映画のチケットのタダ券や割引券があるといつも北原と南條を誘っていた。いつも北原は「つまらなかったら有罪だ」と言いながらも乗ってくれる。南條は渡したチケットやチラシをペラペラと振りながら「ふーん」としばらくそれを眺めてから「ま、いいけど」と受けてくれる。

ほとんど断られたこともなかったから、私の中でそのふたりは映画に誘えばついてきてくれる人という認識になっていた。


だから、ある日南條の方から「これ」と映画のチケットを差し出されたとき、びっくりしたのだ。

今まで南條からこんな風に映画に誘われたこともなかったし、誘われることがあるとも思っていなかった。

チケットに書かれた文字を見ると、今話題になっている恋愛映画だった。私の好きな俳優も出演していて、そのうち観に行きたいなと思っていたタイトルだった。けれども南條がそのタイトルを選んだのが意外で、何度もチケットと南條の顔を見比べてしまった。南條には「何か言いたいことがあるなら言ったら?」と言われてしまったけれども、最終的には主演の俳優は今一番実力があると言われている人だし、綾薙学園に通って演技も勉強している南條にも興味のあるものだったのだろうと思うことで納得した。

私がお礼を言ってそのチケットを受け取ると、南條は満足そうに笑ったのだった。


いつもと同じように待ち合わせ場所である映画館のロビーに着くと背の高い南條の姿はすぐに見つかった。柱に寄りかかっているだけなのにやたら様になる。

「お待たせ」と声を掛けると、いつもはあるはずのもうひとりの姿が見えなかった。

「あれ? 北原は?」

南條と北原は特に用事がなければ綾薙の寮から一緒にやってくることも多い。先に飲み物を買いに行っているのかと、きょろきょろと辺りを見回しても彼の姿は見当たらなかった。

「は?」

頭の上に降ってきたいつもより低い声に、思わず肩がびくりと震える。南條は普段やわらかい声をしているくせに、時折びっくりするほど低い声を出すことがある。顔を上げると、声から想像する通り不機嫌な表情をしていた。こういう感情を隠さず表に出している南條も珍しい。

「え?」

私が間抜けな声でそれに答えると南條は数秒じっと黙ってこちらを見つめた。南條が何も言わないのは心臓に良くない。なんだか悪いことをしてしまったような気分になって、心臓は緊張でドキドキとうるさいし、そわそわとして落ち着かない。

そうして南條はしばらく見つめたあと「はぁ」と大きな溜息を吐いた。そのわざとらしい大きな仕草は多分私を馬鹿にしている。

「何?」
「あのさぁ」

南條の呆れたような声。最近はこの声を聞く回数が以前よりも増えた気がする。何かを言いたげなこの視線も。

「今回俺から誘ったことに何とも思わなかったわけ?」
「珍しいなぁとは思ったよ。あと、ありがとうって」
「はいはい」
「でもだって、いつも三人一緒でしょ?」

私の考えは間違っていないはずだ。いつも一緒だから今回も北原も来ると考えるに決まってる。

もし北原と喧嘩でもしたのだったら、正直に言えば良いのに。

「ま、どうせ分かってないとは思ってたけどね」

そう南條は軽い声を出して肩をすくめた。
そんなに私だって察しの悪い方ではないだから、自分を基準に考えないでほしい。南條に比べたら誰もが頭の回転が遅くなってしまう。

何かあるのなら言ってくれればいいのに。

「とにかく、今日は俺とふたりだから」

そう言って南條は口の端を少し持ち上げてみせる。

南條のその言い方のせいで、ふと頭を過ぎった考えに、慌ててそんなはずはないと頭を振る。南條が遠回しな言い方をするのはいつものことだ。


私の分のドリンクも買ってきてくれた南條に「北原と喧嘩したなら早く仲直りしなよ?」と話しかけて、もう一度「は?」と低い声で返されるのはもう少しあとのこと。

2018.10.15