ちょうど彼の部屋のドアをノックしようとしたところで、中から走り回るような足音が聞こえた。今まで聞いたことのない物音に、思わず部屋番号が正しいか確認してしまった。
「申渡くん?」
「さんですか? すみません、今少々立て込んでいまして。あとで連絡しますから――わっ!」
部屋の中から申渡くんのものと思われる短い悲鳴が聞こえた。そのあとに続いてどたどたと物が落ちるような音と慌てた足音。部屋の中で何かが起こっているのは間違いなかった。
「申渡くん、大丈夫!?」
ドアノブに手を掛けるとガチャリとそれが回ったので驚いた。申渡くんは戸締りなんかもきちんとしていそうなイメージだったからまさか開くとは思ってなかったのだ。
「さん……!」
「勝手にごめん、ものすごい音だったからつい……。大丈夫? 怪我してない?」
「え、ええ……。心配してくださってありがとうございます。この通り、何ともありませんので」
そう言うけれども、申渡くんの様子は何かおかしい。動きがぎこちないのだ。後ろに何か隠しているように見える。不思議に思っていると、申渡くんがさり気なく体をずらして、私の視線を遮る。
つい好奇心に負けて体を傾けて部屋の中を覗き見ようとすると、彼の体の後ろからひょこりと小さな頭が現れた。
半分だけ覗いた顔の、くるりと丸いふたつの瞳と目が合った。
「こら、いけません!」
そう申渡くんが言ってまた背中に隠そうとすると、今度は反対側から顔が出てくる。
もう一度目が合うと、彼はちょっとだけ頭を下げて「こんにちは」と礼儀正しく挨拶をする。私も慌てて「こんにちは」と挨拶を返した。すると、それまで少しだけあった警戒心が解けたのか、彼はひょこりと顔を全部出してくれた。
今度は私が目を丸くさせる番だった。
「小さい申渡くん……?」
思わずそう呟いてしまうほど男の子は申渡くんに似ていた。思わず視線を上下に動かして二人の顔を交互に見比べてしまう。
申渡くんはやってしまったとでも言うように顔を手で覆った。
「もしかして」と言ったつもりの声は、驚きでかすかに震えてしまっていたかもしれない。
「――もしかして、申渡くんの隠し子!?」
「そんなわけないでしょう!!」
珍しく申渡くんが大きな声を出した。
*
申渡くんに「向こうで遊んでいなさい」と促されて、男の子は大人しくパズルで遊び始めた。
「いいですか、私に隠し子なんていません」
床に正座して、懇々と説明する申渡くんの言葉を聞く。
驚いて隠し子なんて言ってしまったけれども、改めて大真面目に説明されると恥ずかしい。よくよく考えれば申渡くんの子どもであるはずがないのは分かりきったことだったのに。
「それに、そもそも年齢の計算が合わないでしょうに」
全くもってその通りだ。生まれたばかりの赤ん坊ならいざ知らず、幼稚園に通うような歳の男の子が申渡くんの子どもであるはずがない。私は彼の言葉に神妙な表情で頷いた。
申渡くんは説明の間に三度も自分にそんな相手がいないことを強調した。
「分かったよ。申渡くんがイセーフジュンコーユーなんてするわけないもんね」
「いせっ!?」
私の言葉に申渡くんが咽せる。背中をさすってあげると、さらにゴホゴホ咳き込んだあとに「ありがとうございます」と言って顔を上げた。
「……とにかく、分かってもらえたなら良いです」
咽せたせいで申渡くんの瞳が潤んでいる。今日は思ったことをそのまま口に出して申渡くんを困らせてばかりいる。けれども、それくらい今日はびっくりすることばかり起きるのだ。
「休日に小さい子預かって面倒見るなんてえらいね」
私が褒めると照れているのか申渡くんが「そういうわけでは……」と口ごもる。
ちらりと彼の方へ視線を向けると、陽の差す窓辺で言いつけ通り、大人しくパズルで遊んでいる。
近寄って彼の隣にしゃがみ込むと、彼が取り組んでいたのは幼稚園児が遊ぶにしては難しそうなパズルだった。彼のおもちゃではなく、申渡くんの持ち物なのかもしれない。けれど、彼はピースの山の中からきちんとそれっぽいものを選び出しては色んな方向に回してなんとか嵌め込もうとしていた。申渡くんに似ているのは顔だけでなくて、この子も頭が良いのかもしれない。
「ねえ、お名前はなんて言うの?」
申渡くんの子どもではないことは分かったけれど、じゃあこの子はどこの子なのだろうか。これだけ似ているのだ。申渡くんと赤の他人だとは思えない。例えば甥っ子とかだったり――
「さわたりえーごです」
私の質問にピースを探す手を止めて、彼がはっきりと私の目を見て答える。彼の瞳の色には見覚えがあった。
「え?」
「えいご」
私が聞き取れなかったと思ったのか、はっきりした声で彼がもう一度言い直してくれる。
嘘を吐いているような様子もない。私の聞き間違いでもない。けれども、笑い飛ばしてしまうにはあまりにも面影が似ていた。
どういうことかと申渡くんの方を見ると、彼はひどく真面目な表情のまま気まずそうに視線を伏せた。
「……彼は、過去からきた私なのです」
まだ隠し子と言われた方が多少現実味があったように思えた。
2019.02.02