私は尾浜先輩がお茶請けを出そうと立ち上がるのを見ていた。その拍子に尾浜先輩の髪が動きに合わせて揺れていた。

私は尾浜先輩の髪を引っ張ろうとしてそっと手を伸ばす。あとちょっとでその髪の束に手が届くというところで尾浜先輩が急に振り返った。その勢いで尾浜先輩の長い髪がバシっと私の顔に当たった。

「痛!」
「何か用?」

私が痛がってるのに尾浜先輩はまるで気にしていない。謝る気配もない。そのくせに私が頬を抑えてる手に尾浜先輩は自分の手を重ねてくる。絶対にわざとやったくせにそうやってやさしいりをするのはずるい。でも私は騙されない。

「特に用事はないですけど」
「でも今俺を呼び止めようとしてただろ」

やっぱり手を伸ばしたのを見られていたみたいだ。尾浜先輩は後ろに目がついているのだろうか。尾浜先輩なら髪の毛の先に視覚感覚があったりしても不思議ではないかもしれない。

「本当に特に用事はないです」
「用もないのに俺を呼び止めるの?」

別に呼びとめようとしたわけではないのだけれど、髪を引っ張ろうとしたなんて言ったら怒られそうだからそういうことにしておこうと思った。尾浜先輩は何やら楽しそうに笑っている。何が楽しいんだと思っていたら尾浜先輩の右手がぐわっと私の方に伸びてきた。ぐしゃぐしゃと私の頭が撫でられる。それは撫でるというよりも頭をかきむしる勢いで確実に結った髪が解けているだろう。

「尾浜先輩何するんですか!」

そう怒った声を出したのに尾浜先輩はおおらかな笑顔を崩さなかった。私がいくら向きになったって尾浜先輩はそれがまったく気にならないみたいにいつもどおりの笑顔だ。それどころかこうして私が怒るのを楽しんでいる風でもある。

「大丈夫、はどんな格好でもかわいいよ」
「今それを言わないでください!自分でひどい格好にしといて!」

どうせかわいいと言われるのならば普段か、それかもっと着飾っているときに言ってもらいたいものである。先輩に指導してもらおうと授業の練習にとめかし込んだ姿を見せに言っても『あー、うん、いいんじゃない?』とかしか言わないくせに。かわいいと褒めてくもしなければ、どこがダメだとか今後の授業に役立つこともいってくれない。それなのに、こんな格好のときにかわいいと言われてもからかわれているとしか思えない。

「じゃあ俺が結い直してあげるよ」
「お断りします」
「まぁそんな遠慮するなって」

なりふり構わず逃げようとしたのに既のところで尾浜先輩に右手を捕まれてしまった。手を引かれて尻もちをつきながら元の位置に座らされる。「いたい」と抗議の声を上げると「が逃げようとするから」と尾浜先輩はしれっと言う。

「尾浜先輩に任せると変な髪型にされそうだから嫌です」
「まっさかぁ。俺にはタカ丸さんみたいな技術はないよ」

そう言いながら尾浜先輩は私の髪紐をするりと解いた。櫛がここにはないから手で私の髪の毛を梳いていく。絶対髪の毛を引っ張ったりしてくると思ったのに先輩の手つきは意外にもやさしかった。私の髪の毛が絡まって痛くならないようにちゃんと注意してくれているみたいだった。さっき私に尻もちをつかせた人とはまるで別人みたいだ。

「できた!」

思ったよりも早く解放されて、一体どんな奇抜な髪型にされたのかと思いおそるおそる頭に触れて確認すると思ったよりは普通ではあった。それには安堵しが、元のように結い直されているのではなく高い位置でふたつ結びにされていた。

「ほーら、ふたつ結びもかわいいよ」
「これじゃあ頭巾かぶれないじゃないですか」

そう言って怒ってみてもさっきのように笑って受け流される。尾浜先輩は私が凄んでみても全く怖くないのだろう。いつだって私が少し声を荒らげたくらいじゃあ先輩は反省しない。

「よーしよし!」

反省するどころか尾浜先輩は私を後ろから抱え込むようにして腕を回した。まるで一年生にやるみたいにぎゅうぎゅう抑えつけられて痛い。

「どうしてこんなことするんですか」
「それはがかわいいからさー」

歌うように先輩は言う。尾浜先輩は時折私をまるで一年生ふたりと同じような扱いをする。私だって一応上級生なわけだし、そもそも尾浜先輩とは年がひとつしか離れていないのだからそんな子どもにするような扱いを受けて嬉しいわけがない。私は一年生じゃありませんと抗議しても先輩は「知ってるよー」としか言わない。

もしかしたら尾浜先輩がぐしゃぐしゃぎゅっぎゅってやってくるのは私が尾浜先輩の髪の毛を引っ張りたい衝動に似ているのかもしれない。定期的に尾浜先輩の髪の毛を思いっきり引っ張ってやりたいと思うのだけれど、その理由ははっきりとしない。尾浜先輩の髪を引っ張って痛い思いをさせてやろうとかそういう気持ちはないのだけれど、尾浜先輩が仮にそれで痛いと言っても私はそれをやめないだろうなと思う。実際髪の毛をつかむことに成功したことはないから本当のところは分からないけれども、そんな気がする。なんだか無性にもやもやしたなんだかよく分からない気持ちがむくむくと膨らんできて、私はそっと尾浜先輩に手を伸ばすのだ。原因が分からなから自制の方法も分からない。

しばらくぎゅうと潰されていると尾浜先輩は満足したようで私から離れていった。それはあまりにも唐突で、あっさりと離れていったものだから私は少し拍子抜けしてしまう。少しだけ、ほんの少しだけ尾浜先輩のことが分かったような気がしたけれども、それはやっぱり気のせいで尾浜先輩の考えることは私には分からない。きっとそれを先輩に告げたならば『忍者は簡単に人に心を知られてはいけないんだ』とかなんとか先輩らしくまたい組の優等生らしく忍者の心得みたいな教科書に書いてありそうなことを言うのだろう。だから、言わない。

私を放して立ち上がった尾浜先輩の髪がまた揺れて私は再びその髪の毛を引っ張りたい衝動に駆られたのだけれど、尾浜先輩にぎゅうぎゅうに潰されてぺたりとおしりを床にくっつけていたから手を伸ばすことが出来なかった。

その間に尾浜先輩は私の手の届かないところまで行ってしまった。部屋にある棚の前に立ち、なにやらごそごそと中をかき回している。部屋の少し離れたところで仲良く予習していた一年生ふたりが顔を上げて尾浜先輩に注目している。私はそのふたりの様子を眺めながら、先輩によってふたつにくくられた髪を解いてひとつに結い直す。勝手に解いたら尾浜先輩がうるさそうな気がしたけれども、かまうもんかと思った。

、大福食べる?」

不意に影が落ちてきたかと思って顔を上げると、尾浜先輩が大福が二個入った包みを私に差し出した。振り返ると庄ちゃんと彦ちゃんはいつの間にか大福を手にしていて、もっきゅもっきゅと食べていた。

差し出された包みには白いのと薄く桃色に色がついたのがふたつあったので「ピンクのください」というと尾浜先輩は私に白い方を差し出して、色が付いたかわいい方を自分の口に入れた。

「あー!あー!」
「何、?ちゃんと日本語喋りなよ」

そう言う尾浜先輩だって大福をくわえているせいでもごもごとした喋り方になっていて人のこと言えないじゃないか。それを指摘しうとして口を開いた瞬間口に何かを突っ込まれた。文句を言ってやろうと思ったけれどももごもごとした声しか出なかった。口の中に甘い味が広がる。見ると尾浜先輩の口は綺麗な弧を描いていた。

「それあげる。ほしかったんだろ?」

尾浜先輩はやっぱり意地悪だ。大福くれるのはとてもありがたいけれど、だったら普通にくれたらいいのにと思う。大体口に入れてしまったら色が見えないじゃないか。私は食べる前に色が付いてかわいい丸い大福を見て楽しみたかったのに。

不満を訴えるように見上げると尾浜先輩はまた何やら楽しそうな表情を浮かべて私の頬に手を当てた。

「口の端にあんこが付いている」

そう言って尾浜先輩の親指が私の口の端に触れた。

2011.04.06