朝いつも起きるより随分と早い時間に目が覚めてしまった。珍しく清々しい目覚めで、寝直すのも微妙だったのでそのまま顔を洗いに行くと、ふと鉢屋先輩が歩いているのが目に止まった。こんな早い時間にひとりでどこへ行くのだろうと疑問に思ったので部屋に帰って急いで着替えて鉢屋先輩の後を追うことにした。ようするに朝早く起きたものの暇だったのだ。当然私が着替えている間鉢屋先輩が待っているはずがなく、そこにはもう鉢屋先輩の影も形もなかった。仕方なしに鉢屋先輩が向かったと思われる方角へ適当に歩く。

鉢屋先輩がどこへ行くのかだなんて検討もつかないからただそっちの方向へ歩いて行くだけだった。そもそも鉢屋先輩は違う方向へ行ってしまったかもしれないし、もうとっくにどこかの部屋に入ってしまったかもしれない。もう見つからないかもしれないなぁと思いつつ散歩をかねて歩いていたら、開けた場所に出た。

トスっという何かが刺さるような音がしてそちらを見ると鉢屋先輩が向こうに立っていた。

鉢屋先輩の奥の木には的がついていて、そこにはすでにいくつかの手裏剣のようなものが刺さっていた。私は集中して的を見据えている鉢屋先輩に気付かれないようにそっと右にずれてから近づいていく。鉢屋先輩の横からそれなりに離れたところの茂みの前に膝を抱えて座り込む。

鉢屋先輩は手裏剣を次々へと打ち込んでいく。そのすべてが吸い込まれるように的の中心に刺さっていく。私はそれをまるで魔法でも見ているような心地で眺めていた。

「それで、お前はどうしてこんなところにいるんだ?」

しばらくそうして見ていると鉢屋先輩は唐突に私を振り返り、不審そうな目で見て言った。時刻はもうすぐ朝食を食べるために生徒たちが起きだしてくるだろう頃だった。

「鉢屋先輩も努力というものをするんですねぇ」
「そりゃあするさ。なんだ、私を生粋の天才だとでも思っていたのか」

ぶしつけな物言いと咎められるかと思ったが、意外にも鉢屋先輩は普通に返事を返してきた。私と喋りながらでも的から視線を外すことなく、中心付近に手裏剣を当てていく。

「不敗神話破られちゃいましたもんね」
「あんなもの偶然だったのさ。そもそも不敗だったのは生徒にだけじゃないか。何の自慢にもなりゃしない」

それでも鉢屋先輩はそれまで一度も負けていなかったというのだから十分すごいと思う。少なくとも同学年には一度も負けてはいないし先輩にだって勝ってしまうのだから。

「この程度でプロにまで勝ててしまったら敵わない」

確かにその通りなのだろう。まだ鉢屋先輩は十四歳なのに、それなのに忍の頂点に立ってしまうのではかなわないだろう。そんなに世界は甘くない。それはそうなのだが、鉢屋先輩からはあまり悔しいだとかそういう感情が読み取れなかった。むしろ自分より強いものがいることがなんだか楽しそうだった。自分がまだ見たことのない世界があることが心底嬉しいようだった。

「まぁ忍者が戦場でああして手合わせすることなどまずない。逃げたもの勝ちだ」
「でも強いに越したことはないんじゃないですか」
「だからこうして早朝の秘密特訓を行っているんだ」

「誰にも言うなよ」と鉢屋先輩は念を押した。そんなこと言って、きっと同室の不破先輩は鉢屋先輩が部屋を出たことを知っているだろうし、秘密特訓と言うにはこの場所はあまりにも見通しが良すぎた。私にだって簡単に見つかってしまう場所だ。秘密だなんて絶対嘘に決まってる。

「こんな見通しのいいところで特訓してるくせに」
「人に見つからない場所というのは木々が生い茂っているところとは限らない。人の意識に上らないところも隠れるにはもってこいだ」

確かにこの場所は見通しはいいけれども人の通らない場所だった。広いけれども、近くの建物といえば倉庫しかなく、ほとんどの生徒は今の時間長屋にいるか食堂へ向かうだろうからこの近くはなかなか通らない。なるほど。やはり鉢屋先輩は色んなこと考えている。

「そもそも私の目的は隠れることではなく、特訓することなんだから別にいいだろう」

そう言われればその通りである。それでも鉢屋先輩が公の場所で練習しているところなんて想像が付かなかった。

「お前も随分暇なんだな」

人が年がら年中暇しているように言ってくれる。私が相当暇な人間のように言っているが、優秀な鉢屋先輩の鍛錬を見るのはそれなりに意味のあることだと思う。鉢屋先輩の武術の腕は相当なものだ。手裏剣を的に命中させるなど鉢屋先輩にとっては容易いことなのかもしれないが、私にとっては十分意味があることだった。

「やっぱり鉢屋先輩は上手いですね」

そう言うと鉢屋先輩は手裏剣を投げることに飽いたのかいつの間にか私の方へ向き直っていた。

「特別に手ほどきをしてやろうか」
「…鉢屋先輩みたいに百発百中じゃないですよ」
「それじゃあ教えがいがない。少々出来が悪い方がかわいいもんだ」

そう言って私に手裏剣を渡す。あいにくだが私の実技の成績はあまり良いとは言えない。鉢屋先輩のように打てば的の中心に命中する人間の方が少ないが、精度の低い私の打ち方では恥ずかしくなる。

ふぅと一度深呼吸してから打つ。手裏剣が的に刺さる音がして確かめてみると、なんとか的の内に収まっていた。

「なかなかやるじゃないか」

そう言って鉢屋先輩は私の頭を撫でた。びっくりして見上げると鉢屋先輩は満足そうな顔をした。鉢屋先輩は私の成績が悪いのを知っていたから的から外れるのを予想してたのかもしれない。一応私だって学園に入って何年も学んでいるわけだからさすがに的に当てることぐらいはできる。一番中心に当たるかどうかとなると話は別だが。

なんだか照れくさかったので「そうでしょう」とちょっとふざけて言ってみると「調子乗るな」とそれまで頭をやさしく撫でていた手で叩かれた。大して痛くなかったけれど「いたい」と言うと「嘘つけ」と簡単に見破られてしまった。やっぱり鉢屋先輩に嘘を吐くのは難しいかもしれない。

「ほら、そろそろ朝食を食いに行くぞ」

そう言って鉢屋先輩が歩き出してしまうので「鉢屋先輩、鉢屋先輩」と名前を呼ぶと彼は「何だ」と振り返った。

「鉢屋先輩ってやっぱりすごいですね」

と耳打ちすると先輩は少し驚いたように目を大きくした。私はそんな鉢屋先輩の顔がかわいいなと思ってしまう。改めて褒められて照れたのだろうか。わざわざ先輩を呼び止めて言うことではなかったかもしれない。やっぱり余計なことを言ったかなぁと不安になっていると鉢屋先輩はにやりといつものように得意げに笑う。

「当たり前だ」

そう言ってこつんと私の額を叩いた。

耳打ち