「栄吾が戻ってこないんだ。さん、探しに行ってくれる?」

そう辰己くんに言われて私は快くその任務を引き受けた。探しに行ってほしいと言った割りには申渡くんのいる場所に目星が付いているらしく、「このレッスン室か、そうでなければこの教室にいると思うから」と二箇所を示された。逆に言えばその二箇所にいなければこの広い学園中を探し回らなければならないのだけれど、きっと辰己くんが言うのだから心配は無用だろう。同じくこの場にいない戌峰くんを見つけて連れてくるよう頼まれるよりはずっと楽な任務だ。

ひとつめの部屋の前に立った時点で、中に人の気配がするのが分かった。心配していなかったけれど、本当にすぐに見つかって良かったと安心した。

「申渡くん? いるー?」

声を掛けながらドアを開けた。きっとそれがいけなかったのだ。

「えっ」
「あっ」

結論から言うと部屋の中に申渡くんはいた。いたけれども、上半身の服を着ていなかった。

彼の手にはおそらくTシャツであろう布が丸められていて、ちょうど今脱いだところなのだと分かった。真面目な彼はきっと筋トレもきちんとこなしているのだろう。普段は特に意識しないのに、こうして見るとバランスの取れた体つきをしている。いつも胸元は一番上までボタンを留めネクタイをきっちり締めていて、Tシャツの裾で汗を拭ったりなんかもしない申渡くんの肌を見る機会なんてそうそうない。

結構筋肉があるんだな、とまで考えてからやっと我に返った。

「ご、ごめん!」

力任せにドアを閉めると予想以上に大きな音が響いた。窓がある扉でもないのに、思わず背を向けてしまう。あまりにも大きな音を立てたので自分の心臓までバクバクと鳴っている。もちろん原因は扉の音だけではないのは分かりきっているのだけれど。

胸に手を当てて心を静めようと深呼吸していると、再び後ろからガチャリという音がする。それにまた私の心臓は飛び跳ねた。

「失礼しました」

その声とともに申渡くんが出てきたのが分かったけれど、彼の顔を正面から見るのが恥ずかしくて振り返ることが出来なかった。今になってどうしてあんなにまじまじと見てしまったのか、自分が信じられない。数秒は見ていただろうし、きっと申渡くんも見られていることが分かっただろう。ヘンタイ、などと申渡くんは言いはしないだろうが、きっと心の中では思ったに違いない。

「ちょっとしたアクシデントで戌峰とともに水を被ってしまいまして。ここに置いていた荷物の中に体操着があったので着替えていたのですよ」
「そ、そうなんだ……」
「戌峰の方が私よりも服がびしょ濡れになっていたので着替えるように注意したのですが、自然乾燥で大丈夫、走れば乾くと言って聞かなくて」

いつ彼から責められるのかビクビクした。こちらから『見てしまってごめんね』と謝るのもおかしい気がするし。そもそもクラスの男子の着替えなんかは体育の時間の前に女子が出ていくのを待たずに着替え始めるやつらがいるから特別珍しいものでもないし、男子は別にそういうのは気にしないのではないかとも思った。しかも上半身だけだったのだし――そこまで考えてまた先ほどの光景を思い出してしまって、勝手に顔が熱くなった。

「少々時間が掛かってしまいました。もしかして皆もう待っていますか?」
「そ、そう。辰己くんが申渡くんを呼んでくるようにって」
「そうですか、それでわざわざ。ありがとうございます」

話も切り替わったし、もうこのことは忘れようと思って申渡くんの方を振り返ると、隣に並んだ彼の顔が思ったよりも上の方にあったのでびっくりした。私と彼はこんなに身長差があったのだっけ? もしかしたら今まで意識してこなかっただけなのかもしれない。まるで彼の顔を初めて見たような気持ちがしてドキリと心臓が跳ねる。丁度それに気が付いたかのようなタイミングで申渡くんの視線がこちらに落ちてきて、彼と目が合った瞬間脳天に雷が直撃したような感覚がした。申渡くんと目が合うのはそんなに珍しいことじゃないのに。

「わ、私、先に行って申渡くん見つかったよって辰己くんに教えてくるね!」
「待ってください、私も――」

パチリと弾かれたように駆け出すと、後ろから彼の声が追いかけてくる。それを振り切るように私はさらにスピードを上げて廊下を走った。本当は申渡くんと一緒に皆のところに戻れば良かったのだろう。きっと彼もそう言おうとしていたのだと思う。けれども、今の私には申渡くんと並んでこの廊下を歩き続けるなんて、とても平常心でいられるとは思えなかった。

さらにスピードを上げると、来たときよりもずっと早く元の部屋に辿り着いた。逃げるように勢いよく扉を開けるとまたバンと大きな音が立つ。再びちらりと頭の隅にさっきのことが浮かんだけれど、今度は頭を振ってそれを追い払った。

「思ったよりも早かったね。栄吾は見つかった?」
「いたよ! もうすぐ来ると思う!」
「あれ、一緒に来なかったんだ?」

まさか辰己くんに本当の理由を言うわけにもいかず、「えっと……」と適当な理由を探す。後ろめたさから無意識のうちに後ずさっていたのだろう。トンと背中に何かが当たったかと思うと、両の肩を掴まれ支えられる。その手にいっそ分かりやすいほどビクッと反応してしまって、辰己くんに笑われた。その手が誰のものか、振り返って確認しなくったって分かる。

「栄吾、彼女に何したの?」
「いえ、私は何も」

申渡くんはやさしいから分かっていても私のために言わないでいてくれるだろう。本当に何でもないんだよと私の方が誤魔化したかったのだけれど、背中と肩に触れる体温ばかりが気になってしまって、声を出すどころか顔を上げることすら出来なくなってしまった。

「……ねえ、とりあえず真っ赤な顔で縮こまってかわいそうだから手離してあげたら?」

向こうでストレッチしていたはずの卯川くんまで遠慮がちながらも声を投げかけてくる。わざわざ卯川くんにそんな風に言われるなんて、私は今どんなひどい顔をしているのだろう。それを思うとますます深く俯くしかなかった。

それなのに申渡くんは一向に私の肩に触れる手を離してくれる気配がなくて、かと言って『離して』と彼の方を振り返って言うことも出来ない。

その間にも私の脳みそはどんどん煮えたぎるように熱くなっていく。

2017.07.19