「お前、兵助のこと気になってるだろ」

「っていうか好きだろ」と廊下の向こうからやってきた鉢屋三郎は私と対峙するなり、右手の人差し指をびしりと私に突きつけて言った。会っていきなりそれか。しかもこんな廊下で話すことか。今は放課後で廊下には私と三郎の姿しか見えないが、それでもこんなところで出す話題ではないだろう。

「はぁ?そんなわけないじゃん」

内心心臓をドキドキバックンバックン言わせながら私は平静を装って言った。なかなか冷静な声が出たと思う。私に向けられた人差し指を掴んで下ろしながら馬鹿馬鹿しいと言うような表情も作ってみせる。私ってばなかなかの演技派である。

「私久々知のこと全然知らないんだよ」

そう、私は三郎の言う兵助こと、久々知兵助と親しいわけではないのだ。クラスも違うし、私と久々知が親しいわけがないのだ。ただクラスメイトである三郎の友人というので少しばかりの接点があるだけだ。

「何考えてるか分からないし、ありえないよ」

久々知と言えば秀才で運動も出来て顔も良くてミステリアスでかっこいいと女子に大人気なだけあって、本当に喋っても表情が読めないやつだったりする。これが私が久々知との数少ない会話で得た情報である。

「そうやってムキになるところがあやしい」

私が否定すれば三郎はにやにや笑いながらそんなことを言う。じゃあ私にどうしろというのか。全然ムキになってないし!私全然冷静にあしらったじゃないかと文句を言ってやりたかったが、それこそきっと三郎の思う壺なので言わないけれど。

「だって、兵助みたいなやつタイプだろう?」

三郎と私は似たもの同士なのだ。だからきっと私の考えてることが分かってしまうんだろう。だから三郎はこんな自信満々に言うのだ。でもそれにはきっと根拠はない。

「何知ったような口利いてるんだか」
「なんだせっかくこの鉢屋三郎が相談に乗ってやるって言ってんだぞ」
「頼んでマセン」

ノーセンキューと手をばってんにしてそのまま立ち去ろうとするとその腕を三郎に掴まれた。振り返るとそこには新しいおもちゃでも見つけたような三郎の楽しそうな笑顔があった。

「まぁ聞けって。お前はとりあえずもう少し素直になれ。私を見習え」

三郎を見習えって何だと言いたかったが言い返せなかった。悔しいが確かにこいつには彼女がいて、やつは完全に勝ち組なのだ。三郎はいつもこんな感じだから彼女とは言い合いをしているが仲睦まじいのは誰の目にも明らかで。三郎は彼女のことが大好きで、大切にしている。三郎の場合素直すぎるが。

私が言い返せないのを見て三郎はふふんと得意気に笑った。その顔が癇に障った。彼女にフライパンで潰されてしまえばいい。そう思いながらブンと腕を振り払うと、廊下の曲がり角に人影が出来て私は口を噤んだ。今の話を人に聞かれると面倒くさいことになる。それは避けたかった。どうか噂好きのくのたまじゃありませんように。

「あ、鉢屋と、いいところにいた。久々知を見なかったか?」

願いが通じたのかひょこりと廊下の角から姿を見せたのは両手いっぱいに授業の資料を抱えた土井先生だった。それは良かったのだが、先生までもが私にとってのNGワードを口にしたのだった。まさか土井先生が彼の名を口にするとは思ってもみなかったから、私はついびくりと体を強張らせてしまった。三郎がそれを横目で見てふふんと笑ったような気がした。

が探してくれるらしいですよ」
「え、ちょっと」
「本当か、?助かる」
「いや、私は」
「こいつも久々知に会いに行くところだったから丁度いいですよ」
「じゃあ、あとで職員室まで来てくれるよう伝えてくれ」

私が反論しようと口を開ける前に先生は「頼んだぞ」と言ってそのまま廊下を行ってしまった。

「頼んだぞ、

そう言って三郎がポンと私の肩を叩いて言う。そんな三郎を軽く睨みつけてやったが、やつはそんなのどこ吹く風で「お前はもっと積極的に行かなきゃダメだ。ダメだ」と説教してくる。なんで二回もダメだを繰り返したんだ。

「ちなみに兵助はさっきまで私と一緒にいて、一度教室に忘れ物を取りに行くと言っていたぞ」
「知ってるなら自分で行けばいいじゃない」
「私は忙しいんだ」

白々しいと私は思った。どうせ大した用事でもないくせに。忙しいんだったらこうして私とこんなところで喋ってる場合じゃないだろうに。

「どうせ彼女のところに行くんでしょ」
「よく分かったな。私のかわいいかわいい彼女が待ってるんだ。豆腐小僧のところへは独り身のが行けばいい」

言い方がいちいち気に食わないが彼女を待たせるのもかわいそうだと思い黙っておいた。ちなみに私がかわいそうだと思っているのは三郎の彼女の方であり、三郎自身ではない。

「ま、頑張れよ」

そう言って三郎は私の背中を押して言う。本当に調子のいいやつだ。本人はいいことしたぐらいの気持ちでいるんだろうが、こちらとしては余計なお節介でしかない。そもそも私の気持ちを勝手に決め付けてくれちゃって、いい迷惑である。

やっぱり一言文句を言ってやろうと振り返ったが、すでにそこに三郎の姿はなかった。なんて足の速いやつだ。きっとるんるん気分で彼女に会いに行ったのだろうと考えるとひとりで人気のない廊下を歩いている自分が惨めに思えてきた。早く久々知を見つけて友達のところにでも行って遊んでもらおう。やはり持つべきものは友達である。決して鉢屋三郎なんかではなく。

そう思い、久々知の教室へ足を向ける。久々知の教室は確かこっちだったはず、と廊下を曲がると丁度そこから出てくる人物の姿が見えた。見間違えるはずがない。

「あ、久々知!」
か。何か用?」

ナイスタイミングである。これ以上遅かったら私は久々知を探して学園中を駆け回らなければならなかっただろう。私を視線に捕らえてきょとんとした表情で立ち止まった久々知に駆け寄る。そんなに驚いた顔しなくても良いのに。それほど私に話しかけられたのが以外だったのか。一応同い年のくのたまで友人の友人という小さな繋がりもあるんだからそんな顔しなくてもいいのに、と私は苦笑する。久々知は人見知りなんだろうか。

「久々知、さっき土井先生が呼んでたよ」
「いつ?どこで?」
「さっき渡り廊下歩いてたときに久々知知らないかって聞かれた」
「ふーん」
「心当たりある?」
「ないこともない」

久々知は表情を変えずに言う。いつの間にか私から視線を外して、窓の外を眺めている。こういうクールな横顔に女の子はきゅんときちゃうんだろうなぁと私は冷静に観察していた。無愛想なだけだと思わなくもないが。

例えば久々知に挨拶したってにこりともせずに私をその女の子のように長い睫毛の目で見つめ、「おはよ」と一言だけでさっさとその場を立ち去ってしまう。三郎だってもう少しマシな挨拶を返してくるというのに。私と久々知はその程度の関係なんのだ。友人の友人。赤の他人ではないけれど、顔見知り程度。それ以上ではない。きっと三郎や雷蔵がいなければ関わらなかっただろう。

そんなことを考えながら久々知の長い睫毛を見ていたら、ふいに久々知がこちらに視線を戻したものだから、私はその大きな瞳に吸い込まれてしまった。『お前兵助のこと好きだろ』と三郎の声が脳内に反響した。

「ああ、探してくれてありがとう。

そう言って久々知は軽く微笑んだ。そういう表情を見せないでほしい。悔しいが、非常に悔しいことだが、久々知の見た目は私の好みど真ん中なのだ。顔もそうだし、真面目なところとかも私のタイプで。

これで惚れない方がおかしいのだ。

本当は三郎に彼を紹介されたときから惚れてしまっていたのだ。

無愛想に挨拶を返されたって言葉を交わせただけで嬉しくて、日曜日の日暮れあたりに中庭で猫と戯れている久々知を見れたらとてつもなく珍しいものを見れたんじゃないかってお得な気分になるし、憂鬱な試験期間だって久々知が図書室で勉強しているのを見ると私ももうちょっと頑張ろうかなって思えるし。久々知の一挙一動で私の気分はこんなにも揺り動かされてしまうのだ。

久々知に惚れるはずがないとか言いつつ、誰よりも久々知の気を引きたくてしかたなかったのは私なのだ。

そのくせ自分から挨拶するものの、緊張から無愛想な顔しか作れなくて。私のアピールなんてアピールのうちにも入らないのだろう。久々知はモテるからもって熱烈なアタックとかされてるんだろう。それを思うと自分にとても出来やしないと、最初から諦めてしまっていた。

「どういたしまして!」

今の私は上手く笑えてたかな。今はこれが精一杯なんだけど、明日からもう少し積極的になれたらいいな、なんて。
 

メランコリックにさよなら


 10.09.04//か子