竹谷が私の知らない女の子と肩を並べて歩いていた。
私はとっさに見たくないものを見てしまった、と思った。小さい頃仲の良かった幼馴染が女の子と歩いている姿を目撃することほど気まずいことはない。こんな迂闊に目撃されるなよ、と文句を言いたくなるぐらいだ。もし家で親がそれを話題に出したとき私はどんなリアクションをすれば良いのか分からないからもっと注意を払っていただきたい。
もっとも今ではこんなこと珍しくないのだ。もうすっかり竹谷と私の友好関係は一部を除いて被っていない。クラスも違うし。竹谷は明るくて気の良いやつだから友達は多いし。だから私が知らないってだけであの子もクラスメイトとかなんかなんだろう。本当に彼女かもしれないけど。もしくは彼女候補。
目を覆いたくなったけれど、そんなこと往来で出来るはずもなくて、私は必死で視線を逸らして、というかまるでお金が落ちていないか探すかのように必死の形相で下を向いて歩いた。じりじりと太陽が私の首筋を焼く。汗で背中がじとじととして気持ち悪い。早く帰ってクーラーのきいた部屋でごろごろしたい。
「あ、!」
それなのに竹谷ときたら私の努力を全く無視して何故か嬉しそうに私に手を振って近付いてくる。おいおいおいおい、何故そこで声を掛けてくる?私が折角気を遣って気付かないふりをしていたというのに、どうして私の気遣いを無駄にする?ものすごく気まずいのですが。隣を歩いていた女の子は「じゃあまたね、はっちゃん!」と笑って四つ角を曲がっていった。残された私と竹谷。どこかでセミが声を張り上げていて、私たちの沈黙を緩和してくれていた。
「はっちゃん…」
私は小さく呟く。この呼び方は私だけのものだったはずだ。いや、私だけのものってわけではないか。昔は皆竹谷のことをはっちゃんと呼んでいた。だけどそれをあの子が呼ぶとまるで幼なじみという私のポジションを奪われてしまったような心地がしたのだ。竹谷の幼なじみは私なのに、という子どもっぽい考えだ。竹谷のことを誰がどう呼ぼうと私には関係ないはずなのに。そもそも今となっては私だって竹谷と名字で呼んで「はっちゃん」などとは長いこと呼んでいない。
「流行ってんだよ」
私の呟きを聞きとめたのか、竹谷が説明を加える。「皆あだ名で呼び合うのがクラスで。しかもなぜかガキの頃のあだ名」と言って竹谷は笑った。「雷蔵はらいらいで三郎はさぶちゃんだぜ、うけんだろ」それを聞いて私もつられて笑う。そんなかわいいあだ名で呼ばれるのを少し恥ずかしがる不破くんと、あからさまに嫌がる鉢屋くんの表情が思い浮かんだ。特に鉢屋くんにさぶちゃんは似合わなすぎる。
「だから変な勘違いすんなよ」
私がケラケラ笑っていると竹谷が何故か釘を刺すように言った。竹谷の真っ直ぐな視線に絡め取られて動けなくなる。「勘違いって何のこと?」と私は一応とぼけてみせる。けれども竹谷にはすべて見透かされているような心地がする。私が耐え切れなくなって視線を外すと竹谷もすぃっと視線を私から逸らして遠くを見るような顔をした。
「そういや、いつの間にか俺のことはっちゃんって呼ばなくなったな」
ぽつりと思い出したように竹谷が言う。一体いつのことを言っているのだと私は少し呆れる。そういえばの話ではないというのに。
「呼んでよ」 「な、なんで!」 「俺もって呼ぶから」 「それこそなんでよ!大体小さい頃はちゃんって呼んでたでしょ」 「そうだっけ?さすがにちゃん付けはちょっとなぁ」 「そうでしょ」 「んじゃ、俺のことハチって呼べよ。俺はお前のことって呼ぶから」
ドキンと心臓が跳ねた。多分竹谷が私の名前を呼んだことに対して。
「何言ってんの、たけや」 「ダメ。竹谷禁止!」
そう言って竹谷は私の発言を遮る。ただでさえ動揺して固まってしまっているのに、こんなのずるい。そんなこと言われたら私は何も反論できなくなってしまう。
「それに、何の意味があるの?」
私がやっと絞り出してそう言うと、彼はいつもの見慣れた笑顔を見せた。私はその笑顔が眩しすぎて、視線を下げたけれども、彼の着ている白いワイシャツも私にとっては眩しすぎた。半そでのワイシャツから伸びる腕、とか。
「意味なんてないけど?そうだな、強いて言えばただ俺が嬉しいだけ!」 そんな風に笑わないでほしい。全部勘違いしちゃうから。竹谷にとって、私たちはただの幼馴染でそれ以上でもそれ以下でもないんでしょう?ねぇ。 「は嬉しくない?」
どうしてそんなことを聞くの?そんなの答えは決まっている。
通り過ぎる夏
|