※魔法学校パロ


合言葉を唱えれば、絵画の中の夫人が真夜中の散歩もほどほどにねと囁く。それに「はあい」と間延びした小声で返して、談話室への階段を上る。ひたひたと足元から冷える床に、自然と歩く速度が速くなる。

しかし、その階段を上りきったところで、私は咄嗟にしまったと後悔した。自分のベッドに潜り込むまで姿を隠しておけば良かった、と。

そこには、栄吾が仁王立ちで待ち構えていた。

「夜中の徘徊もいい加減にしてください」

私の趣味に対してひどい言い方だ。それに対して文句を言えば、「そんなに減点されたいのですか?」と睨まれた。

「きみがまたベッドにいないと聞かされた私の身にもなってください」

きみももう上級生なのですからその自覚を持って云々、下級生のお手本となるよう云々。

栄吾のお説教はいつも長い。もう何度も聞かされたお決まりの文句に、つい欠伸が出そうになる。それを見越したかのようなタイミングで栄吾が「今の話、ちゃんと聞いていましたか?」なんて言うものだから、欠伸によって目尻に滲んだ涙を見られたのかと思った。

「真夜中の静謐さをきみが好むのも分かりますが」

正直、意外だった。私が寮を抜け出すことについて、栄吾が理解を示すような言葉を言うだなんて、思ってもみなかった。

広いホールで聞こえる自分だけの呼吸音、大階段に響くひとつの足音、窓から零れる月明かりがどこまでも続く廊下。それらの良さを彼も知っていたなんて。

「栄吾も夜中に抜け出したことがあるの?」
「きみを探して、ですよ!」

疑問に思ったことを投げかければ、すぐさま怒り半分、呆れ半分の声が飛んでくる。

「あのときは明け方になってもきみが戻って来ないので、何かあったのではと気が気ではありませんでした」
「ごめん……」

あのとき、私を揺り起こす栄吾の細い髪が、窓から差し込む夜明けのやわらかい光に照らされてきれいだなんて考えていたことを申し訳なく思った。寝起きのぼんやりとした頭で、他の誰でもない栄吾が自分を起こしてくれたことを嬉しいと思っていたことも。

「まったく、きみひとりで新入生をまとめて相手にするくらい手がかかります」

今年から監督生になった栄吾の心労を自分が増やしている自覚はある。けれども私が彼に面倒を掛けているのは入学以来ずっとのことだ。今さらそれが簡単に直るわけがなかった。

「減点、する?」
「……次は容赦なく減点します」

栄吾はそういうところがちょっぴり甘い。監督生として公明正大でなくてはならないのに。栄吾自身は正しくあろうと努力しているのだが、本人はそれに気付いているのかいないのか、どうしても非情になりきれない。

けれども、それを指摘して本当に減点されては敵わないので私は口を噤んでおいた。

栄吾はそれで正式に私の処置を決めたらしい。今回もお咎めなしの沙汰が下ったことに安堵して、ふぅとひとつ息を吐くと、栄吾がひどくやわらかい声で私の名前を呼んだ。

「すっかり体が冷えてしまっているではありませんか」

栄吾がひとつ杖を振ると、暖炉に小さな火が灯る。彼がまるで幼い子どもにするかのように私の手を引いて、暖炉の前のソファに座らせる。

彼がもう一度杖を振るとテーブルの上にあったマグカップが、ふよふよと浮いてやってくる。その淵からは白くあたたかな湯気が立っていた。それを両手で受け取ると、今度はどこから出したのか、ふかふかの毛布で肩からすっぽり包まれてしまった。本当にこれも魔法で出したのかもしれない。

「それを飲んだら、どうか大人しく寝てくださいね」

ちょうどいい温度にあたためられたはずのミルクを意味もなくふぅふぅと息を吹きかけて冷ましながら、「うん」と適当に返事をする。

こういうことをするから駄目なのだ。

くしゃりと、彼が私の頭を撫でる。ぱちぱちと小さな音で燃える暖炉の前でやわらかな毛布に包まれていると、今すぐにでも眠れそうだった。

2018.10.30