今日暇かと聞かれて特にすることもなかったから「うん」と答えると「じゃあ今日はとずっと一緒にいたいな」と言われた。言われなくても彼のそばに行くつもりだったのだけれど、こうして改めて言われるとなんだか気恥ずかしかった。私は赤くなってしまったであろう顔を隠すように俯いてまた「うん」とだけ答えた。

そんなわけで私は今雷蔵の自室で、彼の膝の上に乗せられているのだった。

雷蔵の指がさらさらと私の髪を通す。最初は頭を撫でられていただけだったのに、いつの間にか髪紐まで解かれてしまっていた。彼はこうやってよく私の髪を解く。雷蔵と会うときは気合を入れて髪を結ってくるので簡単に解かれてしまうと少しかなしくなる。いや、大抵一日一回はどこかで会うのだから気合を入れているのは毎日になるのだけれど。以前はかなり気合を入れてタカ丸さんに髪結いをお願いしたこともあったのだけれど、そのときは会ってものの十秒ほどで解かれてしまった。その日もどこかへ出かける予定もなく学園で一緒に過ごすだけなのだからそんなに髪型に気を使う必要もなかったのだけれど、もったいないと思ってしまった。もっとも、こうして彼に髪を梳かれるのは嫌いではないから何も言えない。嫌どころか雷蔵に撫でられるはすごく好きだ。なんだか安心する。一定のリズムで髪を梳かれると段々心地良くなって、まぶたが下がってきてしまう。

「眠くなってきちゃったの?」

私がこっくりこっくり舟を漕いでいたのがばれてしまったのだろうか。折角雷蔵と一緒にいられるのに寝てしまうなんてもったいない。そう思って頑張ってまぶたを持ち上げようと思うのだけれど、雷蔵がずっとやさしく撫でるからむずかしくなってしまう。雷蔵の手はあったかくて、気持ちがいい。

「んー寝ないよ」
「無理しないで寝てもいいよ」
「雷蔵とお喋りしてたいから寝ない」

私がそう言うと、腰に回された腕の力がにわかに強くなった。雷蔵は「本当に君ってやつは…」と絞り出すように言って私の肩に顔を埋める。髪の毛食べちゃうよと思ったけれども雷蔵は器用にそれをよける。その代わり、雷蔵の髪が首筋に当たって少しくすぐったい。雷蔵の鼻がこすりつけられるのもむずむずする。身をよじらせても雷蔵はやめてくれなくて、それならばいっそと持ってくるりと体を反転させて雷蔵と向かい合う。しかし思ったより雷蔵との距離が近くてびっくりして思わず身を引いてしまうと逆に雷蔵に腰を引き寄せられた。

「わ!」
「逃げちゃだーめ」

そう言って雷蔵は笑う。雷蔵の、『だーめ』という言い方がすごくかわいくて、その言い方がすごく好きで私の心臓はきゅーっとなる。いつもすっごくすっごく格好良くて、今だって私を膝の上に乗せたりしてすごく男らしいくせに、たまにこうしてかわいくなるからずるい。そんなことされたら離れられなくなる。最初から離れる気なんてなかったのだけれど。

「今日は僕とずっと一緒にいてくれるって言ったでしょ」

言った。言いました。雷蔵はまるで言質を取ったかのように言うけれども、私だって雷蔵と一緒にいたいのだからそんな風に言わなくたっていいのに。私だって思っていることなのに。だからこうして何の予定もないのに雷蔵の部屋に来て、何もすることもないのにこうしてぴったりと雷蔵にくっついているというのに。

「頭撫でられると眠くなっちゃう」
「寝てもいいんだってば」
「私の髪の毛なんて触ってどうするの?」

私の髪なんてそんな綺麗なものでないし、触っていても面白くないと思うのだけれど。朝丁寧に梳いてきてはあるけれども、普通の髪だ。

「雷蔵の髪の方がふわふわで触り心地いいよ」

雷蔵の頭に手を伸ばすと彼がすっと目を細めて、私の右頬に触れる。なんだろうと思って見ると、左頬にも手が添えられる。雷蔵の大きな手でほっぺたが包まれる。ふにふにとほっぺを潰されて、最近少し太ったことを指摘されるのだろうか。そう思っていたら、ちゅっとかわいい音がした。

「えへへ、かわいいね」

すぐ鼻先に雷蔵の顔があって、すぐ至近距離で雷蔵の瞳が視界いっぱいにある。瞳の中に私が映っている。彼の瞳の中にいる私はなんだかへにゃりとした情けない顔をしていた。何が起こったのかよく分からなくて、ぼけーっとしていると雷蔵がまたくすりと笑う。

「もう一回してもいい?」

私が『何を?』と口を開いて聞く前にふにっと唇に何かが触れた。今度ははっきりと分かった。ぞわぞわっと背筋に何かが駆け上がるような感覚がして、手足もピリピリとしびれる。それを誤魔化すように手を握って、目もきつく瞑る。でもそのあとすぐに後悔した。目を瞑ってしまうと余計唇に触れる体温や、頬から髪を掻き分けるように撫でる彼の手を意識してしまってダメだった。やり過ごすどころか、足の裏のむずがゆさが増してくるようだった。息がうまく出来ない。角度を変えて軽く吸われる唇も、しびれていつか感触がなくなってしまいそうだと思った。

そんなことを考えていたら「ふふ」と小さく笑う音がして、最後にぺろりと唇の表面を舐められ、触れていたものが離れる。おそるおそる目を開けるととろけるような笑顔がそこにあった。

「ごちそうさま」

やわらかい表情から少しいじわるそうなものに変わる。いたずらっ子みたいな顔。たまにそんな顔をするからずるい。その表情は少し鉢屋くんのものに似ているのだけれど、鉢屋くんよりもずっと子どもっぽい。

雷蔵がそんな表情でじっとこちらをのぞきこんで目をそらさないから私はどんどん縮こまって目線が下がっていってしまう。ぎゅっと握り締めた手を見ていたけれども、上からの雷蔵の視線が後頭部に刺さるようだった。たまらず少しだけ視線を上げるとばっちり目が合って、私は再び下を向いてしまう。赤く染まっていく頬を見られているようで恥ずかしくて、そのまま目の前にある雷蔵の胸にぼふっと顔を埋める。すると上から満足そうな笑い声が聞こえる。また後頭部をゆるゆると撫でられる。まるで子どもにするかのような仕草。

「雷蔵すき」

握りこぶしにしていた手のひらをほどいて、今度は雷蔵の着物を握る。服にしわを付けてしまうなと思ったけれど、こうしていないと逃げ出してしまいそうだった。雷蔵から離れたいわけでは決してないのに。これはきっと恥ずかしいってことなんだと思う。もう雷蔵の顔なんて見れない、とぎゅうぎゅうと顔を雷蔵の胸に押し付ける。するとずっと私を撫でていた手が止まった。

「今それを言うなんてずるいね」

頭の後ろと背中に腕を回されて、もう身動きが取れなくなる。ずるいのは雷蔵だよと思ったけれど、私の口は使い物にならなくなってしまったようで、もう動かない。何を伝えようとしても同じ言葉しか出てきそうにないので、私は喋る代わりに雷蔵の背中に両手を回してぎゅっと握った。
 

君に触れる世界