もしかしたら、私は辰己くんに嫌われてしまったのかもしれない。

少し前までは辰己くんとの距離が縮まって仲良くなれたと思っていたところだったからショックが大きかった。

「……辰己くん、もしかして何か怒ってる? もし私が何かしてしまったならごめんね」

この言葉を口にするまで沢山の勇気が必要だった。それでも窓際に立つ彼の顔を見て言うことは出来なかった。私の勘違いで何もなければそれでいい。けれども何をしたのか分かっていないくせに謝るなんて、余計に怒らせてしまうかもしれない。謝っても許してくれなかったらどうしようだとか、もう嫌いだとか言われてしまったらどうしようだとか、この一言を口にすることでそれが決定付けられてしまいそうでひどく怖かった。でも、それでも辰己くんに嫌われたままなんて嫌だったから、私には勇気をかき集めて謝るという選択肢以外はなかったのだ。

「俺を避けてるのはの方だろう?」

意を決して謝ったのだけれど、彼から返ってきたのは珍しく困ったような声だった。あまり見慣れない辰己くんのその表情と、予想外の言葉に私は何と返事をしていいものか分からなくなってしまった。

「俺に対してだけ他と態度が違うし」

彼のその言葉にドキリとする。気付かれないように、自然に話せるようにいつも意識していたのに。気まずさについ視線を下げると、辰己くんの制服に窓から白く差し込む光がラインを作っているのが見えた。

「この間お茶に誘ったら他の皆も一緒にって誘ってしまうし」

私としてはそのとき当然チーム柊の皆も一緒だと思ったから声を掛けたのだけれど、辰己くんにとってはそうではなかったらしい。もしかして私だけに言わなくてはならない話があったのかもしれない。そうでなければ私がそうだったらいいなと思っていたように、辰己くんもふたりきりになりたかった、とか――

「俺はふたりきりが良かったんだけどな」

都合良く考えた通りの言葉を辰己くんが口にするものだから、本当に私の考えが読まれてしまっているのではないかと心配になる。

「この間勝手に頭を撫でてしまったから、それで怒ったかと思って。その日はそのあと、俺と口を利いてくれなかっただろう?」

確かにこの前辰己くんに頭を撫でられた。今までそんな風に触れられたことがなかったものだからひどく驚いたことは鮮明に覚えている。しかし、そのあとの記憶は曖昧だった。言われてみれば、その日そのあとは辰己くんと上手く喋れなかったかもしれない。それどころか顔を見るのさえ恥ずかしくなってしまって出来なかった気がする。辰己くんに頭を撫でられたことでいっぱいいっぱいになってしまって、自分のその態度が辰己くんにどう思われるかなんてことまで考えることが出来なかった。

「もうこれ以上嫌われないようにしなきゃと思ったんだけど」

まさか辰己くんがこんなことを思っていただなんて。

「ねえ、はもう俺のこと完全に嫌いになってしまった?」

そう言って辰己くんがこちらを覗き込む。その瞳には不安そうな色が浮かんでいる。久しぶりにこんなにも長い時間辰己くんの瞳を見たような気がする。

「ううん。そんなこと、あるわけないよ」

嫌いどころか全く正反対のことを思っているのに。絶対にそんなことはないのだと伝わるように見つめ返すと、「良かった」と彼は表情をゆるめた。

「た、辰己くんもそういうこと思ったりするんだね……」
「そうだよ」

彼は何でもないことのように肯定したけれども、私からしてみれば意外だった。辰己くんは私からどう思われようと気にしないのではないかと思っていた。こういうことを考えているのは私だけなのではないかと。

「今も本当はドキドキしてるのを必死で隠してるんだ」

そう言って辰己くんが私の手を取ったかと思うと、それを自分の胸へ持っていく。私の右手がぺたりと彼の左胸に触れる。

「ほら、ね?」

微笑んでみせる辰己くんの表情はいつもと変わらないように見えたのだけれど、確かに触れた箇所から伝わる心臓の音は普通よりもずっと早く大きいように思えた。

じわりとシャツ越しに辰己くんの体温が伝わってくる。こちらを見つめたまま逸らさない瞳がぐるりと私の脳みそをかき混ぜる。手首を掴んだ彼の手は未だに私を離してくれなくて、ドキドキと鳴っているのがはたして辰己くんのものなのか私のものなのか、分からなくなってしまった。

2017.10.05