駅で最初に彼の姿を見かけたのは三ヶ月前だった。

夏から通い始めた予備校で、ある日たまたま先生に用事があって帰るのがいつもより少し遅くなった日だった。駅で偶然中学の同級生だった申渡くんの姿を見かけた。

中学の同級生と言っても、在学中に交わした言葉は二言三言だった。クラスは一度も同じになったことはないし、専攻も違っていた。接点はほとんどなく、ただ彼は成績が優秀で学年内でも有名だったので私が一方的に知っていただけだ。それでも、人混みの中でも何故か彼だとはっきり分かったし、彼のぴんと伸びた姿勢はあの頃とまったく変わっていないように見えたのだ。



――現在運転を見合わせております。

駅に着くといつも以上の人混みと、電光掲示板に電車が動いていないことを知らせる文字が流れていた。

こんなことなら早く帰れば良かったと後悔した。電車が止まっていてはきっと申渡くんも今日はいないだろう。

あの日と同じ曜日の同じ時間に駅に行くと必ず申渡くんの姿を見かけた。申渡くんとは学年が同じだっただけの知り合いでも何でもない関係だったから、『久しぶり』なんて気安く声を掛けることも出来なかったのだけれど。あれから必ず私は授業後先生に質問に行ったり自習室で少しだけ勉強したりして時間を潰してから帰るようになった。――もしかしたら今日も見かけることが出来るかもしれない、と。

非情にも『現在運転再開の目処は立っておりません』とアナウンスする駅員さんの声が響く。

「困りましたね」

その声にハッとして振り向くと、毎週ただ少し遠くから眺めるだけだったはずの人物が立っていた。

「お久しぶりです、さん。中学が同じだったのですが、覚えていらっしゃいますか?」
「さ、さわたりくん……?」
「良かった。実は人混みの中であなたの姿を見かけたので」

まさか心の中で思っていた本人に声を掛けられるなんて思ってもみなかった。中学のときも、予備校帰りも、姿を見かけてもずっと話し掛けることの出来なかった相手が目の前にいるということが信じられなかった。

「申渡くんこそ、私のこと覚えてたの? 全然話したことなかったのに?」
「ええ、もちろんです」

そう言って申渡くんが目を細める。彼ほど優秀な人なら、特別目立ったところのない同級生の名前も全部覚えているのかもしれない。彼はもちろんだなんて言ってみせたけれども、普通は接点のなかった同級生の名前と顔などとっくに忘れていてもおかしくないし、そもそも私のことを知っていたところから意外なくらいだった。

「この分ではきっと当分電車は動きそうにありませんね」

ちらりと電光掲示板に視線を向けて申渡くんが言う。つられて私もそちらを見たのだけれど、やはり数分前と表示は変わっていなかった。「もし」と申渡くんの声に、彼の方へ向き直る。いつもはっきりした彼の声が少しだけ掠れているように聞こえた。

「――もしさんさえ良かったら、電車が動き出すまで駅前のカフェにでも入りませんか?」

これも何かの縁ですし、と申渡くんが言う。じっとまっすぐにこちらを見つめる彼は私の答えを待っているのだ。彼の言葉がすぐには頭の中に入ってこなくて、駅のざわざわとした喧騒が私の思考の回転をひどく鈍らせているかのようだった。

「ええっと、その……喜んで」

髪を耳に掛けながら俯き気味でようやく返事をする。嬉しさで叫び出しそうなのをうまく隠しきれただろうか。声を掛けられたことも意外だったけれども、さらに申渡くんにお茶に誘われるなんて――それが時間潰しのためで、誘った相手が誰だとか特別な意味は申渡くんの側には一切ないのだと分かっていても、じわりと耳が熱くなったのが指先から分かった。

2018.02.19