ずっと『先輩』だった呼び方が『さん』に変わってしばらく経つけれども、未だに名前を呼ばれるのがくすぐったく感じることがある。

「栄吾くん! どうしてここへ?」

駅前に立っていた彼の元へ駆け寄ると、何だか体温が一度上がって先ほどまで飲んでいたアルコールがさらに体内を巡るような感覚がした。

「ちょうどこの近くまで来たので。一応携帯に連絡は入れたのですが……見ていないでしょう?」

鞄からスマホを取り出すと、彼の言葉通り確かに通知が来ていた。

「うわ、本当だ。ごめんね」
「いえ、きっと見ないと分かっていたのに勝手に来たのは私の方ですから」

それが何だかいつもの栄吾くんらしくなくて、窺うように顔を覗き込むと彼は私と目を合わせてちょっと困ったように笑う。

「今日は飲み会だと聞いていたので」
「もしかして迎えにきてくれたの?」
「ええ、少し心配だったものですから。でも来て正解だったようです」

栄吾くんが来てくれたのが嬉しくて思わず彼の両手を掴む。飲み会があるから栄吾くんとは会えないと諦めていたのにこんな風に彼の方から会いに来てくれるなんてしあわせだ。

「飲み過ぎですよ」

私に手をぶんぶん振られながら栄吾くんが溜め息混じりに言う。栄吾くんは飲み過ぎだなんて言うけれども今夜は言うほど飲んでいない。ちょっと気分がいいなくらいだからまだ全然いける。けれどもまだ高校生でお酒の飲めない栄吾くんには酔った人間は全部同じように見えるのかもしれなかった。少しだけ呆れたような声を出しながらも私にされるがままになってくれる栄吾くんはやさしい。

「今日は確かゼミの飲み会でしたか」
「そう。皆は二次会に向かったけど私はちゃんと帰ることにしたんだよ。えらいでしょう」
「一次会でこれだけ酔っていては当然です」

そう言って栄吾くんが私の手を握り直して歩き出す。駅前の騒がしい通りを抜けて、私の家までの見慣れた道を進んでいく。どうやら家まで送ってくれるらしい。住宅街は週末と言えども夜の静けさを纏っていた。

「ほどほどにしてくださいね。……私があなたのゼミやサークルの飲み会へ行くことは出来ないんですから」

私が飲み会へ行くと栄吾くんは少しだけ暗い顔をする。もし栄吾くんが大学に進むとしても私とでは頭の出来も目指すものも違うのだからきっと同じキャンパスに通うことにはならないと思うのだけれど、彼が気にしているのは多分そういうことではないのだろう。

栄吾くんが二十歳になって飲み会なんかに行くようになったら絶対私の方がずっと沢山やきもきしてしまうに違いないのに。

「きょうは酔ってないよ」
「そう言う割には足元が覚束ないようですが」
「さっきまではひとりで歩けてたもん」

そう言いつつも彼の方へ体を寄せると栄吾くんが私の肩に回した手の力が少しずつ強くなる。それが嬉しくてもっと体を傾かせると、さらにぐっと抱き寄せられた。

栄吾くんは私がお酒を飲むのは年の差を感じてあまり好ましく思っていないようなのだけれども、私はこうしてお酒を飲んで栄吾くんに会うのが好きだったりする。いつもは年上なのだからしっかりしなきゃという気持ちが多少なりとも働いて出来ないことが、お酒を飲めば酔ってしまったせいだと言い訳出来るから。そもそもいくら年上らしくしなきゃと気を付けたって栄吾くんの方が数倍しっかりしていて私は面倒を見られる側なのだけれども、かといって普段は素直に甘えることも出来ないのだ。

お酒は言い訳とともに私の脳みそも溶かしてくれる。お酒のせいで自制が効いていないと言われれば全くもってその通りで否定は出来ないのだけれど。

さん」

栄吾くんに名前を呼ばれるのは少しくすぐったい。ずっとずっと『先輩』と呼ばれていたのが変わる日がくるとは同じ学校に通っているころは思いもよらなかった。彼に『先輩』と呼ばれるのはいつもドキドキして心地良かったのに、今はそれ以上に心が浮き足立っている。

名前を呼ばれたのを酔っていて気が付かないふりをする。そうすれば彼はもう一度名前を呼んでくれるだろうと思ったから。

さん、ほら」

頭がくらくらする。期待した通り栄吾くんがもう一度私の名前をやさしく呼んでくれるのを、ゆるむ頬も隠さずに「ふふふ」と酔っ払いみたいな声で答えた。アルコールはもうすっかり全身に回ってしまったみたいだ。

2017.09.14