「ああ、疲れた」そんな言葉が口から勝手に出てきた。このカフェの土日の忙しさは異常だと思う。スーパーのテナントとして入っているから買い物客の多い休日に客が集中する。特に2時から4時までの間の忙しさったらない。休憩を取る暇もなくて、へとへとになっていても、それでもお客さんはお構いなしにやってくる。 4時を過ぎてやっと今まで連続していた客足が途絶えたところで私ははぁと溜息を吐いた。 今までいたレジ前から洗い場に移動して返却されたカップやら何やらを片付けて洗っていく。洗い物まで人が回らなかったから、返却台はトレーでいっぱいになってしまっている。
「すみませーん」とレジの方から声が聞こえて、私は洗いかけのマグカップを置いて「はーい」と返事をしながら手を拭いてレジに入る。ああ、またお客さんだ。波が引いたかと思うとぽつぽつと人がくるからなかなか洗い場が片付かない。
「はい、お待たせいたしました。ご注文お伺いさせていただきます」 「お疲れさま」
聞いた覚えのある声のような気がして私が顔を上げるとそこには見慣れた顔がいつもの笑顔を携えて立っていたのだった。
「ら、雷蔵…!」 「カフェオレひとつください」
私は驚いて声を上げてしまったが、彼は気にすることなく注文を口にしたから私は自分が仕事中だということを思い出した。
「えっと、ホットとアイスどちらになさいますか?」 「アイスで。バイト何時まで?」 「アイスのカフェオレがおひとつ、330円になります。あと50分ぐらい」 「じゃあ待ってるね」
そう言って雷蔵はチャリンと500円玉をひとつ置いた。私は事務的に「500円お預かりいたします。170円とレシートのお返しでございます」と言ってお釣りを雷蔵に手渡す。ほんの少しだけ指先が雷蔵の手に触れた。雷蔵がバイト先に来るなんて珍しいな、と思いながら「少々お待ちくださいませ」と一言置いてカフェオレを作る。こんな疲れた顔で恥ずかしい。どうせ来るなら私がもっと溌剌と仕事をしているときに来てくれれば良かったのに。
「お待たせいたしました、アイスのカフェオレでございます」
そう言ってカフェオレを置くと彼は「ありがとう」と柔らかく微笑んだ。ああ、雷蔵の笑顔は癒される。お客さんが皆雷蔵だったなら私はいくらでも頑張れるのに、と馬鹿なことを思った。
「灰皿はお使いになられますか?」 「ううん」 「あれ、三郎とかは来てないの?」
つい素に戻ってしまった。どうせ三郎やらと一緒に買い物ついでに私をひやかしに来たのだと思っていた。灰皿を使うか聞いたのは三郎に文句を言われてはかなわないと思ったからだ。以前灰皿の洗いがまだで面倒くさいしいいかなーと思って聞かなかったら「本当気が利かない店員だな」と怒られたのを思い出したのだ。煙草切らしちゃったのかなとか考えながらもきょとんとしている私を見て雷蔵はくすりと笑みを零した。
「何で僕の彼女を迎えに来るのに三郎たちも一緒なの?」
彼はそれを至極当然のことのように言った。だから私はもう少しでその言葉を『ふーん、そうなんだ』と聞き流してしまうところだった。
「え、迎え?!」 「だから待ってるって言ったじゃないか」 「え、あ、そういう意味だったの?」 「どういう意味だと思ったの」
くすくすと雷蔵が笑う。どういう意味だと思ったというか、何も考えていなかったというのが正しい。疲労した脳みそはいつも以上に回転が遅い。何となくただぼんやりと雷蔵は買い物のついでに寄って、たまたま私がいたから少し喋っていこうと考えているんだぐらいにしか思わなかった。しかしただ待っているにしては50分は長すぎることに今さら気が付いた。
「それじゃあバイト残り頑張ってね」
そう言って雷蔵はちらりと後ろを振り返ってからカフェオレの置かれたトレーを持ち上げた。お店の入り口でお客さんがメニューを見ているのに気が付いたのだろう。けれどもそのお客さんはメニューをしばらく見てそのままお店に入らず行ってしまった。よくあることだ。
流しに戻って洗い物の続きをしていると返却口の窓から雷蔵が壁際の席に座って文庫を読んでいるのが見えた。一体何の本を読んでいるんだろう。ブックカバーがかけられていて全く分からない。そんなに厚さはないみたいだから短編集だろうかと考えていると雷蔵がふと顔を上げた。まるで私の視線を感じ取ったかのようにこちらを向いてひらひらと軽く手を振る。私は何だか恥ずかしくなって、顔を伏せて手元に集中するふりをした。
バイトが終わるまで残り45分。あと少し頑張れそうだと思った。
充満するカフェオレのにおい |