少しずつ近づくお囃子の音を聞いていると、何だかまるで綿菓子のようにふわふわと浮ついたような気持ちになっていく。前を辰己くんと並んで歩く申渡くんの背中をちらちらと見ていると、慣れない浴衣と下駄も相まって気を抜くと転んでしまいそうだった。それでも私の心臓は祭りのメイン会場から聞こえてくる小さな太鼓の音に共鳴するかのように鳴っていた。

「姫先輩! ナイト先輩ー!」

それなのに、一瞬でそれまでの浮ついた気分が嘘だったかのように私の心がざわりとささくれ立った。楽しそうかつ嬉しそうな声を上げる女の子たちの声を聞いて、何もこんなところで会わなくてもと思ってしまった。

「こんなところで会えるなんて思ってませんでした!」
「おふたりでお祭りですか?」

そう言って数人の女の子が辰己くんと申渡くんを取り囲む。ふたりを姫とナイトと呼ぶのだからきっと中等部時代の後輩なのだろう。親しげに話し掛ける様子から部活の後輩なのではないかとあたりをつける。

私が皆とお祭りに来れたのは運が良かったからだ。たまたま私がいるときにお祭りの話題が出たから。私も一緒に行かないかと誘ってくれたのは虎石くんだし、さっきまで隣を歩いて喋っていたのは卯川くんだ。――それなのに申渡くんを取られてしまったなんて思うのはおかしいのだ。そもそも申渡くんは私のものでもないのだし。

そうやってざわざわ嫌な感じに騒ぐ心を見ないふりをすることにした。

「ナイト先輩、良かったらまた中等部にも遊びに来てください」

あの子なんかはただの後輩というよりは彼に憧れているファンに近く、ただのファンというよりは申渡くんに恋しているのではないかと思えた。いや、むしろそのものだった。それに対してちらりと見えた申渡くんの横顔はいつもと変わらないクールな表情をしている。後輩の女の子に囲まれて特別浮かれているようにも見えないが、嫌そうにだって見えない。彼女たちは迷惑を掛けているわけでもなく久しぶりに会った先輩と話しているだけなのだ。その一人ひとりに対して申渡くんがどんな風に思っているかなんて、分かるはずがない。

居心地の悪さとこれ以上余計なことを考えたくなくて、ふたりが視界に入らないように戌峰くんの影に隠れた。そうするとざわざわとうるさかった胸の辺りが、少しだけおとなしくなった気がした。

「とりあえず何か食べ物買ってくるか?」
さん、あっちにわたあめあるよ! わたあめ食べよー!」
「ちょっと戌峰くん! 勝手にどっか行かないでよ!」

あっと思ったときには戌峰くんとそれを追いかけて卯川くんと虎石くんが行ってしまっていた。三人を追いかけた方が良い。ここに残っていても仕方ない。分かっていたのに、何となく三人を追いかける気になれなかった。もちろん女の子に囲まれている彼らを眺めて待っているつもりもない。

久しぶりに部活の後輩と話しているのを邪魔してもいけない。

一歩、二歩と後ずさったあとは、後ろを振り向かずにその場を離れた。

もしあとで皆にどこに行っていたのかと聞かれても戌峰くんを追おうとして見失ってしまったとか、途中で偶然友達に会ったとか言えば誤魔化せるだろう。幸い、お祭りの目玉である花火を見る場所は事前に教えてもらっている。時間までにそこに行けばそれほど迷惑は掛けないはずだ。私たちには文明の利器、スマートフォンもあるわけだし。

両脇には屋台がずらりと並んでいて、店のおじさんやお兄さんが道行く人に威勢よく声を掛けている。さっきここまで来る途中に卯川くんと何を食べたいか話していたはずだったけれど結論はどうなったのだったっけ? 卯川くんにりんご飴が似合うと思ったことは覚えているのだけれど。

ふらふらと左右の屋台を覗きながら歩いていたが、段々人の多さにぶつからずに歩くので精一杯になってくる。特別何か食べたいわけでもないのだからもっと人の少ないところへ行って時間を潰そう。そう思って体を左に傾けたところでぎゅっと右手首を掴まれた。

「集合場所はそっちではありません」

振り返ると後輩たちといたはずの申渡くんがいつもと変わらないひどく真面目な瞳でこちらを見つめていたものだから、私は言葉を失ってしまった。彼が私の手を軽く引く。

「辰己も先に戌峰たちと合流しています」

驚いている私を余所にまるで当然のことのようにそう話を続ける。けれども私はそれどころじゃなかった。見上げると、彼の顔がほんのりと提灯のオレンジに染まっていた。

「申渡くん、どうして……」
「あの場を離れるきみの姿が見えたので。一度は見失ってしまったのですが、無事見つけることが出来て良かった」

言いながら私の手首を掴んでいた彼の手が離れる。引き止めるために掴んだだけのものなのだからその目的が果たされた今、離れるのは当然のはずなのにそれを惜しく思ってしまった。触れられていた箇所がひどく熱を持っているように感じられる。

こっそり立ち去ったつもりだったのに気付かれていたらしい。私が自分から離れていったことを知っているのに、申渡くんは何故だかひどく安心したような声と表情で言うのだ。

「よく見つけられたね」

浴衣を着ている女の子は沢山いるし、その浴衣の色も帯の色もよくあるもので、特別目立ったりはしない。髪だって他の女の子と変わらない。むしろ浴衣でない方がどんな服でも特徴があって見つけやすいように思える。まさか見つけられるとは思っていなかったので純粋に驚いてしまった。

「ええ、この人混みでもすぐに分かりました」

そう言って申渡くんが表情をゆるめる。お祭りのこの人混みとかお囃子の音とか提灯の明かりだとかそういうもの全てが非現実的な気がして頭がぼうっとしてくる。全部夢か、そうでなければ何か神様の力が働いたのではないかと疑ってしまった。八百万の神がいるというし、神様の気まぐれのせいではないかと。

申渡くんがすぐに見つけてくれたのは偶然で、彼の言葉にだってきっとそれ以上の意味なんてないに違いないのに、全部自分の都合の良いように取ってしまいそうになる。

「もうすぐ花火が始まります。行きましょう」

そう申渡くんが促すので、私はちゃっかりと彼の隣に収まる。さっきまでそうしたくても出来なかった場所にいるのも信じられない気持ちだった。下駄がカランコロンと鳴る。慣れない下駄のせいで少しずつしか進めないのを良いことに、永遠にこの時を引き延ばしてしまえれば良いのにと思った。お囃子の音は段々大きくなる。

一緒に祭りに来た友達がはぐれてしまったから探しに来てくれただけだ。そう分かっているのに、申渡くんが私を見つけてくれたことがひどく嬉しかった。

2017.08.31