彼女と初めて出会ったのは学園に入学する前だった。僕がまだ何も知らない幼い頃の話だ。その女の子は突然僕の目の前に姿を現した。

僕がひとり山で遊んでいたときのことだ。綺麗な石を拾っていると後ろからドサっという音ががした。振り向くと僕と同じ年頃の女の子がうずくまっていた。その子は村では見たことのないような綺麗な着物を着ていた。

それ以来何度もその女の子は僕の前に現れた。十歳になって忍術学園に入学したときはもう会えないんじゃないかと思ったが、その半年後には彼女は学園にも現れた。どうやら彼女は僕に引き寄せられて現れるようだった。

それは僕が学園に入学してから五年経った今でも続いている。

自室でひとり書き物をしているとトサっと聞き慣れた音が後ろから聞こえた。最初のときのように派手に落ちる音はもう聞こえない。着地は出来ないけれど地面に叩きつけられるほどでもない。もし彼女の落ちてくる場所が分かれば僕が受け止めてあげるのにと思う。けれども、彼女は決まって僕の背後でどこからか落ちてくるのだ。彼女が現れるところを僕は見たことがない。彼女に聞いても突然こちらの世界に落ちてくるという。『ああ、こちらの世界に飛ばされるな』という予感はあるらしいのだけれど、飛ばされるときの浮遊感には慣れなくてどうしても毎回目を瞑ってしまうらしい。おそらく何もない空間からぽんと彼女は出てくるのだろうと勝手に思っている。飛ばされるときの感覚というのは僕には本当に想像しか出来ないのがもどかしい。本人は大したことはないと言うけれどもきっと気持ちいいものではないのだろうと思って、その話を聞いて以来僕は飛んできたの背をまず撫でるようにしている。それだけで一体どれほどの効果があるのか知らないけれども。

「雷蔵ありがとう」

は顔を上げて微笑んだ。その顔は前回会ったときとそう変わらない。僕の住む世界との世界では時間の流れが一定ではないらしく、次会うまでにの世界の方が早く時が進んでいたり、逆に僕のいる世界の方が時間が早く流れていたりする。昔はの方が年下になったり年上になったりしていたのだけれど、最近ではそれもない。ただ季節が違って、彼女が寒い思いをしたり暑い思いをしたりするだけだ。今日は少し肌寒い日だったので彼女が薄着だったら何か羽織るものを貸そうと思ったのだけれど、どうやらその必要もないようだった。

彼女の手をぎゅうと握る。「どうしたの?」とが僕の顔を覗き込む。

「そんなに早く帰らないと思うよ?」
「でもちょっとでも長く一緒にいたいから」

の来る回数は年々増えている。けれどもそれとは逆に一回の滞在時間は少しずつ、でも確実に短くなっていた。昔は一度来たら半日ほどこちらにいてずっと一緒に遊んでいたこともあったのに。最近は一刻が限度だ。

「それにこうしていればが知らない間に帰っちゃうこともないし」

が来た瞬間を僕は見たことがないが、帰るところもまた同じように見ることはなかった。彼女は必ず僕が背を向けたときだとか、目にゴミが入って目を擦ったときだとか、ふと横を向いたときだとか、ほんの一瞬目を離したすきにいなくなってしまうのだ。まるで風のように跡形もなくいなくなってしまう。けれども逆に言えば僕が目を離しさえしなければ、彼女はいなくなることはない。こうして体の一部に触れていることも有効である。

調子に乗って後ろから抱きすくめると彼女は少しだけくすぐったそうに身を捩ったが、それ以上は抵抗しないので僕は増々調子に乗る。もしかしたらこれくらいのこと、彼女の世界では友人同士でもする普通のことなのかもしれないが、僕には確かめる手段はない。

「三郎くんが帰ってきたらどうするの」
「今日はお遣いに行ってるから当分は帰って来ないよ」

彼女がこちらの世界にくるときの条件というはもうひとつある。それはかならず僕がひとりきりのときに訪れるということである。だから僕は彼女が侵入者だと大騒ぎにならないようにうまく隠してやることも出来るし、同時にふたりきりの時間を確保しやすいということもある。下心満載の僕にとっては非常にありがたいことでもある。

ただ三郎にだけは、を会わせたことがあった。親友に僕の大切な人を紹介したかったこともあるし、同室なのだから誰か女の子がこの部屋に入ったことがばれるのは時間の問題でもあった。それより何よりもを誰かに見せて彼女が僕の頭の中に住んでいる幻ではないと証明したかったのかもしれない。三郎がが別の世界から来たのだと信じたかどうかは定かではないがというひとりの人間が確かにいて、僕だけの幻でないことだけは証明されたわけだ。何度か三郎に会わせたが最近はそれもずっとない。を独占したいという僕の浅はかな考えがそうしているのだけれど、彼女も特に三郎に会わせろとも言わないのでそのままだ。

「三郎に会いたかった?」
「たまにはね。学園に見つかったら大変なことになるっていうのは分かるけど」

の存在は学園長にも知らせていない。連れていっても良かったのだけれど、彼女は数日もこちらにいられないから隠し通せた。食事は一食くらいならおばちゃんにおにぎりを作ってもらって部屋で食べれば済むことだった。特に困ることはない。それに対して彼女の存在を説明することの方が遥かに煩雑だった。信じてもらえる保証もない。もそれで良いと言うので結局はそのままだった。

「僕には?」
「もちろん会いたかったよ」

はくすりと笑って僕の手を握りしめた。言い方が少し子どもっぽかったかもしれない。彼女の前ではなるべく格好付けていたいのになかなかうまくいかない。

「でも雷蔵が普段どういう風に過ごしているのか沢山知りたい」

そう言って彼女は僕の腕の中から抜け出した。今度はまた向かい合って、は僕の瞳をまっすぐに覗き込んでくる。

「私は普段の雷蔵がどうしているか見られないから三郎くんに話聞こうと思って」

彼女がそういう風に言ってくれるのならば三郎に会わせるのもいいかもしれないと思った。三郎だけでなく、兵助や八左ヱ門、勘右衛門にも紹介して皆でわいわい過ごすのもきっと楽しいだろう。部屋に食べ物を持ち込んではしゃいだり。兵助がどれだけ豆腐を食べるかだとか、三郎の変装がどれだけすごいかだとか聞かせるだけでなく実際見てほしいものは沢山ある。裏々山にある綺麗な泉も見せてあげたいし、町にあるおいしい団子屋にも連れてってあげたい。本当はそれらは簡単に出来るのかもしれない。ただ僕らがそうしないだけで。

「君とずっと一緒にいられたらいいのに」

僕がそう言うとは曖昧に微笑んだ。きっとその願いが叶わないことを僕も彼女も知っている。


2011.09.09