「ああ、、いいところに」

チーム柊の皆が待っているはずの部屋に入ると、そこには辰己くんの姿しかなかった。床に座り込んでいた彼は私の姿を認めると立ち上がって迎えた。

「ちょっとした事故があってね」

部屋の床には様々な色の絵の具が派手に飛び散っていて、ひどい有様だ。どうやら公演のポスターを作っていたようなのだけれど、何をどうしたらこんなに絵の具が飛び散るのだろう。まるで小さな子どもが絵の具でいたずらした後のようだ。まさか、と思い辰己くんの顔を見ると、彼はいつものようににこにこと楽しそうな笑顔を見せるばかりだった。

「他の皆は?」
「服が汚れたから洗いに行ったり、掃除道具を取りに行ってくれてるよ」

床の惨状の割に辰己くんは運良く汚れなかったようだ。辰己くんは珍しくパーカーもブレザーも着ていなくて制服のシャツ一枚だったけれど、ぱっと見その白いシャツに絵の具は付いていなかった。絵の具汚れは落ちにくいし、辰己くんだけでも無事で良かったと安堵の息を吐くと辰己くんが「ねえ」と私の視線を自分に戻すように呼びかける。

「手のひらに絵の具がべったり付いちゃったんだ。悪いんだけど、ちょっと袖を捲ってくれる?」

そう言って辰己くんがこちらへ向けて見せた手のひらは彼の言う通りべったりと鮮やかな水色の絵の具で染まっていた。手のひらだけである分マシなのだろうか。

「いいよ」と答えて、差し出された彼の右腕を取る。

ひとつ、ふたつ折るたびに彼の手首から腕が順にあらわになっていく――。その白い彼の腕に自分の指先が触れると何だかいけないことをしている気分になって、触れてしまった箇所がぴりとしびれるような感覚がする。ドキドキと自分の心臓が鳴る音が聞こえるようだった。辰己くんは袖を捲る私の動きをじっと黙ったまま見ているものだから、それがさらに私の緊張を倍増させた。

右手の袖を肘近くまで捲り上げると、今度は左手が差し出される。途中で落ちてこないように丁寧に折り込んでいく。なるべく意識しないようにすればするほど、指先が震えてしまいそうになる。ただ友達の服の袖を捲くるだけなのに、一体何を緊張しているのだろう。



名前を呼ばれて「なに」と顔を上げると、手の甲をぎゅっと握られた。思わずひゅっと息を飲んでしまった。辰己くんの瞳がじっとこちらを見つめている。

捲ったシャツの袖から伸びる白い手首。彼の手が触れるぬるい温度にぐらりと目眩がしそうになる。

もう一度力を込められた手にずるりと滑る感覚がして、そこでやっと彼の手のひらが今どんな状態だったかを思い出した。

「ちょっと、辰己くん!」

私の声に辰己くんがパッと手を離す。触れられた箇所に水色の絵の具ではっきりと彼の手形がついていた。

「はは、バレちゃった?」

辰己くんがまるで子どものように笑う。まるで、というよりこれではまるっきりいたずらっ子そのものだ。

「一緒に洗いに行こうか」

そう言って彼が今度はもう片方の手を握って引くものだから、そちらもきっと絵の具の色が鮮やかについてしまっただろう。

2018.05.10