ちょうど校門前までやってきたときだった。

「あっ」

小さく溢れた声に振り返ると、オレンジ色に染まる校舎を背に申渡くんがぴたりと立ち止まっていた。

「忘れ物をしてしまいました……」

申渡くんが忘れ物だなんて珍しい。いつもしっかりしている申渡くんが。申渡くんだって人間だし、うっかりすることぐらいあるとは分かっていても、なかなか信じがたい事実だった。

その驚いた顔のまま申渡くんを見ると、彼は少し照れたような表情をして言葉を続けた。

「団扇をどこかへ置いたままにしてきてしまったようです」

空調完備された綾薙では団扇の出番はそう多くない。申渡くんの団扇は主にレッスンの後だとか、外からやってきた私を涼ませるために使われていた。私が暑さにふぅと息を吐くと彼は小さく笑いながら扇いでくれていたのだ。

地元のお祭りでもらったのだというその団扇は何だか申渡くんらしかった。

「おそらく教室かレッスン室だと思うのですが……。今日はあまり使う機会がなかったので忘れたことに今まで気付きませんでした」
「そういえば今日は涼しいね」

夕暮れの風は吹き抜ける度に心地良さを運んでくる。少し前までは夕方でも纏わりつくような空気で蒸し暑くて仕方がなかったのに。

「ふふ、いつの間にか秋が来ていたのですね」

そう言って申渡くんが隣に並ぶ。

探しに行かなくて良いのかと尋ねると「明日回収します」とやわく微笑みながら答える。

橙色と紫色が夕闇のグラデーションを作り、少しずつ夜が近付いてきていた。

2019.09.29