「雷蔵、早くこっち!」

彼の大きな手のひらを握って引くと彼は困ったように笑って「待ってよ」と言う。早く早くと彼を急かしているけれども、普通に歩いたら私よりも雷蔵の方が歩幅が広い。だから私は彼の手を引くためにほとんど小走りになっていた。そのことに彼は困ったように笑っているのだ。

「そんなに急いでいるのにどこへ行くのか教えてくれないの?」
「ひみつ!」

一度振り向いてみせて、雷蔵の手に両手で触れる。彼の手はいつだってあたたかい。私よりも大きな彼の手のひらは両手を使わないと包み込めない。私の手は雷蔵の手のひらに簡単に包み込まれてしまうのに。雷蔵を引っ張るのも手を包むのもいつもされていることを逆に私がするということに優越感を感じる。

左右に木の生い茂る坂道を登っていく。木漏れ日がちらちらと雷蔵の顔に映る。ずっと雷蔵の手を包んでいたかったけれど、目的地に着くのが優先だ。早くはやく。

「もうすぐだよ」

そう言って前を向くと丁度森を抜けるところだった。光の量の多さに目が眩んだけれども構わず足を前に出す。一歩一歩歩くごとに柔らかな草の感触が足の裏に伝わる。「わぁ」と私よりも先に目が慣れたらしい雷蔵から小さな溜め息が漏れた。

「すごくきれい」

目はすぐに慣れた。目の前には目を輝かせて辺りを見回す雷蔵がいる。その足元には揺れる花々。私たちは広い花畑の真ん中にいた。

はこれを僕に見せたかったの?」

そう言って振り向いた雷蔵に私はにっこりと笑いかける。「素敵な場所でしょ?」と聞くと雷蔵は「うん、とっても!」と言った。どうやら気に入ってくれたみたいだ。雷蔵ならきっと気に入ってくれると信じていたけれども、安心した。雷蔵を連れてきて良かった。見つけたときはこんな綺麗な場所を独り占め出来るんだと喜んだけれど、やっぱりひとりよりもふたりの方がいい。

私はそのことに満足しながらも、もうひとつの目的を達成するために感動している雷蔵からこっそり一歩ずつ距離を取った。気付かれないように、少しずつ少しずつ。踵にコツンと草ではないものが当たった。私はそれをこっそり持ってまた雷蔵のそばへ寄る。

「きれいだね」

そう言って振り返った雷蔵に「えい!」と後ろ手に隠していた籠の中身をバッとふりかけた。桃色やら白やら黄色やら緑やら色とりどりのかけらが宙に舞って彼に降り注ぐ。雷蔵は突然のことに驚いて目を丸くしている。舞い散った花びらが雷蔵の髪に絡まっていく。私はその光景に満足して笑みを深くする。

この花たちはこの場所を見つけたときに摘んだものだった。たまたま委員会中にこの場所を見つけたのだけれど、そのとき雷蔵を連れてきて花まみれにしようと思いついたのだ。

舞った花びらのひとつが私の鼻先をかすめた。宙に舞った花びらたちはひらひらとゆっくり下降していった。花びらを掴もうと雷蔵が両手を広げている。雷蔵の大きな手のひらに花弁は落ちそうでいて、実際はするりと指の間をすり抜けてしまう。大きな籠いっぱいに集めた花は十分すぎる量で私たちの足元は他よりも沢山の色彩が敷き詰められていた。

「雷蔵!」
「うわあ!」

その地面を思いっきり蹴って飛びつくと、雷蔵は私を受け止めきれずに後ろに倒れた。雷蔵にしては珍しいことだ。全くの予想外のことが続いたからだろうか。それでもきちんと受身は取っていて、私を抱きとめた。

「やっぱり雷蔵はお花が似合うね」

雷蔵は今花に囲まれている。私がふりかけた花びらが髪にくっつき、この花畑に生えている花たちが風に揺れて雷蔵の髪や頬を撫でる。

私は前々から彼が花に囲まれたらとても素敵な景色だろうなと思っていたのだ。雷蔵が笑うとまるで花みたいだから花に囲まれた彼を見たかった。そのために一輪の花を彼に贈ったこともあった。「ありがとう」と言って私に微笑みかけた彼の姿は私の見たかったものに近かったけれど、まだ足りなかった。花束を贈ったってまだまだ足りなかった。

雷蔵の髪に付いている花びらを摘まんで取る。それを見て彼はやっと私がふりかけたものがなんだったか理解したようだった。雷蔵の肩のあたりに籠の中で形を残していた花が付いていたのでそれを取って彼の髪に挿そうとすると、彼の手が私の手首をやんわりと掴んで止めた。

「こういうのは女の子の方が似合うと思うけどな」

そう言うと私の手の中の花を取って、それを私の髪に挿した。左手でその花に触れると雷蔵がその手首を掴んだ。私が花を取ってしまうと思ったのだろうか。雷蔵にそんな風にされたら取れるはずないのに。

私と目が合うと雷蔵は目を細めて、口元が弧を描く。ふわりと周りに花が散っているような笑み。でもそれは幻覚ではない。今の彼は本当に花に包まれているのだ。花の中で笑う彼を見れたことに私は心の中が満たされる。

彼の首に腕を回してぎゅうと抱きつくと花の甘い香りがした。

2011.06.30