卯川くんと戌峰くんが日曜の朝から練習するのに付き合うことになったのだけれど、呼ばれて寮の中へお邪魔すると、そこではすでにミュージカルが始まっていた。

正確には、例のごとく戌峰くんの始めた即興ミュージカルに卯川くんが文字通り振り回されていた。

「さるくん呼んできてっ!」

戌峰くんにぐるりと一周回されながら「虎石くんは今日は朝から出掛けるって言ってたけどさるくんは一日寮にいるって言ってたから!」と卯川くんが叫ぶ。

ちゃん、来てくれたんだねー!」

戌峰くんによってすでに半分ミュージカルに取り込まれかけてしまっていたけれども、隙をみて「わ、分かった」と返事すると廊下へ出る。戌峰くんのミュージカルは素人の私でも何だか楽しくなって演じてしまう不思議な力を持っているのだ。私では戌峰くんを止めることは無理だし、ミイラ取りがミイラになる前に申渡くんの部屋へ向かうのが最善の策だった。

「申渡くん、いる?」

卯川くんは申渡くんならこの時間もう起きてるはずだと言っていたけれど、同室の辰己くんはきっとまだ眠っているだろう。辰己くんを起こさないように出来るだけ小さくドアを叩き、小声で申渡くんを呼ぶ。

もし申渡くんがもう出掛けていたり、まだ眠っていたりしたらどうしようと思ったのだけれど、中からかすかな物音とこちらへ近づく足音が聞こえて、ほっと息を吐く。

「はい」

彼の声とともに目の前のドアが開く。一刻も早く申渡くんを連れて戻らなくてはならなかったのに、中から出てきた彼の姿を見て、思わずぴたりと動きが止まってしまった。

申渡くんの前髪がヘアバンドで上げられて、いつもは一部だけしか見えていないおでこが全部見えていた。少しだけのぞく生え際となだらかな額。思わずそこに視線が釘付けになる。

脳でうまく処理が出来なくて、瞬きを繰り返すと、目の前の申渡くんも同じように一度ぱちりと瞬きをした。

「どうかしましたか?」

その声でハッと我に返る。顔の端に少しだけ水滴がついているし、手にはタオルが握られている。きっと顔を洗っている最中だったのだろう。

「ごめん、朝早くから。身支度の途端だったよね……」
「ああ、これのことですか。すみません。きみの声が何だか切羽詰まっているように聞こえたものですから慌ててしまって」

言いながら申渡くんがヘアバンドを取る。はらりと前髪が落ちてきて、彼の手がそれを真ん中で分けて見慣れた髪型へ整える。

申渡くんの前髪の長さだったら洗顔するときヘアバンドをした方が便利だし、彼の性格からそれを使っていても納得出来る。けれども、普段見慣れないものを見たせいか、それとも彼のプライベートを覗き見てしまったような罪悪感のせいか、心臓が変にドキドキと鳴る。拭きそこねた滴が彼の顎を伝って落ちた。

「それで?」
「そう! 卯川くん戌峰くんと朝の練習をしようとしてたんだけど戌峰くんがまたミュージカルを始めてしまって、私たちじゃ手に負えなくなっちゃって」
「それは困りましたね。すぐ行きますからそれまで持ちこたえるよう卯川に伝えてください」

彼の言葉に「早く来てね!」とだけ言って踵を返し、元来た廊下を引き返す。何だか胸のあたりがざわざわして呼吸が苦しいのは、きっと急いで卯川くんと戌峰くんのところへ戻らなければという焦りのせいに違いない。

2018.05.09