――俺、朝弱いんだ。

朝いつもより早く起きて制服に着替え、ばっちり支度を整えた私は、スマホを前にベッドの上で正座していた。ディスプレイにはアドレス帳の画面に『辰己琉唯』の文字が映っている。

――朝起こしてくれないかな?

そうお願いする辰己くんの声が頭の中で再生される。どうしてそういう話になったのだったか。多分私の部活の話になって、それで最近朝練の時間に間に合うよう朝起きるのが大変だということを話していたはずだったのに、いつの間にか辰己くんを起こす話になっていた。

いつもちゃんと学校に行けているのだからわざわざ私に頼まなくてもとは言ったのだけれど『電話でいいから』と結局は丸め込まれてしまった。電話で良いも何も綾薙の男子寮で暮らしている辰己くんを直接起こしに行けるわけがないので、電話以外の選択肢はないように思えるのだけれど。朝が弱いと聞く彼をメールやメッセージアプリの通知だけで起こせるとはとてもじゃないけれど思えなかった。

スマホの画面とにらめっこしながら、本当に起こしていいのかな、あれは辰己くんなりのジョークだったのではという思いが頭を過る。そうして通話ボタンを押すのを躊躇っているうちに画面上部に表示されるデジタル時計の数字が切り替わっていく。――その数字に焦って、ついにえいやと発信ボタンを押してしまった。

受話口の向こうから聞こえるコール音がやけに長く感じる。というよりも本当に何度もコール音が鳴っているのになかなか繋がらない。呼び出す回数が増えるのに比例して、私の心臓の音もどんどん大きくなっていくようだった。緊張が限界まできて、もうこれ以上は無理だと、終了ボタンを押そうとしたところで、不意にコール音が途切れた。

「た、辰己くん?」

画面を見ると通話は繋がっているはずなのに、受話口の向こうからは何も声が聞こえてこない。呼び掛けの返事もないので不審に思っているところへ、ごそごそと布の擦れる音がした。

「辰己くん? おはよう」
「ん……」

いつもより幾分低く掠れた声が聞こえてくる。聞き慣れない、けれど確かに辰己くんのものである声にドキリと一際大きく心臓が鳴った。辰己くんもこんな声を出すのかと。

……?」

明らかに今起きたという声で辰己くんが私の名前を呼ぶ。電話の向こうの辰己くんには見えないと分かっているのに前髪を直して姿勢を正してしまう。

「そうだよ。電話掛けてもいいって言うから本当に掛けちゃったんだけど」
「うん……」
「辰己くん? 起きてる?」
「うん……」
「辰己くん、起きてー!」

今にもすぅすぅと寝息を立ててしまいそうな声に思わずマイクに向かって声を張ってしまう。電話を掛けたからにはきちんと辰己くんを起こさなければという使命感に駆られる。私は直接見たことはないのだけれど、チーム柊の皆から辰己くんの眠気は相当頑固なものだと聞く。電話だと直接肩を揺すって起こすなどの手段が取れないから思った以上にこれは大変なことなのではないかと今さらながらに気付く。

「あれ、の声がする……」
「ずっとしてたよ! おはよう」
「電話?」
「辰己くんが掛けてって言うから」

寝起きでまだ頭が働いていない様子の辰己くんに状況を説明する。こんな風に辰己くんもぼーっとすることがあるのかと新鮮な気持ちだった。また少しだけ衣擦れの音がして、辰己くんがやっと上半身を起こしたのかもしれないななんてことを思う。辰己くんは今どんな顔をしているのだろう。あの綺麗な瞳が半分閉じられて眠そうにする辰己くんを想像しようとしてみたけれど上手く思い浮かべることが出来なかった。

「そうだった」
「目が覚めた?」
「うん。ちゃんと約束覚えててくれたんだ。ありがとう」
「本当に掛けていいのか迷ったけど……」
「栄吾には今朝は起こさなくていいって言ってあったからが掛けてくれなかったら遅刻しちゃってたかもね」

少しずつ辰己くんの声がはっきりしてくる。私のせいで辰己くんが学校に遅刻してしまうなんてことはあってはならないので思い切って電話を掛けて良かったと安堵の息を吐いた。

「ふふ、朝からの声が聞けるなんて気分がいいな」

辰己くんのやわらかな笑い声に私までふわふわと浮ついた気持ちになる。辰己くんに言い包められて引き受けたモーニングコールだったけれども、役得だったかもしれない。朝から辰己くんの声が聞けて、辰己くんが一日の始まりに聞くのが私の声だなんて、考えるだけでまたふわふわとしたものが胸に詰め込まれるような心地がするのだ。

「本当は電話じゃなくてが直接起こしてくれるのが一番なんだけど。それはあと数年お預けかな」

ふわふわとしたものが急にパチンと弾けて現実に引き戻される。

「えっ、辰己く――」
「そろそろ支度しないとせっかく起こしてもらったのに遅刻しちゃうや。それじゃあまた連絡するよ」

聞き返す前に辰己くんは会話を打ち切って、そのまま通話を切ってしまった。ツーツーと通話の終了を知らせる音が響く。

起きて真っ先にカーテンを開けた窓から爽やかな朝の光が部屋に零れている。清々しい天気は部活に励むのにも学校へ行くのにも何をするにも適しているはずなのに、私の頭の中は先ほど耳元で聞こえた彼の言葉が何度も何度も繰り返されて、今日一日辰己くんのことしか考えられそうになかった。

2017.06.15