「海斗くん、こっちこっち」

こっそり声を掛けると海斗くんは少し周りを見渡して、そうしてカーテンの陰にいる私を見つけていつものようにひとつ溜め息を吐いてみせる。私が手招きをすると彼は観念したかのようにこちらへ向かって歩いてきた。彼をバルコニーへ迎え入れると天から伸びるカーテンがふわりとその長い裾をなびかせる。しかし窓を閉めてしまえば、広がったそれはまるで何もなかったかのように私たちを覆い隠した。

「今日はこんなところにいたのか」
「どう? なかなか素敵でしょう?」
「そうだな。静かで良い」

中の喧騒が窓一枚を隔てて嘘のように静かだ。

海斗くんはたまたまパーティで出会った男の子だった。初めて会ったときもあちこちに挨拶して回ることにうんざりした私がパーティを抜け出そうとしていたときだった。海斗くんとはお互いの苗字を知らないのが逆に気が楽で、会えばこうして一緒にパーティをさぼったりするのだけれど、それがいつの間にか楽しみになってしまってた。今ではパーティに来ているのだか、パーティをさぼりに来ているのだか分からなくなってしまうほどに。

はこういう場所を見つけ出すのだけは得意だな」
「そういう海斗くんこそ」

夜のバルコニーはカーテン越しの窓から漏れる明かりと夜空の明かりがあり、時折心地良い夜風も吹いて過ごしやすかった。そっと風がワンピースの裾を揺らす。あまり広くないバルコニーは庭からも少し隠れていて、ぽかりと宙に浮いているここは他の世界から切り離されているようにすら感じた。ひとりでいたときはあまりにも中の騒がしさと違いすぎて少し淋しいような気もしたけれども、海斗くんが来てくれて話し相手も出来たので今夜も退屈せずに済みそうだった。

「今日の会場はまるでお城みたいね。ダンスパーティでも始まりそう」
「踊れるのか?」
「ダンスパーティなんて行ったことないから踊れるわけないわ」

私がそう言うと海斗くんは驚いたように表情を固まらせる。

「なぁに、その顔」
「いや、そういうパーティにもよく顔を出しているのかと」

そんなのは本物の社交界じゃないと笑うと彼はまたきょとんと目を丸くさせた。もしそんなパーティにお呼ばれされていたならパーティ中にこんな風に抜け出せたりはしないだろう。それよりもきっと誰かと踊るダンスの方で頭がいっぱいになりそうだ。

「行ったことはないけどダンスパーティなんて物語の中みたいで素敵じゃない?」
「でも踊ったことないんだろ?」
「そう言う海斗くんは踊れるの? 海斗くんだって行ったことないでしょう?」
「そんなパーティに行ったことはもちろんないが、ステップくらいなら踏める」

海斗くんがムッとした声で返す。そんなことで意地を張らなくたって良いのに。今日のパーティの参加者の一体何人がダンスを踊れるというのだろう。

「ほら」

そう言って海斗くんは私の右手を掴んで引き寄せる。何をと思っている間に彼の右手が私の背中に回されて、悠長なことは言っていられなくなった。

「ま、待って海斗くん!」

私の制止を聞くことなく海斗くんはステップを踏み出してしまう。彼の動きに引っ張られて一歩足を出すけれども、その度に彼の足を踏んでしまいそうでヒヤヒヤした。足元にばかり意識を持っていかれると今度は上半身のバランスが取れなくなってしまいそうで怖かった。しかし右足と左足を交互に出していると、徐々にワンツースリーのリズムが取れてくる。ステップくらいなら踏めるなんて表現をした割に海斗くんのリードは上手で、ぎこちないながらも動きを合わせやすかった。

ちらりと海斗くんの顔を盗み見ると、彼と目が合った。こんな至近距離でどうしようとどぎまぎしていれば彼はやわらく目を細めるものだから、私はまた視線を俯かせるしかなかった。

「海斗くん」

私が小さく口の中で彼の名前を呼べば「」と彼も返したような気がした。

狭い私たちのバルコニーがまるで煌びやかなダンスホールになったような錯覚に陥る。どこからか軽やかなワルツが聞こえてくるようだった。

それは彼が足を止めるまで続いた。

「どうだ?」

そう言って海斗くんが得意げに笑う。幻は消えてワルツの音楽とダンスホールはすっかり元の静けさとバルコニーに戻ってしまったけれど、ちかちかと瞼の裏にきらめきがまだ残っている。

「夢みたい……」

ドキドキと鳴る胸はいつまで経っても静まってくれそうにない。ホールドは解かれたけれど依然右手は彼に取られたままだった。こちらからどう手を戻していいのか分からずに、小さな子どものような感想を零せばまた彼が笑う。

顔を上げれば彼の夜を映す瞳と目が合った。

「では、もう一曲いかがですか」

口角を上げて、まるで何かのお芝居のように海斗くんが繋いだままの私の右手を恭しく掲げてみせる。それすらも現実と夢との境界をあやふやにするようだった。

耳の奥のワルツはまだ規則正しく三拍子を刻んでいる。

2017.07.08