部活の後、教室にノートを忘れてしまったことに気が付いた私は人の姿のないひっそりとした廊下をバタバタと音を立てて走っていた。いつもの廊下もひとりきりだと何だか知らない場所に迷い込んでしまったような心地がする。もちろん永久に廊下が続くなんてことはなく、すぐに見慣れた教室にたどり着いた。

ガラリと扉を開けると、目が眩むほどの夕日の中でひとつの影が窓際に佇んでいた。その後ろ姿には見覚えがあった。

「たつみ、くん……?」

私が呼び掛けると彼はこちらを振り返る。一面オレンジ色に染まった教室の中で、彼もその例外ではなかった。制服のシャツも、色素の薄い髪も、白い肌も全部全部窓から差し込むオレンジ色に照らされている。

ひとつの色しかない教室で、振り向いた彼の姿は何だか昔の外国映画のワンシーンのようにも見えた。



彼が私の名前を呼ぶ。それが今私の見ている映像がフィルムの一コマでないことを証明していた。

辰己くんとは同じクラスメイトだけれども、こんな風にふたりきりで話をする機会はそう多いことじゃない。窓から差し込むオレンジ色の非現実さも相まって胸がドキドキと音を立てる。こんなとき何と声を掛けたら良いのだろうと思っているうちに辰己くんが一歩こちらへ寄ってふわりと表情をゆるめた。よく教室で目にする表情だった。

「もうすぐ下校時刻だけど、どうしたの?」
「忘れ物しちゃって……」
「もしかして、これ?」

そう言って辰己くんが一冊のノートを軽く掲げてみせる。辰己くんが立っていた傍がちょうど私の席だった。彼の手にあるノートこそ私がわざわざ取りにきたものだった。彼がそれを軽く振るとそこに書かれた私の名前と『英語』という文字も揺れた。「はい」と言う声とともにそのノートが私の手に乗せられる。

「机の上に忘れるなんて慌てん坊だね」
「部活に行く直前に友達に返されたから。本当に慌ててたみたい」

ホームルームが終わったあと貸した友人と喋りながら受け取ったのもあって、すぐに鞄の中に仕舞わずについ一旦机の上に置いてしまったのだ。そのまま気付かず置きっ放しにしてしまうなんて、一体どれだけ急いでいたのかと我ながら笑ってしまう。普段なら別にわざわざ取りに戻らなくてもいいかと思うのだけれど、今回は運悪く明日の授業で当てられる可能性が高いため宿題をやっておかなければならなかった。

「辰己くんも忘れ物?」
「うーん、忘れ物と言えば忘れ物かな」

辰己くんが私と同じように忘れ物をするとは思えなかったけれど、それ以外にこんな時間に教室にいる理由も思い当たらなかった。きっと私と同じような理由だろうとほぼ確信していたのに、返ってきたのは少々歯切れの悪い言葉だった。

がノートをここに忘れてるのに気付いたから。もしかして取りに来るかもって思ったんだ」

辰己くんがまっすぐこちらを見つめる。私は思ってもみなかった彼の返答に、何度か目を瞬かせてしまった。彼の言葉をすぐには飲み込めなくて、開いた口の中はカラカラに乾いていた。まさか私が原因だったとは。確かに明日は当たるからということを友達に話した。辰己くんがたまたま教室内でそのことを聞いていてもおかしくない。おかしくはないのだけれど。

「こ、こんな堂々と忘れていったら気になるよね! この通り、帰る前に気付いたから大丈夫!」
「うん、思い出してくれて良かった」

表情をゆるめる辰己くんの髪の端が夕日に透けてきらきらしている。辰己くんはいつだってきらきらしているように思えるのだけれど、今日は一層それが強いような気がする。先ほどまでは鋭く差し込んでいたオレンジ色も和らいで、少しずつ遠くから夜の気配を連れてきていた。

「帰ろうか」

そう言って出口へ向かう彼の後ろを「待って」と追いかける。一瞬私の長く伸びる影が彼に重なる。横に並ぶと辰己くんはこちらを向いてまた何だかひどく機嫌の良さそうな笑みを作るものだから、こちらまでへにゃへにゃと口元がゆるんでしまった。

2017.08.18