自分で思っているよりも随分と浮かれた気分で荷物を旅行鞄に詰めていたらしい。

喉が渇いたと冷蔵庫の中を覗いていた朝喜が「それ、何かのCMの曲か?」とこちらへ言葉を投げる。歌なんて歌っているつもりはなかったのだけど、無意識のうちに鼻歌を歌っていたらしい。自分で歌っていることに気付かなかったくらいだから何の曲かと聞かれてもメロディーはもうとっくにどっかに行ってしまっていて思い出せない。正直に「何か歌っていた?」と尋ね返したのだけれど、朝喜はそれを私がはぐらかしていると取ったらしかった。

「随分とご機嫌だな。そんなに行きたい場所だったのか?」
「そうだよ。だって前に朝喜が――」

ご機嫌で浮かれていたのは事実だ。最後にぎゅうと押し込んでチャックを閉めようとしたところだったから、気が緩んだのかもしれない。うっかり何も考えずに思っていたことがするりと口から漏れてしまった。それでもすんでのところで我に返って口を噤む。きっと彼もこんな何気ない会話は聞き流しているだろうと思っていたのに、振り返ればお茶の入ったグラスを口元へ持っていく途中で動きを止め、じっとこちらを見て私の次の言葉を待っていた。

「……朝喜と久しぶりの旅行だから」
「おい、今違うこと言おうとしてただろ」
「してない」
「前に俺がどうとか言いかけただろ」
「言ってない」

失敗した。朝喜がお茶を飲まずにそのままテーブルへグラスを置くとこちらへ近付いてくる。

「気になるだろ」

床に座っている隣に立たれると威圧感がある。朝喜は背が高すぎるし、やっぱりこうしてみると目つきが悪い。本人はそんなつもりはないだろうけど。こんなプレッシャーをかけたって絶対言わないぞと半分意地になりかけていると、すっと朝喜がしゃがみこんで私と目線を合わせる。――彼はいつもこうだ。「おい、、こっち向けって」という言葉は普段と変わらないのにひどくやわらかくて、それが懇願だと分かってしまう。

「前に朝喜が一緒に行きたいなって言ってくれたとこだから……」

だんだんと小さくなってしまった声は、それでもきちんと届いたらしい。私の言葉に彼は二度と瞬きを繰り返した。

「……言ったか?」
「ほら! やっぱり!」

一緒にテレビ見てるときに何気なく言った言葉で深い意味はないの分かってたし、一年近く前のことだし、彼が覚えていなくて当然なのだ。覚えていたとしたらそっちの方が驚くくらいだし、淋しいとかそういう気持ちも全くない。本当にないから言うつもりはなかったのに。

「自分の言ったことなのに覚えてなかったこと気にしなくていいからね」

それなのに、ちらりと視線を向けた先の彼は何だか気まずそうな表情をしていたものだから、思わず先回りの言葉が出た。

「気にするでしょ?」

あれだけ分かりやすく表情に出していたくせに言い当てられたことに驚いた顔をする。朝喜だってたまに私の何気ない言葉覚えててくれるときあるじゃない。プリン食べたいとか。

本当に気にしなくていいのに。困らせたくはなかったから言わないようにしていたのだけれど、でも少しだけじわりと心の奥から何かが染み出すような感覚は決して嫌なものだけではなかった。

「……どうしてもって言うのならお詫びして?」
「どうしてもって何だ――」
「ほら、余計なこと言わずに」

そう言って彼に顔を向けると、“お詫び”の言葉の示すところに気が付いたらしい。ぐっと彼が何かを喉に詰まらせたような表情をする。

彼が身を屈めて、私の頬に手のひらを添えた。

2018.04.16