かつてないほどに冷たい目で睨まれてしまった。こんな雷蔵は初めて見た。普段のあのやわらかい笑顔からはとても想像できないような目だ。と私を呼ぶ声も冷たかった。ねぇ、馬鹿なの?と雷蔵は言う。


「っていう風に怒られてみたい!」
「なんだそれは。馬鹿か」

そう言って三郎は私を切り捨てた。ああ、これが雷蔵だったらなと思う。顔は一緒なのだけれど、中身が三郎だとこうも違うものなのか。三郎に冷たい目で見られたって何も楽しくない。それどころかとても不快である。

「惚気話は他所でやってくれ」
「どこが惚気なの?」

そう私が言うと三郎はますます呆れた目で私を見る。三郎はこういう顔が得意だ。すぐ私を馬鹿にした目で見てくる。

「雷蔵はお前に甘いからな。そりゃあ滅多なことじゃあ怒らないだろうよ」

自分で言うと本当に惚気のようになりそうだが、確かに雷蔵は私にいつでもやさしい。でもそれは誰にでも言えることで、彼は基本的に誰にだってやさしいのだ。それが普通。逆に言えば雷蔵が怒るのは三郎とかごく親しい人物にだけなのだ。私にやさしいということは私はその親しい中に入っていないような気分になるのだ。

本気で雷蔵に嫌われてしまったら私はきっと生きていけないだろうけれど、その“特別”の中に入りたいと思うのは私のわがままなのだろうか。

怒られるということは雷蔵に大切に思われているということだと思う。どうでもいい人物になら雷蔵は怒ったりしないだろう。やさしいのが不破雷蔵だから。しかし、自分で言っておきながらさっきの想像通りの態度を取られたら実際凹んでしまうだろうし、極端すぎるのでそこまでいかなくていい。

これをどういう風に説明したらいいだろうかと考えていると、襖の開く音がしてひとりの人物が姿を現した。

「あ、雷蔵!」

素早く立ち上がって雷蔵の腰元にタックルすると、彼は「わあ」なんて声を上げながらもしっかり私を抱きとめてくれた。雷蔵にとっては私の行動パターンなどもうとっくに把握しているのだろう。

、来ていたの?」
「雷蔵がもうすぐ委員会から帰ってくるって聞いて待ってた」
「ありがとう」

そう言って雷蔵はにっこりと私に笑顔を向ける。私は心が春みたいにぽかぽかして雷蔵にぎゅうぎゅうと抱きつく。嬉しい。うれしいのだけれど、今私が見たい雷蔵とは違う。

「三郎と一体何の話をしていたの?」

そう言って雷蔵は私と三郎の正面に座る。私が言いよどんでいると三郎がにやにやと笑いながら口を開いた。

は雷蔵に怒られたいんだとよ」
「へえ?」

それを聞きながらも雷蔵の顔はにこにこと笑ったままである。三郎のように私のその馬鹿な発想にどん引きしたりしていない。冷たい目とは程遠い。私を見る目はいつだってとてもやさしい。好きな人に常にやさしくしてもらって何が不満なのかと怒られるかもしれない。

「随分とは変わった趣味を持っているらしい」
「ちょっと変な言い方しないでよ!これにはちゃんと理由があって」
「やさしい雷蔵に不満があるらしいぞ」
「そんなこと言ってない!」

雷蔵に誤解されたらどうしてくれるんだ。怒られたいとは言ったけれども雷蔵に嫌われたいわけではないのだ。先程も言ったが、雷蔵に嫌われたら私はどうしたらいいのか分からなくなってしまう。

「三郎ひどい!」

そう言って三郎の胸元をぽかぽかと叩く。「やめろ」と三郎が言う。ついでだからいつもの恨みも晴らすためにもう少し強く叩いてやろうと思ったがその手首を掴まれてしまった。三郎のくせに小癪な、と思い振り払ってやろうとしたらその手が後ろに引かれた。三郎はどんな腕の構造をしてるんだと思ってそちらを確認するとなんと、私の手首を掴んでいたのは雷蔵の手だった。

そのときの私は口を開けて、目を丸くさせて、とても阿呆な顔をしていたと思う。

雷蔵の瞳は鋭い光を宿して私を見ていた。不機嫌そうに寄せられた眉。きゅっと結ばれた口元。こんな雷蔵の表情は初めて見た。

「ねぇ、は一体誰に会いに来たの?」

その怒気を孕んだ声を聞いて私はやっと雷蔵が怒っていることに気が付いたのだった。

「望みが叶ってよかったな」

そう言って三郎がおもむろに立ち上がり、部屋を出て行く。未だにぽかんと口を開けて阿呆面を晒している私と怒っているらしい雷蔵だけが残された。

しばらく雷蔵は黙っていた。私はやっと口を閉じたけれども目は丸くして雷蔵の顔を食い入るように見ていた。雷蔵が怒った。私に向かって怒った顔を見せた。真正面から雷蔵の怒った顔を見たのは初めてだ。雷蔵は怒るとあんな強い目を向けるのか。

「こんな格好悪いところ見せたくなかったんだけどなぁ」

そう言って雷蔵は私の頭の後ろに手をやって引き寄せた。私はもっと雷蔵の顔を見ていたかったのだけれど、彼の制服の濃紺しか見えなくなる。

「雷蔵の顔はどんなものでも見たいよ」

頭の後ろで私を抑えつけていた力が緩くなったので顔を上げると、先程の雷蔵の表情はもうすっかりなくなっていて、いつものやわらかい瞳だけがあった。さっきまでは怒った顔が見たくてしかたなかったのだけれど、やっぱり私はこの雷蔵の表情が好きだなぁと思う。本気で嫌われてはかなわないのでもうしばらくは雷蔵に怒られたいなどと思わないようにしよう。

欲張り

2011.04.23//MH+