雷蔵と一緒に町に行けるなんて私はすごくついている、と思った。 「楽なお使いで良かったね」
と雷蔵が微笑みかけてくる。お使いは簡単なもので特に五年生に頼むほどのものとも思えなかった。学園長はたまたま私たちふたりが通りかかったから頼んだにすぎないかもしれない。でも五年の男女ふたりに頼んだということはもしかしたら誰かに狙われる可能性があって、たまたま私たちが上手くやり通したということかもしれない。まぁ無事届け物をしたあととなっては真相は分からないけれども。とにかく私は運が良かったのだ。お使いとはいえ、雷蔵とふたりきりで町に出掛けることが出来たのだから。
「うん、本当に。あっという間だったね」
もう少し道のりが遠ければもっと雷蔵と一緒にいられたのに、という思いは口には出せない。雷蔵とはぐれないように気を付けながら、町の様子をちらちら見る。あ、あそこに新しいお店が出来てる。かんざしとか売ってるのかな?かわいいのが沢山ありそう。今度の休みに見に来てみようかななんて考えながら歩く。
「興味ある?」 「え?」
雷蔵が不意に問いかけてきた。一瞬何のことを言われているのか分からなかった。
「あ、じゃなくって。興味あるに決まってるよね、女の子なんだし。そうじゃなくて、見て行きたい?」
わざわざ言い直して再度聞く。そこでやっと雷蔵が何を言っているのか理解した。きっと私の視線の先にあるものに気が付いたのだろう。気を取られて少しふらふらしながら歩いていたのかもしれない。
「でも、お使いの途中だし」 「日が沈むまでまだまだ時間あるから大丈夫だよ。お使い早く終わったし、少しぐらい寄り道したって罰は当たらないよ」
罰というか何というか、雷蔵はそれでいいのだろうかと顔色を窺う。こんなところに寄るよりも時間があるのならお茶屋さんで一服しておいしいお団子でも食べる方が雷蔵はいいんじゃないか、そう思ったのだ。こんなところ入ったって雷蔵はつまんないだろうし、いいよと言おうとしたのだが、
「せっかくだから入ってみようか」
そう言って雷蔵は私の手を取って何の躊躇いもなくお店へ入っていく。普段迷い癖があるくせに、こういうときは何故か決断が早い。それに普通男の子はこういうお店に入るの多少なりとも恥ずかしいものなのではないか。雷蔵は何とも思わないのかな。だとしたらやっぱり雷蔵は大物だ。それとも、ひとりではなく、女の子と一緒だから大丈夫なんだろうか。
「かわいいのいっぱいあるね」
雷蔵の言う通りで、そこにはかわいい髪飾りや小物がいっぱい並んでいた。こういうお店に来るのは久しぶりで自然と心が弾む。ずっとこういう小物を買っていなかったから、この機会に何かひとつ買っていこうかなという気分になる。何がいいだろう。新しいかんざしかな?
「うーん、これ…、いや、こっちも」
見ると雷蔵もかんざしを見ながらなにやら悩んでいる。ついでだから女装の授業に使うものを見ているのだろうか。それとも、誰かにあげるものなのかな。気になってちらちら横目で窺ってみるけれども、彼は私の視線に気付くこともなく真剣に悩んでいる様子だった。何だか胸がもやもやしたけれども、せっかく雷蔵が気を遣ってくれたんだから、気持ちを切り替えてかんざしを選ぶことにする。あ、あれかわいい。
「これ、かな?」
そう言って雷蔵は私が今まさに取ろうとしていたかんざしを手に取った。残念だけれど雷蔵がそれに決めたのなら私は別のにしようと思っていると、ふいに雷蔵の手が私に伸びて、そのかんざしを私の髪に差した。
「あ、やっぱりよく似合う」
満足そうににっこりと雷蔵が笑う。私はその笑顔に見惚れてしまう。
「すみませーん、これください」
私がぼけっとしていると雷蔵は今まで店の隅で私たちお客さんに話しかける機会を窺っていた店主に向かってそう言った。店主はやっと自分の出番が来たとばかりにはりきった笑みを顔に引っ付けて近づいてくる。
「お嬢さんに良くお似合いだ。このまま付けて行かれます?」 「お願いします」 「え、え?」
私が状況を飲み込めず混乱している間に雷蔵はてきぱきとお金を払ってしまう。こういうときの雷蔵の行動は驚くほど早い。
「さて、行こうか」
そう彼はにっこりと私に微笑みかけると、入ったときと同じ様にさっさと店を出てしまう。慌てて後を追うと「ありがとうございましたー」というお店の人の声が追いかけてきた。
「雷蔵、これ…!」 「ああ、それあげる」
何でもないことのように言う。「でも!」と私が言うと雷蔵は足を止めてくるりと私の方へ振り返った。そうして私の目を覗き込むようにして話しかける。
「もしかして気に入らなかった?他のが良かった?」 「ううん、私もこれいいなって思ってたから。そうじゃなくて!」 「なら問題ないね」
問題あるよ!と叫びたくなる。何で雷蔵が私にかんざしをくれるのだ。今日は私の誕生日というわけでもないのに。余程私は納得のいかない顔をしていたのだと思う。
「僕が勝手に君に贈りたかっただけ。受け取ってくれるね?」
有無を言わせない笑顔でそう言われてしまっては私はただこくこくと頷くしかなかった。決してもらって嫌なわけじゃないのだ。元々これを買おうと思っていたのだし、迷惑とかそういうことはなくて、むしろ嬉しすぎるくらいだった。
「ありがと…」
その声はあまりにも小さく擦れていて彼には届かなかったかもしれない。シャリシャリと歩くたびに髪に差したかんざしが音を立てた。それを意識してしまうと雷蔵の隣を歩けなくなってしまった。
「もうすぐで学園に着くね」
とおそらく笑顔で振り向いた顔もまともに見れやしなかった。そんな風にして俯いて黙々と歩いていたら学園までなんてすぐに着いてしまった。小松田さんに「ふたりでお出かけ?仲良いねー」とか余計なことを言われたりして、普段なら笑ってやり過ごせるのに今日はなぜか無理で、真っ赤になっているだろう顔で門をそそくさと通り抜けた。後ろで雷蔵が「いやだなぁ、学園長のお使いですよ」と言っているのも聞きたくないくらいだった。
そのあと学園長に報告をしたけれどもそれもほとんど雷蔵に任せっきりだった。早く皆のところに戻りたいと思いながら、廊下を歩く。こんなに廊下を長く感じたのは何年ぶりだろう。昔は廊下の端から端までがものすごく長く感じたものだけれど、今も永遠に思えるほど廊下は長かった。なんで私はこんなに雷蔵を意識しちゃってるんだろう。今までは普通に出来てたのに、おかしいじゃないか。そろそろ雷蔵も不審に思うんじゃないかと思ったけれど、雷蔵は気付いていないようで平生と変わらぬ表情で歩いている。そして明けない夜がないように、廊下にも終わりはちゃんとあった。
「ただいまー」 「おうおう、随分遅かったじゃないか」
三郎がいつものにやにや笑いを引っ付けながら雷蔵の肩に腕を回す。雷蔵はそんな三郎を相手にすることもなく「そう?」としれっと言って荷物を下ろす。私は雷蔵のように三郎を上手くあしらえる自信がなかったから雷蔵の半歩後ろを少し俯きがちになりながら部屋に入った。それが良くなかったのだと思う。
「それ、どうしたんだ?」
ハチが私の頭を指して言った。一瞬、町へ出かけるために髪をいつもと違う結い方をしていることを指しているのかと思った。
「本当だ、かわいいね」 「行く前はつけてなかったよな」
勘右衛門と兵助も口々に言う。そこから私の髪に差してあるかんざしのことを言っているんだとようやく分かった。
「えっと、これは、その…」
雷蔵に買ってもらったんだよと一言言えば済むことなのに、何となく言うのが恥ずかしいな、と思って言い淀んでしまう。やっぱり今日の私はどこかおかしい。どう説明しようかなと考えながら手をもじもじと動かしていると不意に左手が後ろに引かれた。
「え?らいぞ、」
振り返るとひどく真剣な顔をした雷蔵がいた。どうしたのかなと思ったのも刹那、雷蔵はさらに私の手を強く引いて、そのままずんずん歩いていってしまう。
「おい、雷蔵どこ行くんだ?」 「雷蔵?」
と残された皆のそれぞれの困惑した声が背中からするけれども、雷蔵はそれに対して何も答えることなく行ってしまう。え、雷蔵どうしちゃったの?私の手を引いているのは本当に雷蔵なんだろうか。三郎なんじゃないか。でも、三郎は別にいた。雷蔵がふたりいることはあっても、雷蔵が三郎のふりをすることはないから三郎がふたりいることはありえない。だとするとやっぱり私の手を引いているのは本物?
「、」
廊下の突き当りまで来て、やっと名前を呼ばれたかと思うと、また強く手を引かれてそのまま私は雷蔵の胸に倒れ込んでしまった。すると背中と頭に手を回されてぎゅーっと抱き締められた。
「らい、ぞ…!」
こんな大胆なことをするなんてやっぱり偽者なんじゃないかと思ったけれど、ちゃんと雷蔵のにおいがした。
「…だめだよ」 「え?」
「そんなかわいい顔他の人に見せちゃだめ」
私の頭を押さえる手の力が弱まった隙に顔を上げると、そこには真っ赤になった雷蔵がいた。う、わぁ。珍しいものを見たと思っていると「まだだめ」と雷蔵が再び私の頭を胸板に押し付ける。
「そういう顔するなんて反則だよ」
ひとり占めしたくなっちゃう、と雷蔵が困ったような声で言った。そんなことを言うなら雷蔵の方こそ反則だ、と思う。だって、そんなことを言われたら勘違いしちゃう。それを小さな声で伝えると「勘違いしてもいいよ」と返ってきた。
「きみがすきだ」
翡翠は瞬く
|