お風呂からあがった私が医務室の戸を開けると「おかえりー」という間の抜けた声が聞こえてきた。出来ればここには帰ってきたくなかったなぁなんていう私の気持ちは全く気付いていないのだろう。間の抜けた声の主である伊作は私の憂鬱な気分と対照的ににこにこと笑顔で私を出迎えた。

医務室に寝泊まりするというのはあまり気持ちのいいものではない。保健委員ではない私が医務室に寝泊まりする理由なんて怪我か病気のどちらかの理由しかないからだ。

「あったまった?」
「もう風邪なんて治ったのに」

私は今日だけで何度言ったか分からない言葉を再び言う。今回医務室にお世話になる理由は風邪だった。二日前に私は熱を出した。朝起きたら体がだるくて起き上がれなかった。おかしいなぁと思いながらもうんうん唸っていると同室の子が私の額に手を当ててその熱の高さにすぐに医務室まで運んでくれたのだった。そのときはさすがにつらく意識も朦朧としていたが薬と保健委員と新野先生の看病のおかげか今ではそんなものまるで嘘だったかのようにすっかりなくなっていた。

「治りかけが一番油断しちゃいけないの!」

元気だからもう自室に戻れると言っているのに保健委員長である伊作はそう言ってずっと私を布団に押し込めようとする。ここ二日間私は伊作によってもうずっと布団に押し込められっぱなしだ。風邪が治りかけのときほど退屈な時間はない。自分としては元気なつもりなのに病人扱いされるのはあまり気分が良いものではなかった。

「ほら、そんな濡れた髪でいたらまた悪化するよ」

そう言うとこちらの意見も聞かずに「貸して」と私の手からほぼ奪うように手拭いを取ってしまった。私の両肩に手を置いて無理矢理座らせるとわしゃわしゃと頭を拭き始める。伊作は病人である私に対して一から十まで世話を焼きたがるところがある。

「自分で出来るってば」
「遠慮しなくていいよ」

遠慮とかではなかったのだが、伊作のこちらを気遣う声で言われてしまうと黙るしかなかった。伊作の拭き方はあまり上手とは言えない。伊作に拭かせるとお得意の不運を発揮して髪がこんがらがったりするからだ。それでも人に頭を拭いてもらうというのは気持ちのいいもので、特に伊作は何か不運で私の髪を傷つけないようにと気を遣ってやさしくしてくれる。不運がやってこないうちは伊作にこうして髪を拭いてもらうのは好きだ。心地良くて、安心して眠くなってしまう。

、まだ寝ちゃだめだよ」
「だいじょーぶ、起きてるよ」
「本当に起きてる?」

後ろからくすくすと笑う声が聞こえる。それすらも心地よくて私は目を閉じた。寝るつもりではなかったのだけれど、目を閉じると一気に眠気がやってきた。やっぱり風邪を引いて少し体力が落ちているのかもしれない。

「頭ぐらぐらして拭きにくいよ」

伊作の言うとおり私の頭はいつの間にかこくりこくりと船をこぎ、伊作が手を動かすままに右に揺れ左に揺れている。分かっているのだけれど、どうも眠気には勝てない。やさしい手つきで伊作の指が私の髪に触れ、丁寧に丁寧に水分を拭きとってくれる。伊作の指先が地肌に触れた瞬間、少しだけ心臓が鳴る。そうしている間に彼の指は毛先まで流れていって少しほっとするとまた戻ってきて地肌に触れる。そのドキドキを忘れるためにも眠気に身を任せて逆らわないようにしていた。何も考えないように、何も考えないように。

「寝たら伊作が布団まで運んでくれる」
「もー、仕方ないなぁ」

風邪を引くと体はだるいし医務室は退屈だし伊作の小言はうるさい。あと薬草くさいし保健委員と一緒にいるから不運に巻き込まれそうになる。けれども、こうして伊作に甘やかされるのだけはなかなか悪くないなぁと思う。また彼の指が私の髪に触れた。

2012.05.14