冬沢に両手で顔を挟まれた。

これはまずいと本能が察した。帰り間際、他のメンバーはもう先に行ってしまってここには冬沢と私しかいない。

――冬沢を怒らせてしまったに違いない。

何かしてしまったかと、今日一日の自分の行動を振り返ってみたけれども原因が思い当たらない。冬沢の顔を見つめ返してみるけれども彼は黙ったまま何も言わない。無言の冬沢は威圧感があって怖い。

「ご、ごめんなひゃい?」
「は?」

とりあえず謝ってみたけれど、それがさらに冬沢を怒らせた気がする。きっと頬を挟まれ上手く喋れなかったのも良くなかった。不機嫌そうな声はさらに低くなり、彼の眉間にしわが寄る。

「きみにはムードというものがないのかな?」
「えっ、何、バカにされてる?」

そう言えば冬沢は大きな溜息を吐く。こうして冬沢に呆れられることは少なくなかったが、ここまで深い溜息も珍しかった。

「ないんだったな。それを考慮しなかった俺のミスだ」

冬沢は勝手に話を完結させる。失礼なことを言う、私にだってムードくらいと言い返そうとして、はたと気が付いた。

「きみは」と言いながら冬沢がまっすぐにこちらを見る。

「全部言葉にしないと分からないらしいね」

冬沢の指先が私の頬を撫でる。そのゆっくりとした動きで、私はようやく冬沢が言わんとすることに気が付いた。

「あの、えっと」
「ようやく気付いたようだね」

今さら冬沢の指先の触れる部分がひどく熱い。それに加えてそれまでの自分の勘違いに恥ずかしさで顔から火が出そうだった。

彼の瞳を直視出来なくなって、思わず手のひらを冬沢との間に突き出した。その数センチ手前で冬沢の動きが止まった。

「これは拒絶と受け取るべきなのか?」
「そうじゃないよ! そうじゃないけど……」

私の指の隙間から冬沢がこちらを睨む。

嫌なわけでは、決してない。けれども慎ましさやお淑やかに欠ける私がこんなことを言うだなんて、冬沢からしてみれば思ってもみなかったことなのだろう。

「待って」
「もう十分待ったと思うけれどね」

冬沢との間に出した手を、彼は簡単に掴んで退かしてしまう。ならばもう片方の手を、と間に入れると露骨に冬沢が表情を歪めたので私はそれをすごすごと下ろすしかなかった。

下ろした代わりにその手で冬沢の制服の端を握る。冬沢が表情をゆるめたのが分かった。

「あのね、冬沢……」
「亮、と呼ぶように言ったのも忘れてしまったのかな?」

私は冬沢みたいに何でもさらりと出来るタイプではないのだ。急に呼び方を変えるのも慣れないし、恋人らしく振る舞えと言われてもどうしていいのか分からなくなる。

「亮……」

名前を呼ぶと冬沢は目を細めた。見慣れないその表情にどうしたらいいのか分からなくなる。

私の混乱とは対照的に、彼は簡単に私の名前を呼ぶ。ずっと前からそう呼んでいたかのように。

「あの……」
「却下だね」

まだ何も言っていないのに。

彼の手があごに掛けられて、上を向くよう促される。また冬沢と目が合って、目を閉じなくてはならないことを思い出した。ぎゅっと瞼を閉じると、ドキドキと自分の心臓の鳴る音がひどくうるさかった。

冬沢の息が触れる。

くすりと彼が満足そうに笑い声を落とす音が心音の隙間から聞こえた。

2019.07.24