パチンパチンとホチキスを留める音が教室に響く。

いくつかくっつけた机の上に山ほどのプリントを乗っけて、ふたり向かい合わせに座り数枚の紙の束を作ってはホチキスで留めるという作業を繰り返す。

「ごめんね、申渡くん。なんか付き合わせちゃって」
「いえ、このあと用事もありませんでしたし。それにこれはクラス全員で使う物ですから」
「ありがとう」

手伝うのは当然だという顔をして手を動かしてくれる申渡くんには感謝しかない。

今日は少し早いけれどももう帰ろうと思って正門前の広場を歩いていると『丁度良いところに』と先生に呼び止められた。先生の“丁度良いところ”というのは私たち生徒にとって大抵が“悪いタイミング”であることの方が多い。今回も例に漏れず『明日使う資料をホチキス留めしといてくれ』と頼まれてしまった。気持ちはもう早く帰って休むつもりでいたのに、特別時間に追われるような用事があるわけではなかったから咄嗟にうまく断ることが出来なかった。

困っていた私に『私も手伝いますよ』と声を掛けてくれたのが丁度レッスンが終わって通りかかった申渡くんだった。

「まさかこんなに量があるとは思わなかったし……」
「確かにあの時間から女子生徒ひとりに頼む量ではありませんね。あの先生もなかなか人使いが荒いというか」

そう言って申渡くんが苦笑する。もし彼が手伝いを申し出てくれなかったら私はきっとこの教室で途方に暮れていただろう。申渡くんはこうして話していても手は淀みなくどんどん紙たちを束ねていく。不器用で紙の角をなかなか綺麗に揃えられない私とは大違いだ。本当に私ひとりでやっていたらホチキス留めに大量の時間が掛かってしまっていただろうと思う。

「この間も今日と同じように先生から頼まれていませんでしたか?」
「そうだけど、そのときは友達と一緒で。もう少しお喋りしてから帰りたい気分だったから丁度良かったよ」

頼まれた量も今日よりも少なかったし仲の良い友達と話に盛り上がっていたらあっという間に終わったのだ。そのとき私たちが快く引き受けたものだからきっと先生は今日も私に頼んできたのだろう。同じように毎回毎回頼まれては困るのだけれど。

「これ明日の授業で課題に出されるのかな?」
「結構な枚数があるのでこれを授業時間だけで終わらせるのは骨が折れるでしょうね。課題だと覚悟した方が良さそうです」
「他の教科でも課題出てるし、提出期限少し先だといいなぁ」
「期末が近いからか、どの教科も課題が多くなってきましたね」

さっきまでいつもと同じ教室だったのに段々陽が傾いて、申渡くんの横顔にオレンジ色が差している。俯いた顔に彼の髪が少しだけ掛かっていた。

私の席は申渡くんの左斜めの二つ後ろだ。少し遠いところから後ろ姿を眺めてばかりいるから目の前にいる彼の姿が新鮮だった。授業中もこうして俯いてノートを取っているのだろうか。

不自然ではない程度に授業中彼の後頭部を飽きるまで眺めていられる今の席は気に入っていたけれども、彼をこうして正面から見る機会のある前だとか横だとかの席も良いなぁと思ってしまう。今までくじ運が悪く、今の席以上に申渡くんと近くの席になったことがない。もし、彼の近くの席で一緒にグループワークをすることになったらこんな風に彼を正面から見る機会も増えるのだろうかと思うと、早く次の席替えが行われるのが待ち遠しくなってしまう。

「――どうか、しましたか?」
「えっ?」
「手が止まっているようだったので。もしかしてこのあと用事があるのでしたら残りは私に任せて帰っても大丈夫ですよ。そろそろ日も暮れてきましたし」
「ち、違うの! 時間は全然大丈夫! ただ申渡くんはホチキス留め上手だなぁと思ってぼーっと見ちゃってただけで。ほら、私のなんてこんなぐちゃぐちゃで」

そう言って慌てて勢いのままに留めた一部は他のものよりもずっと角がずれてしまった。他にも芯が変に潰れてしまっているのもあって、不格好なものが多かった。

「ホチキスを素早く動かすと芯がうまく留まりやすいですよ」

申渡くんはやさしい。申渡くんは親切だ。それはきっと私にだけではなくて、他の人にもそうだということを知っている。

彼の手の中で、パチンと小気味良い音とともに針が綺麗に紙を束ねていた。

「本当だ」

自分の声がやけに教室に響く。いつもは沢山のクラスメイトがいる教室に申渡くんとふたりきりであることを今さらながら意識する。彼の手元を見ていた視線をふと上げると、じっとこちらを見ている申渡くんと目が合った。窓の向こうから下校する生徒の声がかすかに聞こえる。

こんな風に真正面から彼の瞳を見たことなんて今までなくて、これ以上見つめ返せる気もしないのに、かと言って自分から逸らすことも出来なかった。どうしようと、ただ自分の心臓の鼓動がどんどん大きくなっていくその間に、申渡くんの方が先に口を開いた。

「もしよければ、この課題が出されたら一緒にやりませんか。放課後図書室ででも」
「えっ」
「もちろんここの自分の意見を述べるという箇所は出来ませんが、資料を調べるのはふたりでやった方が早く済みます」

申渡くんが何でもないことのように手元の紙の束を軽く振りながら言う。「この単元は得意なので多少教えられると思います」とさらに言葉を続ける。気が付けば、あれほどあった紙の山があと数部分まで減っていた。

「ね?」

そう言って申渡くんが目を細める。――また申渡くんと放課後に話すことが出来る。そんなのこちらからお願いしたいくらいなのに、私の口は音を忘れてしまったかのようで、ただこくこくと何度も頷くので精一杯だった。

2017.09.29