「どう? このあと食事にでも?」
「すみません、仕事中なので……」

にっこりと綺麗な笑顔を作る彼の前で私はすっかり困り果てていた。

俳優だと名乗ったその男性は親切にこの建物の説明をし、自分の上がる舞台が、役がどんなに素晴らしいものかを語り、ひとしきり私を褒めた。

私が仕事のためにここに来ていて、人を探していることは伝えてあるはずなのだけれど、なかなか話は本題に入っていかない。

やっぱり足で探すしかないのかと思い始めたところで、入り口に人影が見えた。

「アレックス様!」


無事に探し人を見つけられた安堵で思わず駆け寄る。このまま会えなかったらどうしようかと思った。

私が近づくと、彼は驚いたように目を見開いたあとに、一歩後ろに下がった。

「じゃあ、また次は良い返事を聞かせてくれよ!」

そう言って俳優の男性は手を振って去ってしまった。嵐のような人だったなと思いながら、ひらひらと手を振り返してから向き直る。

「忘れ物をされていたようなので、お届けにきました」

そう言って抱えていた荷物を鞄ごと彼に渡す。ノート一冊ではなく、鞄ごと忘れてしまうなんて彼らしくなかった。発見した瞬間、これは本当に忘れ物なのか、それとも意図的に置いていったものなのか判断に迷うくらいだった。

彼は鞄を受け取ると気まずそうな顔をして視線を逸らした。先日私が思いを伝えてから彼はずっとこんな様子だった。

「なぜ、きみが」
「ちょうど私の手が空いていたので」

ベルナルド家で手が空くような新人は私しかいない。皆それぞれ重要な役割がある先輩ばかりなのだ。

もっとも、あなたが届けにいきなさいと命じられたとき思わず喜んでしまったのは事実だけれど。

「さっきの彼とは?」
「アクターの方ですか? 入り口で困っていたところに声を掛けてくださって」
「……ついでに食事に誘われていたようだが?」
「聞いていたんですか? 戻って仕事が残っているので無理ですよ」

ははと軽い調子で笑ってみせたのだけれど、彼は眉間の皺を深くする。冗談ではなく、私の勤務態度は至って真面目で、その点は先輩たちに褒められるくらいだ。

「きみは仕事がなければ行ったのか?」

今日の彼はどこかおかしい。今までこんなプライベートに突っ込むようなことは聞いてこなかった。彼にとって舞台の上以外は関心がなく、私がどこで何をしていようと興味がないはずなのに。

「……行っても良いのかもしれないですね」

あまり仕事ばかりでも良くないし、適度な気分転換は必要だ。まだ男の人とというのは考えられないけれども、友人とご飯に行くくらいはしても良いのかもしれない。最近どこか取り憑かれたように仕事をしていると先輩に言われたばかりだった。

仕事に没頭していると、あの日彼に振られたという事実を忘れられそうな気がした。

「……っ!」

私が笑ってみせると、彼はまるで痛みを感じたかのような顔をする。なんだかアレクサンドル=ベルナルドらしくないなと思う。最近は彼のそんな表情ばかりみているような気がする。私の存在がそうさせているのか。

「では、無事に忘れ物は届けましたし、私はこれで帰りますね」

そう言って立ち去ろうとしたとき、左の手首を掴まれた。

背を向けかけた体を止め、顔だけ彼の方へ向ける。地面の一点を見つめていた彼が顔を上げ、視線が交わる。

「このあとすぐに手が空く」
「あら、今日はもうお仕事終わりなんですか?」
「だから、どうだ?」

そう言ったきり私の瞳をまっすぐに見つめ、答えを待っているようだった。そう言われても何を聞かれているのか全く分からなかった。

「えっと、何がです?」
「食事に決まっている!」

そう言ったあとに、「もちろん、きみの仕事があの屋敷に山ほどあるというのなら無理にとは言わないが」と肩をすくめながら言ってみせる。

私を食事に誘う。これもアレクサンドル=ベルナルドらしくない行動だ。もし、私の元気のない様子であることに彼が罪悪感を感じているのだとしても、私は――

「はい、喜んで」

単純な私は、どんな形であれ彼が心を傾けてくれたことを嬉しく思ってしまうのだ。

2019.09.06