最近同じ夢を何度も何度も繰り返し見る。ひとりの女の子の夢だ。知らない子で彼女の名前すら分からない。けれどもどこかで会ったことのあるような、どこか懐かしいような気がしてならない。けれども初めて会ったような気もする。

彼女はいつも笑顔で、さらさらと髪が風になびく様がきれいだった。

それを誰かに言ったことはない。三郎にもハチにも兵助にも勘にもない。酒の肴として話してみようかと思ったことはあるけれども、結局言えなかった。僕には妻もいるというのに。それも僕にとって後ろめたい理由だった。

「雷蔵、」

とその子は僕の名前を呼ぶ。そうして僕に手を差し伸べる。彼女の伸ばした手は僕の頬に触れ、包み込むようにゆるゆると撫ぜる。

「雷蔵、すきよ」

僕はそう言う彼女の頭を抱え込み、唇を塞ぐ。僕も「すきだ、きみがすきだ」と繰り返して何度も何度も彼女の唇を吸う。

僕は完全に彼女に恋をしていた。

確かに妻も愛しているはずなのに、僕の心は夢の中の彼女にすっかり奪われている。彼女はきっと僕の前世の恋人なのだと随分子どもらしいことさえ思う。僕は前世の夢を見ているのだと。そしてこの世界のどこかに彼女もいて、同じように僕との再会を待っているのかと思うとどうしようもない衝動が胸の奥から込み上げてくるのだ。初めて抱いたこの感情を何と呼べばいいのだろう。妻のこともきちんと好きだった。まるで当然のことのように妻を好きになって、結婚したのに、それとは明らかに違う強い衝動。

こんなことを誰かに言えるはずがなかった。こんなことが続けば妻だっていつか疑い始めるだろう。もし僕が実在しない少女に夢中になっていると知ったら妻はどんな顔をするだろう。僕を詰るだろうか。そう思うけれど、夢の中の少女に強く惹かれてしまうのは何故だろう。

夢を見ている僕は彼女のことしか考えられなくなる。

こんなこと友人にも誰にも話せるはずがなかった。何度も何度も同じ夢を見ていると、彼女がこの世界のどこかに存在しているような気がしてくるから不思議だ。これは夢だと分かっているのに、現実の僕は家のベッドの上で目を瞑っているのはきちんと理解しているのに。ねぇ、これは夢なんだろう?

「雷蔵、どこへも行かないで」

彼女が懇願するから僕は永遠を誓う。「どこへも行かないよ。ずっと君と一緒だ」そう言うと彼女はにっこりと嬉しそうに笑う。僕はその顔がどうしようもなく愛しくて彼女を腕の中に閉じ込める。

「私、雷蔵のこと好きで仕方ない。きっと生まれ変わっても好きになる」

「僕もだよ。僕にとって君以外考えられない」と都合の良い言葉が口を出る。それでも彼女は僕を信じて「うれしい」と微笑む。その微笑みが愛しくて僕は彼女を掻き抱く。

彼女は僕を呼び続ける。雷蔵、らいぞう、らい

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「雷蔵、いい加減起きて!」

目を開けると妻の顔が目の前にあった。「ああ、やっと起きた。一体いつまで寝ているつもりなのかと思った」と妻は呆れ顔を残して離れていった。僕も起き上がり呆けた頭をふるふると振った。二日酔いをしたときのように頭が重かった。

「ぼーっとしちゃってどうしたの。夢でも見ていたの?」
「あ、ああ」

そうしている間に夢の中の彼女の輪郭が曖昧になっていく。ああ、こんな風に起こされなければ彼女の顔をはっきり覚えていられたし、彼女の名前もあと少しで思い出せたのに、と僕を苛つかせる。妻は僕のそんな胸中を知るよしもなく、ただ僕に笑いかける。心が別の女に向いているという意味では僕は妻を裏切って浮気しているというのに。

「雷蔵ったら、まだ寝ぼけてる」

と何も知らず無邪気な笑顔を向ける妻を愛していないわけではない。こうして笑う妻を愛しいと思う。僕はこの女性と結婚して幸せなはずなのに。それなのに夢の中の彼女を焦がれるこの気持ちは何なんだ。

「雷蔵?ねぇ、雷蔵」
「少し黙っていてくれないか?」

髪を掻きあげる僕はきっと青い顔でもしていたのだろう。妻は僕を心配して声を掛けてくれていると言うのに、僕は冷たい言葉を返してしまう。妻が僕の名前を呼べば呼ぶほど夢の中の声の記憶がバラバラとどこかへ行ってしまうようでこわかった。

「ごめんなさい」

僕の言葉に妻は口に手を当てて小さく謝る。

「でももし具合が悪いのならもう少し横になっていた方が良いわ。お薬持ってくるから」

ああ、こんなにやさしい人に僕は何を言っているのだろう。段々頭がはっきりしてきて後悔ばかりが浮かんでくる。

「そうじゃない、そうじゃないんだ…」
「じゃあ悪い夢でも見たの?大丈夫?」

そう言って妻は僕をいたわるように手を差し伸べてくる。「そうじゃない」再び僕が同じ言葉を繰り返すと、ゆるりと一度僕の頬を撫でて、その手は離れていった。その手を僕は知っているような気がした。

妻はくるりと僕に背を向けて窓の前に立ってカーテンの端を掴む。

「一体どんな夢だったの?何度も私の名前を呼んだりして」

僕はハッと息を飲んだ。

「ああ、

思い出した夢の中の彼女の名前を呼ぶと、妻は振り返って「なぁに?」と微笑んだ。開けたカーテンから日が差し込んで彼女の笑顔を照らした。
 

one night girl

「雷蔵、」と僕の名前を呼ぶ彼女を僕は腕を伸ばして引き寄せた