ここは丁度くのたま長屋と医務室の中間ぐらいの距離のところにあった。長屋から来るのも、医務室から来るのも、丁度同じくらいの時間がかかる。建物から少し離れているためか、人通りは極端に少なかった。さらさらと葉と葉が擦れる音が聞こえる。
私はこの場所が好きだった。人があまり来なくて静かだし、そのわりに風通しが良くて心地良い。私は少しひとりで考え事をたいときや、お昼寝するとき、読書するときなど好んでこの場所を選んでいた。
こうして木陰に座り込んで目を閉じていると落ち着くのだった。何も考えずにすむような気がして。
「」
そう名前を呼ばれて目を開くとそこには緑の装束に身を包んだ人物がいた。丁度逆光になっていて一度私は目を細めた。顔がよく見えなくたって分かる。声で、仕草で、何より私が呼び出した人物だったからだ。
「いさく先輩」
目が明るさになれて段々とその人の姿がはっきりと見えてくる。
「ああ、良かった。もし熟睡してしまっていたら起こしたら悪いと思って」 「いえ、少し考え事をしていただけですから」
そう言ってお尻についた土を払って立ち上がる。私が呼び出したのにすみません、と謝ると伊作先輩は笑って「いいんだよ、僕も授業が長引いて遅くなっちゃったからね」と言う。それを分かっていて放課後を指定したのだから絶対に私が悪いのだけれど。先輩が来るまで少し時間がほしかったのだ。自分を落ち着かせる時間が。
「それで、話って何かな?」
きた。
さっそくきた。もう少し時間をおいてくれたっていいのになぁと私は心の中で苦笑する。昨日の委員会活動が終わったあと、『伊作先輩に折り入って話したいことがあるので明日の放課後少しお時間をいただけますか』なんて言ったのだから、こうして伊作先輩が本題に入ろうとするのは当然のことなのだけれど、先輩はきっとこの呼び出しの意味を分かっていないんだろうなぁと私は先輩のあほみたいな笑顔を見ながら思う。女の子が異性をこんな人気のないところに呼び出して言うことなんてひとつだろうに。もっとも、私の呼び出し文句もそんな気配を全く感じさせないものだったのも問題だろうけど。
私は大きく息を吸い込んだ。この空気を吐き出すときに一緒に言ってしまおうと思った。
「わたし、伊作先輩のことがすきなんです!」
言った。言ってしまった。勢いで滑り出た言葉。下げた視線は元に戻せない。きつく握り締めたこぶしをじっと見ることしか出来ない。爪が食い込んで少し痛いけれども力を抜くことが出来ない。
ずっと伊作先輩のことが好きだった。同じ委員会の先輩はとてもやさしい人で好きになるのはわけなかった。どこか抜けているところのある人だけれども、六年生だけあっていざというときは頼りになるし、向けられる笑顔が眩しくて私はころっと落ちてしまったのだ。
ころっと落ちてしまってからもうすぐ一年経とうとする頃私は彼に告白しようと思った。たとえ結果がどうなろうとも。もしかしたらという可能性に縋りたかったのだ。
「」
やさしい声で先輩が私の名前を呼ぶ。それはいつもと変わらないようにも、特別な響きを持っているようにも聞こえた。顔が上げるのがこわくて、でも上げないわけにはいかなくて、私はそっと視線を上に向けた。
あ、振られる。
一瞬にして私はそう悟った。伊作先輩の目はどこか悲しそうなつらそうな目をしていたから。どうしてこんな顔をするのだ。どうしてあなたがこんな傷ついた顔をするの。見ていられなくて私は再び俯く。もう二度と顔を上げることなんて出来ないと思った。
「」ともう一度先輩が私の名前を呼ぶ。もう私にはその声の意味が分かっていた。
なかったことにしたい!
そう強く思った。時間が戻ればいい。先輩にこんな顔をさせたかったわけじゃないのに。こんな風に困らせたかったわけじゃ、なかったのに。じゃあどうしてほしかったのかと言えば私には答えられないのだけれど。いっそのこと子ども扱いして、『僕もすきだよ』なんて笑ってあしらってくれれば良かったのに。そうしたら今までのままでいられたのに。どうして私は言ってしまおうと思ったのだろう。
「、こっち向いて」
伊作先輩がやさしい声色で諭すように言う。私はその声につられるようにゆっくりとそちらを向く。そもそも私が伊作先輩の言葉を無視することなんて出来やしなかったのだ。すきなひとを無視するなんて。
出来るはずないのに。
伊作先輩は今どんな顔を上げた先にあった先輩の表情は微笑んでいた。ああ、やっぱり私はこの人が好きなんだって思い知らされた。いつもと変わらない表情のように見えるこの笑顔がすきなんだ。この状況で微笑んでくれる伊作先輩が好きだ。
「ごめん、ね?」
決定的な言葉だ。何に謝っているのかなんて聞かなくたって分かる。お断り、という意味だ。相手を振るときの常套句。それが分からないほど私はお子様ではないつもりだ。
「それは、どう頑張っても変わりませんか?」
でも少しの可能性に縋ってしまう程度には子どもだった。その問いに対して伊作先輩は何も答えず、ただ微笑んでみせただけだった。ずるいなぁ。私は一度俯いて何度か目を瞬かせる。そして小さく息を吐いてから、顔を上げる。今度はしっかり伊作先輩の目を正面から見据える。
「三年後、私が立派ないい女になってても知りませんよ?あとで後悔したって遅いんですからね」 「はは、それは楽しみだなぁ」
私が大口を叩けば、そう言って伊作先輩は笑う。もういつもの笑顔だ。私の大好きな。
「、ありがとう」
そう言って先輩は私の頭を撫でる。触れられて嬉しいはずなのに、でもこのことが伊作先輩は私をどう思っているかを何よりも示すものだと思った。つまり、私はかわいい後輩であって、それ以上の存在にはなれないのだと。それでも先輩に撫でられるのは嬉しくて、心のどこかがほっこりあたたかくなる感覚がした。
いつまでそうしていただろう。目を開けるとそこにはもう伊作先輩はいなくて。心地良かった風もひんやりと冷たいものに変わっていた。ああ、そろそろ戻らないと風邪を引くな、なんてぼんやりと思った。夕飯の時間だって終わってしまうし、お風呂にも入らなければならない。そう思って私は立ち上がった。
「あれ、?そんな何もないところで何してるの?」
顔を上げるとそこには同じ三年生の保健委員である忍たまがいた。何でこんなところで突っ立ってるんだろうっていう不思議そうな顔。その顔を見ると妙に安心した。大丈夫だ、私はまだ笑える。
「数馬ー!お団子食べたいー!」 「え、突然何?!」
花に埋もれる瞬間まで
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