「……大丈夫ですか?」

夜の公園でひとり、ベンチに座って背中を丸めている人影を見かけて、思わず声を掛けてしまった。

私の声に応えて顔を上げた彼は、夜の暗がりの中でもひどく青白い顔をしていたように思えた。けれども、驚いたように丸くさせたその瞳は、吸い込まれそうなほど深く、夜空のように綺麗な色をしていた。



「ねえ」

そう言って揚羽くんが私の顔を覗き込む。その近さにびっくりして思わず仰け反ると、彼も同じように一瞬目を丸くさせて、それからまた元の少しだけ不機嫌さを滲ませた表情に戻る。

「な、なに?」
「返事ないから。呼んでるのに。何度も」
「ごめん。ちょっとぼーっとしてて」

そう言うと彼は首を少し傾けて、また眉を顰める。

『付き合って。買い物』と彼からメッセージが送られてきたのは朝早くのことだった。その通知に慌てて飛び起きてバタバタ支度をし始めたのだけれど、待ち合わせ場所として提示されたのは夕方近い時間だった。さすがに一時間後などと言ってくるほど揚羽くんも非常識ではなかった。

けれども、顔を洗って、朝ごはんを食べて、朝の身支度をすっかり終える頃には、その夕方までの時間がひどく待ち遠しかった。

「置いてくから。あんまりぼんやりしてると」
「待って」
「揚羽、置いてかないでくださいです〜!」

待ち合わせ場所に蜂矢くんがいたことは驚いたけれど。揚羽くんは最低限の連絡事項しか送ってこなかったのだ。そもそもふたりでとも言われていなかったから、私が勝手に期待して勘違いしたとも言える。

実際、三人の方が会話は途切れないし、気が楽で良かった。揚羽くんと仲の良い蜂矢くんは、私と揚羽くんの会話を上手く繋げてくれるのだ。

「僕はいいですけど、さんを置いていったらダメですよ!」

蜂矢くんが私の隣に並んで揚羽くんの背中へ向かって言う。

「それに、彼女は揚羽の命の恩人なんですよね?」
「そんなんじゃない。命の恩人とか」
「でもさんに助けられたって揚羽自分で言ってたですよ!?」
「そういう風に思ってない、もう」
「あ、揚羽〜!?」

揚羽くんの言葉に何故か蜂矢くんが焦る。そんなに慌てなくても、揚羽くんがこういう風に言うのはいつものことだと私は分かっているのに。

最初は助けられたお礼、その次は駅でばったり、その次は蜂矢くんも交えてハンバーガー屋さんでご飯。まだそんなに沢山の時間を一緒に過ごしたわけではないけれども、少しずつ揚羽陸という男の子のことが分かり始めているように思っている。

「ごめんなさいです〜。揚羽はちょっと素直じゃないところがあるんです」
「大丈夫。それに命の恩人だなんて言うのが大袈裟なのは事実だって」

確かにそれは事実なのだ。夜の公園で、具合が悪そうにしているところに声を掛けたのは本当だけれども、それが命に関わるものだったかと言われるとそうではないのだ。揚羽くんの顔は元々色白だし、夜の暗さも相まって、余計に顔色が悪く見えた。実際揚羽くんも『疲れてただけ』と言っていたし。

今ならばあの公園で遅くまで練習をしていたのだと理解出来る。『良かったらこれ飲んで』と数分前にコンビニで買ってきたペットボトルを差し出したときの、彼の迷うような指先も、きっと本当に困惑していたのだろう。

「恩人とは思ってないけど」
「うん?」
「何とも思ってないわけじゃない。きみのこと」

そう言って彼のまっすぐな視線がこちらへ向けられる。彼の瞳があのときと同じように瞬いたけれど、その色は以前と少しだけ違うように見えた。ただ深く綺麗なだけじゃない、優しく柔らかい色が混じっているように思えるのは、私がそうだったらいいなと思い込んでいるせいだろうか。

「えっと、ありがとう」

これは多分、きちんと友達だと思っているということを彼なりに伝えてくれたのだと思う。何となく彼との関係を、友達と呼んで良いものなのか迷っていた。恩人でもなく、対等な友達だと言ってくれたことが嬉しかった。

「揚羽くん?」

私達が追いついたのに揚羽くんはその場所から動かない。疑問に思いながらも、一歩前へ出て揚羽くんの隣に並ぶ。彼はそれを確認すると、再び歩き出した。今度は先ほどよりも少しだけゆっくりして速度で。

「ちゃんとついてきて」

彼の髪がさらりと揺れるのを目で追っていると、彼の瞳が私を捉える。彼が話すとき、訴えかけるように相手の目をじっと見ることがあるのは知っている。だから、私が目を逸らしても視線が追いかけてくるのは、彼の癖のようなものだ。きっと他意はない。

そう分かっているのに、何故だか今の私にはそれがとてもくすぐったかった。

2018.12.28