「……私の話を聞く気はあるのですか」
「アルベールの教え方が悪いんじゃ――痛いっ!」

まだ言い切っていないうちに、丸めた地図で頭を叩かれる。大事な地図をそんなことに使っていいのか。はたかれた頭のてっぺんを押さえながら睨んで見るけれども、アルベールは素知らぬ顔で机の上にその地図を広げる。

航海士見習いとして彼から教わる身である自分があれこれ文句を言える立場でないのは理解している。しかし船が港に泊まり、せっかくこれから皆で街に出て遊ぼうというところだったのに、わざわざこのタイミングで授業を始めなくてもいいじゃないか。ちょうど街で何か買ってやるって言われてわくわくしていたところだったのに。こんな状況で集中しろという方が無理だ。頭上で燦々と輝く太陽が恨めしい。

「……アルベールは街に行かないの?」
「必要な買い物は朝済ませましたから。その他、船に必要なものはすでにお使いの指示を出してありますので、ご心配なく」

朝まで帰らないと宣言している者もいるというのに、私はこの眉間に深く皺を刻んだ男とふたりで居残りだなんて理不尽にもほどがある。アルベールの買い物が終わっていたとしても、私の買い物は終わっていないのに。

「どうして勉強なんか……」
「気候や潮流を読むためには知識が必要です。何度言わせるんですか」
「じゃあもっと色々教えてくれたらいいじゃない!」
「物事には順序というものがあるのです」

クリスは『頑張っているね』と言ってくれるし、最近ではティエラも『やるじゃねーか』と褒めてくれるほどなのだ。アルベールばかりがまだまだだと言い、私を認めてくれない。事実、アルベールに比べれば私の持っている知識などほんの一握りで、一人前には程遠いのだけれど。

アルベールに認められたくて、こっそりひとりで勉強もしているのに、なかなかその日はやってこない。

陸の方へ目を向けると、先ほどまで一緒にいた船員たちが浮かれた様子で歩く姿が見えた。

「……こちらに集中してください」

ぺちりという音とともに私の頬がアルベールの両手に挟まれる。私の顔を固定して彼が真正面からじっと覗き込む。――いつもお小言ばかり言う口もきゅっと引き結ばれて、片方の蜂蜜色の目が真剣な色を灯していた。

怒っているのとも違う彼の表情に、アルベールと名前を呼ぶ声も喉に張りついて出てこない。中途半端に開けた口のまま声を出せずにいると、彼の手に力が込められて軽く上を向かされる。

アルベールの口が開いて何かを言おうと形を作る。――しかしそれと同時に彼が一度瞬きをして、その視線が一瞬途切れた。その隙に彼の胸をグイと押し、そのあまりにも近すぎる距離から逃れる。やっとまともに呼吸が出来た気がした。

「い、今のでほっぺたが腫れちゃったらどうするのよ!」
「それほど強い力ではなかったでしょうに」
「離してよー!」

いつもと同じ声で抗議すれば、あっさりとその手が離れる。彼の言う通り強い力ではなかったはずなのに、彼に触れられた頬がじんじんとゆるい痺れともにひどく熱を持っているように思えた。右手で頬を押さえてみたけれども、よく感覚が分からなかった。

「……本当にきみという人は」

アルベールがふぅと息を吐く。呆れたいのはこちらの方だ。久しぶりの停泊で私が日用品を買い込まなければならないことはアルベールも承知しているはずなのに、それをわざわざ引き止める。集中しろと言いながら、知識なんか何もかも頭から溢れ落ちてしまいそうなことをする。

――今も、一度離れたはずなのに彼の手が私の左手を握っている。

「この手は何」
「掴まえておかないときみは逃げるでしょう」

そう言いながらもアルベールはぱっとその手を離す。今日のアルベールはどこか変だ。

丸まった地図を几帳面に伸ばす彼の上に降り注ぐ太陽の光がひどく眩しかった。

2018.05.13