けると、目の前に辰己くんの顔があった。
腰を屈めているはずなのに、辰己くんの顔がここにあるのはおかしい。何より辰己くんにとてもよく似ているけれども顔付きが幼い。いくら辰己くんでもここまで小顔ではなかった気がする。
そう思ってまじまじと顔を見ていると、彼も丸い目をパチパチと瞬きさせる。
「やぁ」
やっぱり辰己くんの声がするじゃないかと納得しかけたところで、その声が目の前の彼からではなく、私の頭上から聞こえてきたことに気が付いた。
「突然押しかけてしまって悪いね。でもが家にいてくれて助かったよ。俺ひとりだとどうしようもなくて」
体を起こすとそこには見慣れた辰己くんの顔があった。前に立たせた男の子の肩に手を置いていて、にっこりと綺麗な笑顔を作っている。
どうして辰己くんがうちに?とか、どうしようもないことって何?とかいう疑問で頭の中がどんどん埋め尽くされていたけれど、それよりも彼が知らない男の子を連れていることの方が気になった。
「あの、辰己くん? この男の子は……?」
「ああ、紹介が遅れてしまったね。彼は小さい頃の俺だよ」
このときほど辰己くんの言っている意味が分からなかったことはない。
*
「あの、これ私が小さい頃好きだった絵本とぬいぐるみなんだけど、良かったら遊んで?」
私がそう言うと彼はしばらくの間私の手にあるそれらをじっと見たあとに、「うん」と小さく返事をして受け取った。部屋に置きっ放しで見慣れたはずの絵本もぬいぐるみも、彼が持つと大きく見える。
男の子が遊ぶようなおもちゃが見つからなかったのだけれど、彼がそのふたつをとりあえず受け取ってくれたので安心した。
「朝起きたらベッドの端にこの子が丸くなって眠っていてね。彼にも毛布を分けてあげてからもう一度寝たんだけど」
「よく二度寝出来たね……」
「夢かと思ったんだ」
そう言って辰己くんがティーカップに入った紅茶を一口飲む。うちにある一番上等なお客様用のカップを出してきたのだけれど、中身は私が普段飲んでいるティーバッグのものだ。事前に分かっていればきちんとした茶葉を用意したのにと悔やまれた。そんな私の気持ちなどには気付かないかのように辰己くんはカップをソーサーに戻すと、いつものようににこにこと微笑んで私の方を見る。
「本当にこの子は小さい頃の辰己くんなの?」
「本人が辰己琉唯って名乗ったし、実家のアルバムにある幼い頃の俺の写真と瓜二つだしね。間違いないと思うよ」
私は辰己くんの小さな頃の写真を見たことがないのでどれほど似ているのかは分からないけれど、本人がそういうからにはきっとそうなのだろう。
ありえない現象だけれども、それでも信じてしまえるほど彼らの顔はよく似ていたのだ。辰己くんが嘘を吐いているとも思えない。
「とりあえず彼が帰れるようになるまで面倒を見ることになったんだけど、困ってたんだ。自分自身とどんな会話をしたらいいのか分からないしね」
そう言って辰己くんが彼の方をちらりと見やる。辰己くんが困ったときに私を頼ってくれたというのが何だかむずむずとした。役に立ちたいと、そう思う。
「えっと……琉唯くん?」
「何?」
「辰己くんの方じゃなくて!」
私が呼びかけたのは小さい方の辰己くんだと分かっているくせに、彼がわざと返事する。そのせいで辰己くんのことを名前で呼んでしまったかのように思えて顔がじわりと熱くなる。辰己くんのからかうような視線から逃れるように、もう一度「琉唯くん」と彼に向かって呼びかける。
「絵本楽しい? クッキーとかあるけど食べる?」
彼は、私から人ひとり分のほどの絶妙なスペースを空けて大人しく絵本を読んでいた。夢中になっているのか、私の方に半分背を向けたまま返事がない。表情を確かめようと顔を覗き込めば、彼は逃げるようにくるりと反対を向いてしまった。
「もしかして嫌われちゃった……?」
タイミングが悪かっただけかもと思い直して、再びほんの少し近づくと彼はまたくるりと反対側へ体を向けた。
これは本当に嫌われてしまったのかもしれないと慌てて離れて、元の位置に座り直す。これ以上嫌われてしまってはきっと立ち直れなくなる。
「私何かしちゃったかな!?」
「うーん、多分照れてるんじゃないかな?」
「照れ? 辰己くんでもやっぱり小さい頃は照れたりするの?」
「俺は今でも普通に照れたりするよ?」
辰己くんはそう言うけれども、やっぱり辰己くんが顔を真っ赤にして照れているところなんて想像もつかなかった。
「あと、きみが小さい頃の宝物を自分に貸してくれたのも嬉しかったんじゃないかな」
「そうなの? 辰己くんよく分かるね」
「自分のことだからね」
そう言って辰己くんが微笑む。彼に嫌われていないのならば嬉しいけれども、楽観視は出来ない。彼のために入れたココアもまだテーブルの上に置かれたまま減っていないのだ。
どうしたら彼と仲良くなれるだろうかと真剣に考えていると不意に顔に影が落ちてきた。視線を上げるとさっきまでこちらに背を向けていたはずの彼がすぐ目の前に立っていた。
「琉唯くん?」
彼の突然の行動に驚いている間に彼はくるりとこちらにおしりを向けて、そのまま私の膝の上に腰を落とした。まるで抱っこしているような状態になってしまった――というより抱っこそのものだった。
「えっ、えっ!?」
「ほら、ね?」
頭を撫でたりしてみたかったけれど、そうして良いのか分からずに、中途半端に上げた腕を持て余してしまう。すると彼がぐーっと後ろに倒れてきた。危ないと思ってとっさに抱きとめる。腕の中に収まった彼は想像していたよりもあたたかく、やわらかかった。
ちらりと振り返った彼の綺麗な色の瞳がこちらを見る。しかし、その丸い目が私を捉えたかと思うとすぐに前を向いて隠されてしまう。
「俺の言った通りだろう?」
同じ色の瞳がひどく満足そうに細められた。
2019.02.13