何気なくカーテンの隙間から外を眺めたときだった。朝はうるさく窓を叩いていた音が、いつの間にかすっかり聞こえなくなっていることに気が付いた。

「栄吾くん!」

私が名前を呼べば、彼は手元の本から視線を上げてこちらを向く。

何事かと首を傾げる栄吾くんに向かって勢いよく手招きをする。

「雨上がってる!」
「おや」

栄吾くんが読んでいた本に丁寧に栞を挟んで立ち上がる。読書を邪魔してしまって申し訳ないなと少しだけ思ったのだけれど、私はそれよりも自分の発見を早く彼と共有したくて仕方がなかった。

栄吾くんが隣に立って、私の代わりにカーテンを押さえて窓の外を覗き込む。

「ああ、本当ですね」

からりと窓を開けると、庇からぽたりと水滴が落ちてくる。雨が止んでからどれくらい経っていたのだろう。日が差して、水溜まりに反射する光が眩しい。雨の雫がキラキラと光る外の世界はまるで生まれ変わったかのようだった。

「雨上がりの匂いがする」

すっかり晴れた良い天気に思わず大きく息を吸い込む。胸に満ちる空気はいつもよりほんの少しひんやりとして心地良かった。

「ペトリコール」

聞き慣れない言葉に思わず見上げると、目の合った栄吾くんがふっと微笑む。

「雨上がりの匂いのことをそう呼ぶそうですよ」
「栄吾くんって本当に何でも知ってるね」
「ふふ、ちょうど今読んでいた小説の一節に書いてあったので」

そう言って彼がテーブルの方へ目をやる。閉じられた本がカフェオレのマグカップとお行儀良く並んでご主人様が帰ってくるのを待っていた。

「タイミングよくきみが雨上がりを知らせてきたので驚きました」

物語の中に迷い込んだような錯覚を起こしてしまいそうでした、と栄吾くんが真面目な顔をして言う。彼がどんな本を読んでいたのか知らないけれど、その瞳の奥があまりにもやさしくて、こちらの方が恥ずかしくなってしまう。

「せっかくですから、これから出掛けましょうか」

栄吾くんがそう言って私の手を引く。

うん、と答えた私の小さな声は、風で揺れるカーテンに隠れてしまった。

2019.11.24