「君、具合悪いだろう」

授業が終わり、今日の委員会は何をするんだろうと考えながら廊下を歩いていたときだった。ふいに声を掛けられた。私はぎくりとして振り返る。

「え、えーっと…、どうして分かったのですか?」
「そりゃあ六年間保健委員をやっていたらちょっと具合悪い生徒はすぐ分かるよ」

振り返ると思った通りいつもの笑顔を携えた保健委員長善法寺伊作先輩がいた。ああ、間の悪いときに見つかってしまったと思ったが、善法寺先輩の言うことが的を射ていたので私は納得してしまった。確かに私は終業の鐘が鳴ると同時に委員会へ向かう。それは七松先輩の暴走を止めるためだ。でも今日私が走って委員会へ行かなかったのは確かに少し頭痛がしたからだった。

「分かったらちょっと保健室に来てね。診てあげるから」

そう言って善法寺先輩は保健室へ向かって行ってしまう。正直、それよりも早く委員会に行きたかったのだけれど、逃げるなんて善法寺先輩が許すはずないので、仕方なく後をついて歩いていった。

「その辺適当に座ってねー」

保健室に着くと善法寺先輩はそう言ってさっそく薬棚をごそごそやりだした。そうしたあとくるりと振り返って、私の額に手を当てた。善法寺先輩の手は意外にもひんやりしていた。

「うーん、熱もちょっとあるみたいだね。風邪かもしれない」

そう言うとまた薬棚を開けていくつかの薬草を出すと煎じ始めた。ごりごりと薬草がすり潰される音を聞きながら、熱まであるだろうかと自分でも手を額に当ててみたけれども手も熱を持っているのかよく分からなかった。

「君は体育委員だったね?今日は委員会を休んだ方がいい」
「え…!」

風邪だと言われたときに既にこうなることは予想できたはずなのに私は驚いてしまった。自分の中に委員会を休むという選択肢がなかったのだ。

「何か今日は大切な用事でも?」
「いえ、そういうわけではありませんけど」
「だったら今日の活動も小平太のマラソンに付き合うだけだろう。委員会に出ても君がつらいだけだよ?」

善法寺先輩にそう言われ私は黙ってしまう。確かにその通りなのだ。この体調で委員会に行ったって足を引っ張ることは分かりきっている。特に体育委員の場合は。

「委員長には僕から言っておこうか?」
「いえ、大丈夫です。自分で言いに行きます」

善法寺先輩は「そう?」とあっさり引き下がると「これが薬。ちゃんと飲んでね」と先ほどまで煎じていた薬を私に渡した。そして先輩は私をじっと覗き込んで釘を差すように言った。

「ちゃんとあたたかくして寝てないと悪化するからね」
「はい。ありがとうございます、善法寺先輩。それでは失礼しました」

そう言って保健室を辞する。薬を懐へ入れ、七松先輩に会いに行かなければと考えた。けれども、今の時間七松先輩はどこにいるのだろう。もうすぐ委員会の時間だからもう校庭にいるだろうか。そう思いながら廊下の角を曲がるとその向こうに七松先輩その人の後ろ姿が見えた。これを逃してはいけないと私は慌ててその背中を追った。走ると頭がズキンズキンと一層痛んで、善法寺先輩の言う通りこれは寝ていないとダメかもしれないとうっすら思った。

「七松先輩っ!」
「ん?」

七松先輩が私の声に振り向いた。その瞳に私はドキッとする。委員会以外の場所で先輩に話しかけるのは何故か緊張する。七松先輩は私よりも大分背が高いから、先輩の視線が私に降りてくるのが分かる。委員会中はこんなこと全く気にならないのに、何故だろう。そしてこれから言うべきことを思うと憂鬱になった。

「あの、私今日頭が痛くて、その、委員会に出れそうにないんですけど」

言ってしまった。怒られるかもしれないと私はぎゅっと目を瞑って言った。委員会を休むのは初めてだから何て答えが返ってくるか全く分からない。そもそもこんな風邪程度で委員会を休めるものなのだろうか。七松先輩のことだから『体育委員がそんなことでどうする!』とか『体を動かしていればそんなの治る!』とか言われてしまったらどうしよう。

そのとき頭に七松先輩の大きな手が置かれた。

このまま頭を掴まれて校庭まで連れて行かれてしまったらどうしよう。そう思ったけれども、先輩の手はカシカシと私の頭を撫でた。

「大丈夫か?」

そう言って七松先輩は膝を曲げて私と目線を合わせた。やさしい瞳が私を捉える。

「伊作のところへは行ったか?寝てなくて平気か?」

頭に置かれた手があたたかい。七松先輩の手はなんて大きいのだろうと思った。七松先輩は私を心配してくれている。そのことがなんだかとても嬉しかった。

「さっき医務室でお薬はもらって、部屋で寝ていれば大丈夫とのことでした」
「そうか、なら安心だな」
「委員会出れなくてすみません」
「そんなことを気にしていたのか。責めたりしないから安心しろ」

ああ、七松先輩にこんなことまで気に掛けてもらって私は何をやっているのだろう。不甲斐なくて自分が嫌になる。

がいなくても平気だから」

ズキンと胸が痛くなったのが嫌だった。別に私が大した戦力になっていないのは前々から自覚していたことだ。ランニングに出たって私は付いていくのに必死で滝夜叉丸のように後輩を気に掛けることも出来ない。それでも付いていけるだけ大したものだと言われるけれども、それじゃダメなんだ。私が嫌なんだ。

「言っとくけどがいなくていいって意味じゃないからな。ただこんなことで無理させるわけにはいかない。分かるな?」
「はい」

顔に出ていたのだろうか、七松先輩がフォローしてくれる。暴君とか言われているけれども、七松先輩は本当はしっかりした委員長なのだ。委員長としての自覚はきちんとある。突然これから裏裏山までランニングに行くなどと多少の無理は言うけれども、私たち後輩のことも気に掛けてくれている。私たちが遅れればどんなに先に行ってしまっていても引き返して迎えに来てくれる。やさしい先輩なのだ。

「私はがいないと寂しい、居てくれなきゃ嫌だ。けれどもそれ以上にが大切なんだ」

七松先輩はいつも私にやさしい言葉を投げかけてくださる。私だけでない、後輩には皆平等にやさしい。だから私はこの委員会が好きなのだ。それなのに今の私は頭が痛いどころか胸まで苦しくなってきた。

「だから早く治せよ?」

そう言って七松先輩はまた私の頭をやさしく撫でる。いつもはもっと思いっきり、結わいた髪が乱れるくらいにガシガシと盛大にやるのに今日は私の体調を思ってかゆるゆると触れるだけだった。

「長屋まで送ろうか?」
「いえ、大丈夫です。それよりも七松先輩、早く委員会に行かないと皆先輩を待っていますよ」
「ああ、そうだったな!じゃあな、。明日には元気になって委員会来いよ!」

それだけ言うと七松先輩は走って行ってしまった。「無茶はしないでくださいねー!」と言う私の言葉はきちんと届いたのだろうか。あっという間に姿が見えなくなってしまった。それでも今日は裏山まで行くぞー!と言ういつもの声だけは聞こえてきて何故だか私はほっとする。行き先が裏山と近場だったからだろうか。七松先輩が私の言葉を聞き届けてくれたのだとしたら嬉しい。遠くから聞こえる七松先輩の声を聞きながら私は長屋へ足を向けた。

無自覚だった心