申渡くんから週末のお誘いの連絡が一切来なくなってしまった。

経験値を上げるために休日は積極的に外へ出る申渡くんに私がついていくようになってからもう随分と経つ。始めは私が興味を持ちそうなもののときだけ誘ってくれていたのだけれど、どこへ行っても何をしても私が大はしゃぎするせいか、そのうち毎週のように一緒にどこかへ行くようになった。釣りなんて朝も早いし魚が掛かるまでじっと待っているなんて私の性分に合わないと思っていたのだけれど、行ってみれば海や川の景色を眺めるのも面白く、ゆっくり申渡くんとお喋り出来るのも楽しかった。私は申渡くんと一緒ならどこへでも行きたかった。

それなのに、前回彼と出掛けたのももう一ヶ月も前のことだ。

最初いつもの文面が送られてこなかったときにこちらから何もしなかったのも良くなかった。いつの間にか毎週になっていただけで、特別約束しているわけでもない。元々は不定期だったのだ。申渡くんも忙しいのかもしれないと思ってしまった。そうしたら次の週もその次の週も連絡がなくって、一度タイミングを逃してしまったせいで、何となくこちらから送信ボタンを押せなくなってしまった。

『あなたが興味を持ちそうなものがあればまたお誘いします』

その毎週末出掛けた後のお決まりの文句以降、何度確認しても新しいメッセージは届いていなかった。

知らないうちに何か怒らせてしまったのだろうか。もしかして、私の隠してきた下心に気が付いて距離を取ろうと思ったのかもしれない。彼ならば、私の想いに応えられなければ余計な期待をさせないようにと離れてもおかしくはない。もしくは別の子を誘うから私はお役御免になったのかもしれない。

ごろりとベッドに寝転がったまま、スマホを手に取ったけれども依然新しい通知は来ていない。もう私は申渡くんのパーティから外されてしまったのかもしれない。そう思うと胸の奥がジリジリと焦げるように痛んで、どうしようもなくなってしまった。

申渡くんに会いたい。

一度それに気が付いてしまうとその気持ちばかりが大きくなっていく。馬鹿みたいにそれ以外のことは考えられなくなった私はガバリと起き上がると上着を手に取って部屋を飛び出したのだった。



簡単に会えるとも思っていなかったのだけれど、綾薙学園の寮の前まで来たところで丁度どこかへ出掛ける様子の申渡くんの姿があった。ジャージ姿だったのでもしかしたらランニングにでも出掛けるところだったのかもしれない。

久しぶりに見た申渡くんの横顔に、私の胸はドキリと鳴る。いつも週末の待ち合わせの際には駅前で待つ申渡くんの横顔にドキドキしていたことを思い出す。

「さ、申渡くんっ!」
さん……」

勢いで声を掛けると、彼は振り返って驚いたように目を見開いた。申渡くんが私を見て、私の名前を呼んでくれたのが嬉しくて、思わず駆け寄る。

「あの、何か?」

けれども、申渡くんのその声には明らかに戸惑いの色があった。浮かれていた心が急激にしぼんでいくのが分かった。

「申渡くんから最近お誘いがないなーと思って。ミュージカルの練習が忙しくなった? 申渡くんがどうしてるか気になって」
「徐々に本番が近付いて練習量が増えたのは事実ですが」

そこで申渡くんが言い淀む。いつも言わなければならないことは物怖じせずはっきりと言う申渡くんが珍しい。

「むしろ今までがあなたを軽率に誘い過ぎていたなと反省しまして……」

ガンと脳みそを殴られたかのような衝撃があった。彼の言葉を理解するのにしばらく時間が掛かった。

「事情があって、今までのように気軽に誘うことが出来なくなってしまったのです」
「事情……」

やっぱり本当に申渡くんに好きな女の子が出来たのかもしれない。いや、もっと進んで彼女が出来たということも十分に考えられる。彼の通う高校が男子校だから忘れかけていたが、中学のころ申渡くんはあんなにも女子からキャーキャー言われていたではないか。いつ終わりが来たっておかしくなかったのだ。

まだそうと決まったわけではないのに、考えれば考えるほどその説が有力なように思えてくる。わざと“事情”などとぼかして言うからには何か理由があるはずなのだ。

「大変申し訳ないのですが」
「そ、そっか……。申渡くんが怒ってるとかじゃないならいいんだ。急に連絡がなくなったからこの間気付かないうちに怒らせてしまったのかなぁとか思ったりしたから」
「そんなことは……!」
「ホント、違うならいいの。そうだったら謝らなきゃと思っただけだから」

本当の一番の理由はそうではなく、私が申渡くんに会いたかっただけなのだけれど。わざとらしく何度も強調した理由付けを彼は信じたらしく、深く頷いていた。このときばかりは私の言葉を簡単に信じてしまう彼を少し恨めしく思った。

「申渡くんと出掛けられないのはちょっと淋しいけど」

“ちょっと”なんていうのは大嘘だ。本当はすごく胸が苦しい。申渡くんとは学校が違うから教室で挨拶するだとか廊下で姿を見かけるだとかそういうことも出来なくて、申渡くんに休日誘ってもらえなければ全然会うことが出来なくなってしまう。そんなの、もう私には想像も出来ないというのに。

今までは、“申渡くんに選ばれている”なんて思っていたのかもしれない。休日を一緒に過ごして、申渡くんに一番近い女の子は私だと思い上がっていたのかもしれない。それまでの自分がひどく浅ましく思えた。

今だって本当は一言『彼女でも出来たの?』とさり気なく尋ねたら良かったのに、本人の口からそれを聞くのがこわくて出来ずにいるのだ。

「えっと、じゃあ、練習頑張ってね」

それ以上会話を続ける糸口も見つけられず、申渡くんも黙っているのでついそんなことを言ってしまう。もう誘えないと言われてしまったのだからこのまま帰ってはしばらく会えなくなるのに。このままでいいの?と心の奥底で問い掛ける声が聞こえるのに、体はその声に応えようとしない。へらへらとした笑いを顔面に張り付けて、手を振る。

そうして去ろうとしたのに、不意にその手を掴まれた。

「申渡くん……!」

驚いて視線を上げると、真っ直ぐにこちらを見つめる彼の瞳があった。じわりと掴まれた箇所が熱い。なるべくそれを意識しないように、気持ちを落ち着かせようとするのだけれど、私の心臓はお構いなしにバクバクと大きな音を立てていた。

「ど、どうしたの?」

尋ねると彼の瞳が一瞬揺れる。そんな申渡くんの表情を見たのも初めてで、ドキリとする。私の問いに答えずに口を閉ざすなんてことも今までなかったのに。

今度は何を告げられるのだろうと考えると、少しだけ逃げ出したい気持ちになった。好きな子が出来たのだという報告なら聞きたくない。ただの友達である私はもういらないという言葉なら聞きたくない。身を引きかけたのに、私の手首を掴む申渡くんの右手がまた少しだけ力を込める。決して強い力ではない。振り払えば簡単に解けてしまいそうな力なのに、彼の触れている箇所がじわりじわりと甘く痺れる。

「……やはり今度どこかへ行きませんか」

やっと彼の口にした言葉は私の想像したどれとも違った。さっきはこれから気軽に誘うことは出来ないと言ったばかりなのにもう正反対のことを言うなんて、やっぱり今日の申渡くんは変だ。彼が何を考えているか分からなくて、何と答えるのが正解なのかも分からなくて、「何を」とやっと開いた口はカラカラに乾いていた。

「何を経験しに行くの?」
「いえ、経験値を上げるためではなく――」

そこで彼は一度言葉を区切った。一瞬視線を彷徨わせたあと、再び視線を上げてこちらを射抜いた瞳は強い光を持っていた。

「その前にあなたに言わなければならないことがあるのです。聞いていただけますか?」

聞きたい、聞きたくない。ふたつの感情がぐちゃぐちゃになっているのに、申渡くんの右手が私を繋ぎ止めるせいでどこへも行けないのだ。

2017.06.13