ぺらりと、辰己くんが差し出した二枚の紙切れには見覚えのある美術館の名前が印字されている。

その差し出されたチケットの意味を図りかねて思わず彼の顔を見ると辰己くんはいつもと変わらない表情でこちらを見ていた。

「俺と一緒に行かない?」

渡したいものがあると辰己くんから連絡が入っていたから、私はてっきり昨日何か忘れていってしまったのだと思った。ちょうど帰り道で、数駅先の綾薙の最寄駅で途中下車すればすぐに分かることだからとわざわざ詳細を尋ねることもしなかった。まさか手渡されるものが忘れ物じゃないだなんて。まさかそれが美術館のチケットだなんて、想像もしていなかった。しかも聞き間違えでなければ、辰己くんは『一緒に』と。

「今やってる企画展に興味があるって言ってたよね?」
「い、言った。けど……」
「調べてみたら有名な絵が沢山展示されるみたいだね」

ひらひらと、持っているチケットを軽く振りながら辰己くんが言う。私はその振られる紙の動きに合わせて視線を上下させた。確かに昨日会話の端にそんなことを言ったかもしれない。いや、広告を見て行ってみたいなと思っていたことは事実だし、多分言ったことに間違いはないのだけれど、それは単なる世間話のひとつで、そこに深い意味はなくて。

「ねえ、は今までにこの美術館へ行ったことある?」
「ない、けど……」
「そっか。ここはコレクションも充実しているみたいだしそっちも楽しめるんじゃないかな」

どうしてこんなことになったのか、突然のことに頭がついていかなくて、彼の質問にイエスかノーの単純な答えを返すだけで精一杯だった。そんなあまりにも薄い私の反応が想像していたものと違ったのだろう。辰己くんは困ったような表情で首を傾げた。

「ダメかな? 予定が空いてない? もう誰かと行く約束をしてしまった? それとも――」

そこで辰己くんは一度言葉を区切って、すっと私の瞳を覗き込む。彼の翠色が揺れている。

「俺とでは嫌?」

その言葉に私は勢いよく首を横に振った。辰己くんが嫌だなんてそんなことはあるわけがない。

「た、たつみくんとがいいよ」
「それなら良かった」

ふわりと彼が微笑む。色素の薄い髪にオレンジ色の陽の光が当たってきらきらと反射して綺麗だ。どさくさに紛れてとんでもないことを口走ってしまったような気もするけれど相手はさらりと受け流してくれたようで安堵する。

「俺も、以外と行こうとは思わないから」

それなのに、私にとってはものすごく威力を持った言葉が彼の口から出てきたものだから心臓が一回大きく鳴ったまま止まってしまうんじゃないかと思った。全く、辰己くんの真意が分からない。彼とはそれなりに仲良くなって、それなりに辰己くんの性格だとか考えていることだとか分かってきたつもりだったのだけれど、急に辰己くんの考えていることが、言葉の意味が、分からなくなってしまった。昨日から、辰己くんはおかしい。

「辰己くんも、この企画展に行きたかったの?」
「行きたかったというより、昨日が話していたのを聞いて行きたくなったって感じかな」
「そうなんだ……」
が好きなものがどんなものなのか知りたいと思ったし、誘ったら喜ぶ顔が見れるかなとも思って」

「でも」そう言って辰己くんは少し眉を下げて困ったような表情を見せた。

「あんまり笑ってくれないね?」

いくら親しくなったとしても、脈はないのだとずっと思っていた。それくらいは彼の様子を見ていれば分かる。もし勇気を出して告白したら、万が一、ほんの少しでも女の子として意識してもらえるかもしれないといった程度で、ずっとただの友達として終わるのだと半ば諦めていた。辰己くんが笑う顔を見たいのは私ばかりで、きっと逆は一生訪れないのだろうと。

――でも、こんなのは勘違いしてしまってもおかしくない。

「すごく、すごくうれしいよ」

それ以上は望まない方がいいと今までの辰己くんから分かっていたのに、じわりじわりとあたたかい何かが胸の中に広がっていく感覚がする。浅ましくも、もしかしてと考えてしまうと一気に頬へ熱が集まってきて、まともに辰己くんの顔を見れなくなった。

「俺も楽しみだな」

辰己くんの軽やかな声が落ちてくる。期待することを思い出してしまった私の心臓は甘く鳴ることをやめない。

2017.05.14