午前の終業の鐘が鳴って、今日のお昼は何かなぁと考えていると外から何やら騒がしい声が聞こえた。何だろうと思って窓の外を見るように首を伸ばすと緑色の制服が目に入った。六年生が何を言っているのかまでは聞き取れないが何やら楽しそうだ。あの中に伊作くんもいるのかなぁと考えていたら「」と友人に名前を呼ばれた。

「何してるの、お昼ご飯食べにいくよ」
「ごめん、今行く」

そう言って立ち上がった瞬間ガンといい音がして脛に激痛が走った。慌てた結果机に脛をぶつけてしまったのだと理解するのに少しだけ時間がかかった。思わず涙目でぶつけた右足を抱え込むと音に気が付いた友達がすぐ隣まで来ていて「またやったの?痛かったねぇ」と言って頭を撫でてくれた。

*

ぐいっと右腕を引かれた。腕を引かれて無理矢理振り向かされる。くるりと振り向いた先に伊作くんの顔がすごく近くにあってびっくりした。きょとんとしているうちに伊作くんは「やっぱり!」と大きな声を出した。

「また怪我したの?怪我したらすぐ医務室においでって言ったじゃないか」
「どうして分かったの?」
「歩き方がちょっと変だったから」

さすが保健委員長と私は心の中で感心した。ちょっとすれ違っただけで分かるなんて人のことをよく見ている。

「医務室に行こう。歩くのは大丈夫?」
「ただの打撲で、ちょっと痣になっただけだから」

伊作くんはやさしくて、怪我をした人を放っておけない。そして伊作くんに怪我してるのを見つけられたら最後、治療するまで絶対に放してくれない。そのことを身を持って知っている私は抵抗せず伊作くんに腕を引かれるままついて行った。

こうして手を引かれるのはいつまで経っても慣れない。伊作くんの手は大きいなぁとかそんなことばかりを気にしてしまう。特に親しい男の子がいない私は免疫がないので無駄に意識してしまう。うそです。伊作くんだから気になる。

入ってと言われるままに医務室に入る。丁度交代の隙間だったのか部屋の中には誰もいなかった。もしかしたらこれから伊作くんが当番だったのかもしれない。適当な場所に座り込むと伊作くんはその正面に腰を下ろした。

「また君はそうやって怪我ばかりして。今日はどうしたの?」

いつだか乱太郎くんに『先輩は保健委員並に怪我してますね』と言われてしまったことがある。ひとつひとつは大したはない怪我なのだけれどそのたびに伊作くんに見つかって医務室に連行されてしまう。

「ぼんやりしていたら机の角っこにぶつかってしまって」

まさか伊作くんのことを考えていたら机の角にぶつかったとは言えなくてそう誤魔化す。友人などは私のことをぼんやりしてるからとよく言う。親も私のことをよくぼんやりした子だと言う。しかし本当の私の脳はものすごく働いているのだ。人とどうやって比べたらいいのか分からないけれど、私の想像では私の脳みそは他人の倍くらいは物を考えていると思う。色々沢山考えることがありすぎて、現実のことが少しおろそかになってしまうだけだ。

「女の子なんだから痕残したらダメだよー」

それは伊作くんの言う通りで、女の子は傷痕を残さないに越したことはないのだ。お嫁に行く体は綺麗な方がいいに決まっているし、くの一になるにしても体は綺麗でなければならない。

「伊作くんも肌綺麗な女の子が好きかなぁ」

ぽろりと口から出てしまった言葉。この言い方はちょっと変だったかもしれないと思ったけれど伊作くんはいつもと変わらない表情で私の話を聞いてくれた。

「うーん、綺麗とか綺麗でないとかじゃなくて、好きな子には怪我しないでほしいかな」

心配しちゃうしね、と伊作くんは笑った。私はそれを非常に伊作くんらしい答えだなぁと思った。それと同時に伊作くんにも好きな子がいるのかとぼんやり思った。告白とかしないのかな。伊作くんはイケメンだから告白したら即お付き合いしましょうってなるだろう。もしかしたら私が知らないだけで、もう付き合ってる人がいるのかもしれない。だとしたらどうしよう。

「でも怪我したら医務室に来てもらう口実が出来るからいいかなー」

やっぱり伊作くんは好きな子がいるのだ。そうじゃなきゃこんな具体的に話せるわけがない。今伊作くんに思い浮かべられている女の子が心底羨ましかった。

「なんて思うけどやっぱり痛いのは嫌だから僕がそれ以外の場所で声かけれたら一番いいんだけどね」

伊作くんに声をかけられたら嬉しいだろうな。それは例えば食堂でだったり、いつも通る廊下でだったり。いつ伊作くんに声をかけられるか分からなくてきっと四六時中ドキドキしながら毎日を過ごすことになるだろう。そんなの心臓がもたないんじゃないかと思うけれど、私はそれがとても羨ましい。毎日の生活に伊作くんがいたらそれはとてもしあわせなことだと思う。

「伊作くんも、好きな子いるんだね」

さっきの言い方からするときっと片思いなのだろう。伊作くんほどかっこよくてやさしい人いないから早く告白してしまえばいいのにと思うけれど、そうすると私もこうしてのんきに片思いしていられなくなるので少し困る。いや、少しどころか大層困る。

「私とおそろいだね」

そう言うと伊作くんは一瞬変な顔をした。私も唐突に好きな人いる宣言をしすぎたかもしれない。

…」

いつもより小さな声で伊作くんが私の名前を呼んだ。ぐいと伊作くんの近づいた。ぎゅっと伊作くんが触れている足に彼の体重がかかった。

「痛っ」
「あ、ごめん!本当にごめん」

私の声にハッとしたように伊作くんは土下座しそうな勢いで謝った。痛いとは言ったけれどもとっさに声が出ただけで激痛というわけではなかったのに伊作くんは過剰に謝った。

「そんなに謝らなくてもいいよ」
「でも」

全然痛くないからと言っても伊作くんは本当に申し訳なさそうにする。伊作くんは私が痛がることに少し敏感だと思う。大丈夫だからと言うと伊作くんは口を開きかけたけれどやめて手当てに戻った。

「どうして」

どうしてこんなにやさしくしてくれるの?と聞こうとして、やめた。『それは僕が保健委員だから』という答えが返ってくるに違いないから。伊作くんは保健委員として私を治療してくれている。怪我人だから気にかけてくれる。私が怪我人だから。それ以外の理由はないのだ。伊作くんは万人にやさしい。

「ん?」

伊作くんが顔を上げてこちらを見る。至近距離の彼の目に私はどきりとして目を伏せた。自分の怪我した足を見て、それに軽く触れる伊作くんの手を見た。なんでもないよと小さく言うと伊作くんは「そっかぁ」とだけ言って治療に戻った。

「包帯巻くからきつかったら言ってね」

私も痛いのは嫌だけれど、伊作くんに手当てしてもらえるのはとても嬉しいなぁと思ってしまう。包帯を巻くのは少々大げさすぎないかと思うけれど、手当てが終わらなければ長く伊作くんと一緒にいられるからそれもいいなと思ってしまった。

2011.03.28