男心を掴むのならまず胃袋からとよく言う。

彼が料理の上手い女の子を上から順に好きになるとは思わないが同じアタックするなら料理が上手い方が良いに決まっている。アピールポイントがあるに越したことはないのだ。

だが、残念ながら私の料理の腕はそこそこだ。殺人兵器のような激マズ料理を作ったりはしない。けれども、生来の不器用が祟って、ただお菓子を作ろうとしても分量を計る際に多すぎたり少なすぎたりして上手くぴったり計りに乗せられない。もちろんぴったりきっちり計る必要もなく、多少のズレぐらいあったって支障はないことも理解しているのだが、その『多少のズレ』程度にしようと努力しているうちに粉を吹き飛ばす、隣に置いた牛乳をぶちまけるなど余計な作業を増やし、とにかく手際が悪い。さらにその不器用さはデコレーションやラッピングするときにも発揮される。出来上がったお菓子をかわいく飾りつけようとしても最終的には余計なことをやらない方がマシだったと思うような出来になってしまうし、かわいく凝った包装をしようとしても上手くいかず。出来上がったものを見ると渡す気あるのかと疑いたくなる。

「渡す気あるのか」
「あるある、あるよ! 気持ちだけは誰よりも強い自信ある!」

学内のカフェテリアの隅っこで三郎と顔をつきあわせながら、こっそり作ってきたものを鞄の中から取り出すと彼ははぁと大きく溜め息を吐いた。三郎にずばりと言われて思わず強く返したけれども、自分が一番思っていたことでも実際人に言われるとへこむ。

「一応簡単に包んだだけのも作ってきたけど……。こっちは見た目綺麗だよ」
「こっちの方がいいだろうな」

簡単に包んだだけというよりはただ箱に入れただけと言った方が正しい。リボンすらも掛かっていない。一手間掛けたデコレーションやラッピングで他と差をつけられないのが悔しい。

「……他のことで頑張った方がいいんじゃないのか」

言われなくたってそんなことは知っている。このアピール方法は自分に向いていない。いつまでも改善されない欠点をどうにかしようと努力するよりももっと自分の長所を伸ばすようなことをした方がいい。でも雷蔵がいつもおいしいって食べてくれるから、雷蔵がいつも笑顔を向けてくれるから私はやめられなくなってしまうのだ。

きっかけは雷蔵が料理上手な子がタイプと聞いたからだった。もっともそれも雷蔵自身が言っていたのではなく、竹谷が『料理上手な子とかいいよなー! 雷蔵もそういう子好きだろ?』という半分誘導尋問のような問いかけに彼が『うん、そうだね』と答えただけなのだけれど。それでも私にとっては貴重な情報であり、努力する価値のあることだった。

三郎にこっそり雷蔵は私のことどう思っているのか聞いたことがある。正直なところ脈ありなのかどうか。けれども三郎から返ってきた言葉は『分からない』だった。雷蔵といつも一緒にいて人の機微に敏い三郎が分からないとはどういうことか。三郎曰く、それらしい素振りもなく本当に分からないのだという。それってつまり脈なしなんじゃないかと思ったけれど口に出すのはやめておいた。



「前から思ってたけどさんってお菓子作りが趣味なの?」

いつものように雷蔵のために作ってきたお菓子を手渡すと彼はいつものようににこにこ顔で受け取りながら無邪気に言った。

前はお菓子作りなんて興味もなかったけれどあなたにあげたいから作ってるんです! 声を大にしてそう言えたらどんなにいいだろう。こんな包装では作ったついでに持ってきたとしか思われなくても仕方ない。私が手渡したのはシンプルな袋に入れられたシンプルなクッキーだ。凝ったことなんて出来なくて、ただ丸めて潰した生地を焼いただけのものだ。申し訳程度にチョコチップが入っているのだけれど、どう考えても大量生産したように見える。実際は大量に買った材料もこぼしたりして買ったものに対して随分と少量しか作れなかったのだけれど、とてもそうは見えないだろう。その問いには曖昧に笑ってごまかす。

「今回の出来はどうかな?」
「普通においしいよ」

普通かぁ。私では特別にはなれないのかもしれない。これでも努力はしているつもりなのだけれど、私ではいくら頑張っても料理上手な女の子にはなれないのかもしれない。

「そっかぁ。良かったぁ」

全然良くない。

普通じゃダメだ。私は雷蔵の『特別』になりたくて頑張っているのに、他の子と同じ『普通』ではダメなのだ。そのために人一倍の努力をして、でも上手くいかなくて。なんとか数を打ってごまかしているけれどもそれも効果がないのでは本当に意味がないのかもしれない。今後続けても『普通』から抜け出すことが出来ないのだったら意味がないのかもしれない。努力と結果が釣り合っていない。なんだか馬鹿らしくなってしまった。

その日から私は雷蔵のためにお菓子を作るのをやめた。



お菓子作りをやめると時間が膨大に余るようになった。手際が悪く普通の倍以上の時間を掛けていたのだから当然だ。それに伴って雷蔵のことを考える時間も減った。お菓子を作るときは必ず雷蔵のことを考えていたから。それに、雷蔵に会う時間も減った。お菓子をあげると託けて雷蔵に会いに行っていたのだから、それがなくなれば機会がなくなるのも自然なことだった。

時間が出来た分友達と遊んで、お金が浮いた分かわいい服だとかバッグだとか買うことが出来る。最初から無理なんてしなければ良かったのだ。化粧品や美容にお金を掛けられるし好きなことに時間を使えることのなんと素晴らしいことか。

こうやってちょっとずつちょっとずつ忘れられればいい。

「そういえば最近さんに全然会わないね」

忘れられればいいと思っているのに、うっかり学内で偶然会って声を掛けれれれば心臓が跳ねてしまう。ちょっとでも寂しいと思ってくれればいいとか、

「お菓子も持ってきてくれないし、誰か別の人にあげてるの?」

ズキリズキリと今度は心臓が痛くなる。雷蔵はあのお菓子に込められた意味なんてこれっぽっちも知らないのだから仕方がないけれどもぎゅうぎゅうと心臓を鷲掴みにされているような痛みが走る。

「雷蔵が食べたいならまた持ってくるよ」
「そうじゃなくて僕はさんがお菓子を他の人にあげてるのかって聞いてるんだけど」

あげてないよ。全部あなたのために作ってるんですよ。雷蔵以外の人のためにこんな苦労したりしない。全部全部雷蔵のものだ。でも本当のことなんて言えなくて曖昧に笑ってごまかす。

「テストが近いから勉強してただけだよ。でもテストもほぼ終わったからまたお菓子作り再開したいなぁ」

雷蔵の中で私はお菓子作りが趣味な女の子なのだ。別に今までテストがあろうがなかろうが関係なしに作っていたけれど、こう答えるしかなかった。テスト勉強なんて大してしていなかったのにここに来て真面目な女学生という設定が私に追加された。

私は不器用だ。

ぐちゃぐちゃに結ばれたリボンが恨めしい。もっともっとかわいく飾れればいいのに。きれいな包装紙はいつもくしゃくしゃに丸められてゴミ箱からはみ出ている。

「またさんの作ったお菓子食べたいなぁ」

雷蔵が食べたいのはお菓子であって、作った私なんてきっとどうでもよくて、私がどれだけ努力と時間を掛けてそれを作ったのかなんて雷蔵は知らない。

「……いいよ」

うまく笑えただろうか。顔を歪ませながら答える。私は不器用だ。

2012.12.31