「申渡くん遅いね……」

辰己くんと並んで床に座りながらも、私は何だか落ち着かなくてそわそわと何度も座り直していた。

「資料を見つけるのに手間取ってるのかな? 私たちも一緒に行けば良かったかな……」
「案外、途中で知り合いに会って立ち話しているだけかもよ?」

落ち着きのない私と違って、辰己くんは冷静だ。確かに、まだ申渡くんが出ていってから十五分くらいしか経っていない。資料室への往復を考えるとそれほど遅いとは言えなかった。

けれども、すでに私にとっては十分すぎるほど長かったのだ。天気の話はもうとっくにしてしまったし、私が今朝出会った猫の話もしてしまった。

こういうときに使える一発芸をひとつでも持っていたら良かったのに。

「探しに行った方がいいかな?」

私は出来るだけ芯のある、けれどもやわらかさを持った声を意識して、そのあとの言葉を付け足した。

「ね、栄吾」

私が続けたそれに、辰己くんが目を丸くさせ、ぱちりとひとつ瞬きをする。その瞬間、私はすぐに自分が何をしてしまったのかを理解して後悔した。

「今の、なに?」
「た、辰己くんのモノマネ……」

何か芸でもして間を持たせられたらと思ったからといって、本人の目の前でモノマネを披露するなんて、一体どういう図太い神経をしているのだ。プロのモノマネ芸人だって、御本人登場には恐れ多く思うというのに。ひやりと背筋に嫌な汗が流れる。

もしかしなくても気分を悪くさせてしまったのではないかと、慌てて口を『ごめん』の形に開いたところで、辰己くんの手のひらがこちらへ突き出される。

それにぴたりと動きを止めると、辰己くんが口元を押さえたまま顔を背ける。

「ふ、ふふ……」

その口元から漏れる声が笑い声だと気が付いたのは、少し遅れてからだった。

「あはは、俺のモノマネ?」

体を折り曲げて笑う辰己くんは堪えられないとでも言うように、片手で自分の顔を覆う。

辰己くんがそんな風に笑うところを見たことがなくて、今度は私が目を丸くさせる番だった。絶えず聞こえる笑い声がなければ、具合が悪くなったのではないかと勘違いしてしまいそうだった。

そのうち辰己くんが本当にげほげほ言い出したので、私はぎょっとして彼の背中をさすった。

「ちょっと変なとこ入った」
「大丈夫!?」
「だいじょうぶ……」

そう言って辰己くんが目元を拭いながら顔を上げる。そんなに泣くほどのものではなかったと思うのだけれど、彼の口からはまだ「ふふ」という笑い声が漏れている。

「妙に似てるからおかしくて」
「……全然似てなかったとおもうよ」
「そうかな? 声のトーンとか結構似てたと思うけど」

もう自分がどんな風にやったのか思い出せないけれど、言うほど似ていなかったと思う。少なくとも本人を目の前にしてやるレベルではなかったことは確かだ。

「それとも、他人からは俺の声があんな風に聞こえているのかな?」
「そんなことないよ。辰己くんの声はもっと」
「もっと?」

そう言って辰己くんが期待を込めた瞳でこちらを覗き込むものだから、私はその先の言葉はどこかへ飛んでいってしまった。

「……もっと低い」
「男だしね」

どうしようもない私の答えに辰己くんも軽く答える。

「ね、

彼の聞き慣れた声のトーン。けれども、最後の部分だけは初めて聞いた。聞き間違えでなければ、辰己くんは今。

「今のは……?」
「俺のモノマネ?」

そう言って辰己くんが首を傾ける。私のくだらないモノマネに辰己くんが笑ってくれたことも驚きだったのに、さらにはそれに乗ってくるなんて、まったくの予想外だった。

「アレンジを加えてみたんだけど、どう?……なんて、自分のマネにアレンジも何もないか。ふふ」

彼の目がいつものようにやわらかく細められる。

私の脳みそはもうとっくに機能を停止していて、彼の言葉にまともな返事ひとつ返せなくなってしまった。

「ねえ、、俺は栄吾じゃないよ?」
「えっと……」

いつもと違う呼び方に、心臓がひどく跳ねる。

辰己くんが言いたいことは何となく分かったけれども、それに応えることは今日一番の難題のように思えた。

2018.10.28