朝食のあとに支度を始めたため町に着いたのは昼過ぎになってしまった。昼過ぎでも町は賑わっていて、道に人通りは多かった。やはり村とは人口が違う。 母から頼まれた品はすぐに手に入った。いつも行きつけの店のものだったので迷うことなく辿りつけたし、目当ての品もすぐに出してもらえた。予想以上に早くお遣いが終わってしまったなぁと思いながら店の外に出る。日もまだ高く、日暮れ前に村に帰れるように逆算してもあと一刻は余裕がありそうだった。 どうせだから自分のものも何か買っていこうか。少しばかりの小遣いもあるからそう高くないものならば買える。そうでなくても町はただ歩くだけで楽しい。売っているものを眺めながら歩くのは好きだ。 キラキラと光る簪を売る店の前にくると、雷蔵は私にお土産を買うときひとりでこういう店に入っているのだろうか。こういうの買うときどういう気持ちなんだろう。雷蔵は私の趣味を完全に理解しているようで、いつも私好みのものを買ってきてくれる。私自身が選びに行ったってこれほど好みぴったしのものを見つけられるか分からない。あまりにも素敵すぎて普段使うことが出来ずに、箱の中に入れて眺めているばかりなのだけれど。雷蔵は一体どこでああいうのを見つけてくるのだろう。 そうして何となしに商品を見て歩いているとたまには私が雷蔵に何か贈り物をしようかなとも思う。思うのだけれど、私が手に入るものは雷蔵だって簡単に買えるものばかりのはずだと思うとどうも勇気が出ない。そもそも何をあげれば雷蔵が喜んでくれるかも分からない。こういうときもっと雷蔵の話を聞いておけばよかったと思う。普段学校で何をやっているのかとか無理矢理にでも聞き出せばよかった。雷蔵のほしいものすら分からない。何をあげても喜んでくれそうではあるけれども、出来れば本当に喜んでもらえるものをあげたい。 そう思って何かいいものはないだろうかと店先に出ているものをひとつひとつ丁寧に見ながら歩いていたらドンと固い何かにぶつかってしまった。 「あ、すみません」 前を見ていなかったせいで人が前から歩いてくるのに気がつかなかった。慌てて謝罪の言葉を口にしてぶつかった相手を確認すると、何やら怖そうなお兄さんだった。いや、人を外見で判断してはいけない。ただちょっとガタイが良くて、筋肉ムキムキで、少しだけ目付きが悪いだけの人だ。でも不機嫌そうな顔でこっちを睨んでいるような気がしないでもない。 「痛いんだが」 「えっと、すみません」 元々この人が不機嫌だったのか知らないがとっても怒っている風で私は縮こまってしまう。見た目は怖いけれど優しいお兄さんだと嬉しいのだけれど。本来は優しいのかもしれないが、今は虫の居所が悪いらしく怒っていらっしゃる。ものすごく睨まれて言葉が出てこなくなってしまった。お兄さんも何も言わないからさらに私はどうしたらいいのか分からなくなってしまう。今さらそれじゃあと言って去るのもおかしいし、完全に機会を逃してしまった。 このまま去っても大丈夫だろうかと悩んでいたらぐいと後ろに手を引かれた。重力のまま後ろに倒れる。地面に尻もちをつくと覚悟したのにそうはならずに何かにドンとぶつかった。 「私の連れに何か用ですか?」 上からどこかで聞いたような声が降ってくる。その人の顔を見上げようと思ったのだがすっとその人物が私をかばうように一歩前へ出た。その後ろ姿にも見覚えがあった。ふわふわと広がった髪、大きな背中。 「雷蔵!」 と声を上げると彼は私の手を取って「行くよ」と私を引っ張った。ちらりと振り返ったが厳ついお兄さんは元々私に対しては怒っていなかったのかやっぱり根はいい人だったのか謝ったから許してくれたのか、追ってはこなかった。 それよりも私は突然の幼なじみの出現に驚いていた。予定では明日帰ってくると聞いたのにどうして今日こんなこところにいるのだろう。この町から村までそう遠くはない。しかも私と偶然ここで出会うなんて予想外もいいところだ。偶然にしては出来すぎているんじゃないだろうか。 会ったら言いたいことが沢山あったはずなのに、突然のことに驚いて何も喋れなくなってしまう。私の前を歩く背中に何か言おうとして口を開いては閉じるを何度も繰り返す。帰ってくるのは明日じゃなかったのかとかどうしてあんなところにいたのかだとかどうして私に気付いたのかだとか、色々聞きたいこともあったはずだ。それなのに掴まれたままの右の手首が熱くて、気になって仕方がない。 彼にこうして触れられたのは一体どれくらいぶりだろう。昔はふたり手をつないで山を駆け回ったりしたものだが、雷蔵が学校へ行ってしまってからはこんな風に雷蔵の手に触れたことなんてなかった。雷蔵の手はいつの間にか随分と大きくなっていて、マメだかタコだかが出来ていてごつごつとしていた。私が知っていると思っていた雷蔵と全然違う。 それでもいつまでもこうして手を引かれているわけにはいかないので意を決して雷蔵と名前を呼ぼうと口を開いたところでぴたりと彼が歩みを止めた。気がつくともう町のはずれまで来ていた。 「ひとりで出歩くなんて」 「この町にはいつもひとりで来てるよ」 久しぶりに会ったというのにお小言から始まるから私もつい反論してしまった。もっと他に言うことあるんじゃないか。『久しぶり』とか『ただいま』とか、今の状況だったら『大丈夫?』だとか言ってくれたっていいんじゃないか。そう思うと会えて嬉しかったはずなのにむくむくと怒りが湧いてきた。子どもじゃないんだからひとりで町に来ることだって珍しくない。この年になってひとりでお遣いが出来ないわけないじゃないか。雷蔵はしばらく会っていないから知らないかもしれないが、私だって成長しているのだ。 「さっきみたいに強面の人に絡まれたり、変な男に掴まったりしたらどうするのさ。村みたいに見知った男ばかりじゃないんだから」 「私は新しい出会いを求めてるんです」 あまりにも雷蔵があまりにもうるさいのでついそう言ってしまった。さっきまで縮こまってたやつが何を言うんだと自分でも思ったが訂正するのも悔しかった。私だって年頃の娘なんだからそういうのを求めたっておかしくないはずだ。出来ればもうちょっと怖くない人に『お嬢さんこれを落とされましたよ』だとか、ぶつかるにしても『大丈夫ですか』と心配してくれるような人に出会いたいと思ってもいいだろう。さっきのお兄さんだって本当は優しい人であのあと『怪我はありませんか』という展開になったかもしれない。 「うそばっかり」 「本当だよ」 こうして意地を張ってしまうのは私の悪いくせだ。素直にごめんなさい助けてくれてありがとうと言えばいいものを、そうはしない。かわいくない性格だとは重々承知している。久しぶりに会ったというのにこの態度ではさすがの雷蔵も呆れているだろう。意地を張ったことを早くも後悔しながらおそるおそる視線を上げると、意外にも雷蔵はきょとんとした表情をしていた。 「だっては僕のことが好きだろう?」 そう雷蔵は言い切る。今度は私がきょとんとする番だった。そもそもあまりにはっきり言い切る雷蔵の言葉そのものが衝撃的すぎて言葉が出てこなかった。 「どうしてそんなに自信満々なの」 「分かるよ」 そう言って雷蔵は急にやさしい顔をする。それは反則だ。本当に全部見透かされているように錯覚してしまう。何を言っても雷蔵にはすでに知られているような気がして迂闊な発言も出来なかった。雷蔵のその表情を見ているとドキドキとうるさい心臓もいつ飛び出てしまうかしれないので気を抜けない。 「いつ言おうか悩んでたんだけど」と彼は言う。いつの間にか手が自由になっていたので両手をぎゅっと握って胸元に持ってくる。そんなことしたって心臓は鳴り止んでくれないのだけれど。 「手紙をやらなくても会えなくてもの気持ちは変わらなかったみたいだから」 そんなのわざとやってたなんてひどいと抗議したかったのだけれど、雷蔵の大きな両手に顔を挟まれて何も言えなくなってしまった。顔をそらしたいのに雷蔵の手で固定されて出来ない。雷蔵との距離が近すぎて視線をそらしただけじゃ視界の端に雷蔵の顔が映ってしまう。じわじわと顔に熱が集まってきてきっと真っ赤になっているだろうから見られたくないのに。 「これはもう一緒になるしかないかなって思うんだ」 「どうかな?」と雷蔵は私に問いかける。私の気持ち知ってるって言ったくせにそうやって言わせようとするのずるい。お侍さんに助けられたいって思ってたら想像していたみたいにかっこよく雷蔵が助けちゃうし、そもそもそうやって妄想していたお侍さんの顔はいつもいつの間にか雷蔵の顔になっちゃってたし、雷蔵から手紙がこなくなったのも本当はすっごく寂しかったし、雷蔵に会えないのはものすごくつらかった。いつも会いたいよー会いたいよーって考えてたんだ。正直雷蔵以外の男の人を格好いいと思えないし、雷蔵じゃなきゃ嫌だ。 家にいたときは雷蔵のこと私自身のこと、冷静に考えられたのに実際雷蔵と会ってしまうとダメだ。一気に何も考えられなくなってしまう。今の目の前のことで精一杯になってしまう。今の雷蔵が特別格好良くなっていることもあるだろうけれど、こんなにわたわたしていたのでは私の気持ちなんてお見通しでもなんら不思議ではないと思う。雷蔵の前ではいつもそうだ。表情がすぐに緩んでしまう。 「まぁのお父さんにはとっくに話を付けてあるんだけどね?」 「なにそれ勝手に…」 「が選ぶなら仕方がないけれど、貰い手がいないと思われて縁談の話でも持ち上がったら困るからね」 私の知らないところでそんなこと話していたなんてずるい。ずっと私に内緒にしてたなんてずるい。だから今朝お父さんはあんなにおかしそうに笑っていたんだ。全部ひとりだけ知らなくて拗ねてみたりしてたなんて恥ずかしい。 こんなところで、あんまりにもそういう雰囲気じゃなかったからもしかしたら雷蔵は私をからかっているのかもしれないとも考えたかもしれない。けれども、雷蔵の瞳は真剣で、まっすぐに私を見つめていた。これは私もちゃんと答えなければいけないと思った。それなのに私の脳みそは熱で働かなくなってしまったみたいにぼんやりしていてうまい言葉をいくら探しても思いつかない。 「私でよければ、その…、よろしくおねがいします」 「うん」 顔が熱くて仕方がない。まだ雷蔵は私の頬を挟んだままで、時間が経つにつれてさらに顔の熱が上がっていくようだった。これは、つまりきっと、求婚というやつなのだろう。こんな町外れの道で言われるなんて思ってもみなかった。しかし大雑把な雷蔵らしいとも思う。なんとなく段階をいくつかすっ飛ばしているような気がしなくもないが、雷蔵には私の気持ちなんてお見通しだったらしいからあまり関係のないことなのだろう。いつからばれていたのかとか考えるとそれこそ顔の熱さが限界まできて爆発しそうになる。町のはずれのこの道は町中の人通りが嘘みたいに誰も通らなかった。通らなくてよかったと思う。 「、すきだよ」 私をすっかりとろけさせる甘い声がして、すっと雷蔵の顔が近づいてくる。私はさらに顔を熱くさせてぎゅっときつく目を閉じた。 待ち人 |