パチンと算盤をはじく音だけが部屋に響いている。その聞き慣れたはずの音がいつもより大きく聞こえたような気がして私は体を強ばらせた。響く音が部屋にいる人間の少なさを意識させる。ちらりと右隣を見ても空席、左隣を見ても空席だ。常なら私の両隣からは元気な声が飛び交っているのに。

静かなのはどうも落ち着かない。それ以上に斜め前に座ってひたすら算盤をはじく人物とふたりきりだということを意識してしまって、私わそわそわと座りなおしたり、帳簿を何度も書き損じてしまったりしていた。斜め前にいる委員長が怖いわけではない。


「はい、何ですか!」

むしろ彼を好いているからこんなにも緊張しているのだ。同じ会計委員の相手は委員長だというのにこんなことでいちいち意識していたのでは心臓が持たないことは分かっている。それでも、例え無愛想であっても名前を呼ばれたことに心臓が跳ねる。

「さっきからどうした。厠なら早く行って来い」
「は?」
「だから、さっきからそわそわしてただろ。我慢しない方がいいぞ」

一瞬言われた意味が分からなかった。先輩が勘違いしていると分かった瞬間、体が一気に熱くなった。恥ずかしさではなく、怒りでだ。

「潮江先輩サイテーです、デリカシーがないです!」
「でりかしー?」
「だから潮江先輩はモテないんですよ!」
「はぁ?」
「立花先輩だったらこういうこと言わないんだろうなぁ。作法委員が良かったなぁ」

作法委員だったらきっとこんなふうに徹夜で帳簿を仕上げるなんてこともしないだろうし、もっと先輩に気を遣ってもらえるだろうし。生首フィギュアはちょっとこわいけれども、徹夜するよりは健康にいいはずだ。

「あのなぁ、言っとくけどさっきのお前を見たら仙蔵も俺と同じこと言うぞ」
「言いません」
「仙蔵も別に女扱いに慣れてるわけじゃないからな。人の気持ちとか全然読み取れねーし」
「うそですよ!そうやって自分の罪を軽くしようたって無駄です!」

立花先輩とは個人的にお話したことはなかったが、よく知らなくったって潮江先輩よりマシなことは分かる。というより潮江先輩は今私の中のデリカシーないランキングぶっちぎりの一位だから、それに追いつくにはそうとうの人物でないとダメだろう。私が言ったことに対して潮江先輩は何か言いたそうに口をぱくぱくさせたが、すぐに諦めたように閉じた。

「…もういい」
「言いたいことがあるならはっきり言ってくださいよ」
「いや、いい」
「なんで途中でやめるんですか!それでも会計委員長なんですか?」
「じゃあ言うけどなぁ、お前意識しすぎ。見て見ぬふりするのにも限度がある」

その言葉の意味を理解した瞬間、かぁっと再び体が熱くなった。思わず机を揺らしてしまい、墨がはねて紙の端を汚した。「な、な…」と意味のない言葉が口から出る。そんな私を横目に潮江先輩はいつもと変わらない表情で私の手元に合った帳簿を手に取ってパラパラとめくると、ショックで固まっていた私に「今日はもう帰っていいぞ」と言った。

「さっきまで俺がどれだけ気まずかったか理解できたか?」

さっきは普通の顔をしていたのに、いつの間にか潮江先輩の口元はにやりと持ち上がっていた。理解できたなんてもんじゃない、こっちは恥ずかしくて消えてしまいたいくらいだ。潮江先輩は最初から知っていてわざと的はずれなことを言っていたというのか。自然と背中が丸まってどんどん小さくなる。最終的に私は頭を抱えて机に突っ伏した。

「どうしてバレてたんですか」
「俺ひとりじゃあ気付かなかっただろうな。仙蔵がからかうから気付いた」
「立花先輩サイテーです」
「だから言っただろ。仙蔵も俺と大して変わらないって」

私とは対照的に先輩はなぜか楽しそうに笑う。私はその姿を腕の隙間から見て、やっぱり潮江先輩と立花先輩は同室だけあって似たもの同士なのかもしれないと強く思った。

2011.08.11