「ちょっと北原、場所変更になったならもっと早く連絡してよ!」

練習室のドアを開けるなり北原に詰め寄ると、彼は「ハァ?」と不機嫌そうな表情を浮かべる。何のことだか分からないとは言わせない。

私がいつもチーム漣が使っている稽古場に行くと鍵が掛かっていて開かなかった。時間を間違えたかと思い、時計を確認しようとスマホを取り出すと十分前に北原からのメッセージが入っていた。『練習場所変更』という言葉と教室名という、本当に用件だけのメッセージだった。

「空閑くんが声掛けてくれなかったら完全に迷子になってたところなんだからね!」

以前、北原がシュウだと紹介してくれた空閑くんと彼と同じチームの那雪くんがここまで案内してくれなかったらどうなっていたことか。迷子一歩手前で廊下をうろうろしていた私を、一回会ったきりだというのに顔を覚えていてくれた空閑くんのおかげで無事ここまで辿り着けたのだ。那雪くんに至っては今日初めて会ったというのにわざわざ心配してついてきてくれた。彼のやさしさには感謝してもしきれないくらいだ。

「分かんねーなら、入り口に戻って校内案内図見りゃいいだろ」

それなのにその原因を作った北原はこれなのだ。広い校舎に、綾薙に通っている生徒でも分かりづらいと言う場所にある練習室なのだからもう少し配慮をみせてほしかった。空閑くんや那雪くんのやさしさのほんの爪の先でも見習ったら良いのに。それを私が訴えれば、彼はいつものように「ハッ」と馬鹿にしたように笑う。

「どうせ迷ったら電話掛けて呼び出してただろーが。毎回毎回ピーピーうるせーんだよ有罪」
「最初から北原が迎えに来てくれればそもそも迷子にならなかったのに!」

確かに空閑くんが声を掛けてくれるのがあと一秒遅かったら北原に電話を掛けていたところだった。いつもだったら北原の言葉に納得して引き下がってしまうところなのだけれど、今日の私は違うのだ。

「せめて、もうちょっと早く連絡寄越すとか!」

横で南條がこれ見よがしに大きな溜め息を吐くのが聞こえた。呆れるように首をすくめ、私達には何を言っても無駄だとでも言うように空閑くんと那雪くんに近寄っていく。

「悪いね、空閑、那雪。うちの元気良いでしょ?」
「道中大体北原の話だったな」
「北原くんとさんって仲が良いんだね」

仲が良いんじゃなくて、私が“仲良くしてあげている”のだと反論しようとしてやめた。北原は私に仲良くしてほしいなんて思ってもいないだろうし、この男は何故か男女ともに好かれるのだ。悔しいが、北原が人気者なのは事実だ。反論したところで、私の敗北は目に見えている。代わりに「ぐぐぐ」と唸ると、それを見てさらに北原が笑った。私の唸り声は低くなる一方だ。

はいい女だな」

不意に、空閑くんがぽつりと落とした言葉に思わず動きが止まる。

お世辞だとは分かっているけれども、あまりそういうことを言いそうにないタイプに見える空閑くんに褒められると少しだけ照れる。道中、いかに私が北原の傍若無人っぷりに悩まされているかということを聞かせてしまったので、半分は同情だろうけれど。

「は? テメー何言ってんだ」

私が空閑くんにお礼を言う前に北原が彼の前に出る。せっかく私を褒めてくれる、見る目のある人になんてことを。

「失礼な! 私にだって褒められるべき良いところは沢山あるんだから!」

たまには北原だってやさしい言葉を掛けてくれたっていいのに。空閑くんみたいに言う北原は想像がつかないし、それどころか普通に人を褒める北原なんて全く想像が出来ない。

北原に詰め寄って顔を見上げると、意外にも真剣な目で空閑くんを睨みつけている。まるで、空閑くんの方が私に失礼なことを言ったみたいだ。北原の方が百倍失礼なくせに。

「ちょっと聞いてるの?!」と隣で声を張り上げてみても、北原は空閑くんから目を逸らさない。対する空閑くんもまっすぐにそれを受け止めている。

「別に取らねーよ」

それだけ言って、空閑くんの方が先に視線をふいと外す。

「ちょっと北原! 聞いてる?!」
「はいはい、痴話喧嘩はそのくらいにして。チーム鳳のふたりもそろそろ戻らないと星谷たちが待ってるんじゃない?」

北原との間に南條が入ってまぁまぁと私を宥める。南條の言葉は宥めるものだったけれど、顔は面倒くさいという表情を隠そうともしていない。

「痴話喧嘩じゃない!」

私が南條に反論すると、北原は隣でまた「ハッ」と短く息を吐いて笑う。その横顔が何故だか満足そうなのも、釈然としなかった。

「こいつの相手出来るのは俺ぐらいだろ」

北原が何故か自信満々に言う。私はそんなに扱いにくい人間じゃないし、これをきっかけに今後空閑くんや那雪くんとも仲良くなれるに違いないのに。

けれども、それを言おうと口を開いたタイミングで那雪くんがハッと我に返ったように「お邪魔しましたー!」と言って、空閑くんの背中を押して練習室を出ていく。それに重ねるように「いい加減始めていい?」と南條が言えば、残りのチーム漣のメンバーが集まってくる。

「遅刻したヤツがモタモタすんな」

そう言って北原が私の頭に手を置いてぐしゃぐしゃと髪を乱してから、皆に合流する。女の子の髪に何をすると文句を言う暇もなかった。代わりに私は「変なの」と小さく呟いて、練習室に着いてからもずっと持ったままだった自分の鞄を抱え直した。

2018.06.22