団子を片手に本を読みながら時間を潰していたときだった。足音がするなと気づいて手にしていた本を閉じて床に置くとその足音はあっという間に近づいて、ガラっと戸の開く音とともに足音も止まった。

「三郎!」

となんだか楽しそうな声で私の名前を呼ぶ。顔を上げるまでもなく、声の主が誰だか分かる。この世でこんな楽しそうな声で名前を呼ぶ人物なんてただひとりなんじゃないかと思う。「」と視線を上げて呼び返すと「えへへ」と嬉しそうに笑う。名前を呼んだだけでこんなにしあわせそうなのもただひとりだと思う。

「あ、お団子食べてる!ずるいなぁ」
「雷蔵がお使いの帰りに買ってきたってくれたんだ」
「いいなぁ。雷蔵はいないの?」
「他の人にも分けてくると言って出ていったよ」

私がそう言うとは少し残念そうな顔をして私の隣に座った。この場に雷蔵がいればにも快く団子を分けていただろうが、生憎先程出て行ったばかりだ。当分は戻らないだろうし、その手の中に団子が残っているとは思えない。もそれが分かったのか「今度雷蔵にお店の場所聞こう」と呟いた。そんなに食べたかったのだろうか。今度一緒に行ってやろうか、と言おうとしてやめた。決して行くのが嫌だというわけではないが、それよりも手っ取り早い方法を見つけただけだ。

「これでよければやる」
「わ、いいの?ありがとう!」

嬉しそうに手を伸ばす。やはりこれが正解だったようだ。私の手にある団子は一口かじっただけでほとんど残っている。私は以前にも雷蔵にもらって食べたことがあったから一口で十分だった。短い串の柄の部分を摘まんで渡そうとするとと手が触れ合った。私はそのことに一瞬ドキリとしたのだけれど、向こうは何も感じなかったようだ。私から団子を受け取ると嬉しそうにそれを口に運んだ。

の手は小さい。私の手ですっぽり包めてしまうし、触るとやわらかい。しかしそれは手に限ったことではなく、体全体が小さくてやわらかい。私の体とは全然違う。何か手入れでもしてるのかと思うくらいすべすべしている。

右手は団子の串を持って、左手は床に何気なしにつかれていた。の手など珍しくも何ともないが手持ち無沙汰だったのでその左手に自分の右手を重ねてみる。するとそれまで団子を頬張ることに一生懸命だったの瞳が私へと移動する。その視線に気づかないふりをして、の手を取りぷにぷにと触ってみたり眺めてみたりする。触り心地がいいことは良いことだ。

「三郎、どうしたの?」
「変装の参考にと思って」

大抵のことはこれでごまかせてしまうから便利だ。何も考えずにぼんやり顔を眺めてしまったときもこれで言い訳が出来るし、顔や手に触れたくなったときも全部これで何とかなる。さすがにばれるかと思うときもあったがは「勉強熱心だねぇ」と笑っているので多分気がついていないと思う。ばれていたら少々恥ずかしい。

「三郎のそういうとこ好きだよ」

は人の良いところを見つけるのが上手い。私と違った意味で人をよく見ていると思う。いい面ばかり捉えてしあわせそうな顔ばかりしている。私の言うことをすべて素直に受け取る。いつか騙されて痛い目見るぞとは思うのだけれど、それと同時にそういうところが好ましく思う。一緒にいて心地良い。のように口に出して言ってはやらないけど。

「さぶろう」

そう私の名前を呼んだかと思うと、左手が伸びてきて私の頭に触れた。その手をわしゃわしゃと動かされてようやく、頭を撫でられているのだと気が付いた。の左手は頭というよりも髪を撫でているようにふわふわとしたやわらかい手つきだった。



名前を呼んで、返事を聞く前に手を引いて体を引き寄せる。私の頭の上に乗せられていた手が離れ、「わあ!」と驚いた声がしたがそれもすぐに私の制服に吸い込まれてしまった。それがおもしろくてまた名前を呼ぶ。



頭を押し付けている手の力を緩めるとは顔を上げて返事をしようとする。その顔がいつもと違うような気がした。の顔など見飽きるほど見ているというのに。それこそ本当に変装の参考にするためにきちんと観察したこともある。だけれども、私の腕の中に収まって私を見つめるがなんというか、いつもより随分とかわいくてかわいくて仕方なかった。

たまにこういうことが起きるからいけない。出来ることなら腕の中にずっと閉じ込めてしまいたい。どうやら自分で認識しているよりもずっと、私はこの小さな少女に惚れているらしい。

ふたりきりで名前を呼び合っているこの状況に気がついてしまうとなんだかこそばゆかったので、「さぶろう」と呼び返そうとするその口をふさいだ。


マイ・スイート・ガール