きっかけなどない。私が読んでいる本は火薬に関する学術書で全く私の思考とは関係なかったし、私が背中を合わせて寄りかかっている彼が何か言ったわけでも何かしたわけでもない。あえて言うのならば開け放した窓から吹き込む風があたたかかったからだろうか。

「長次くん」

私が本から顔を上げずに彼の名前を呼ぶと、「なんだ」と彼もおそらく本から顔を上げずに言った。それくらいは見なくても気配で分かるようになってしまった。

「今ね、本を読んでいて思ったのだけれど」

ちらりと長次くんの方を見ると彼はまだ書物から目を離さない。彼の視線が本の上から下まで移動してまた上に戻る。利用者のいない図書室の中は静かで、外の音が遠くから聞こえるのがまるで別世界のことのようだった。世界にふたりきりになったようだった。

「私長次くんのことが好きかもしれない」
「ああ」

そう言って彼は短く答えた。もしかしたら彼は私よりもずっと早く私の本心に気がついていたのかもしれないし、ずっと私がそう言うのを待っていたのかもしれない。彼は大して驚きもせずにただ静かに答えた。

彼とは図書室でこうしてよく一緒にいる。寡黙な彼と過ごす時間は私にとってとても心地良いものであった。図書委員長である彼は自分の書籍も沢山持っており、それを貸してもらうことも多かった。彼とのこうした関係はもう早いもので六年になる。

それまで彼をそういう対象として考えたことはあまりなかったのだけれど、今ふと彼が好きだなぁと気がついたのだ。今までだって友達として好ましくは思っていた。けれどもそういう恋とか愛とかそういう相手としては見ていなかった。今となっては考えたことがなかったのが不思議なくらいだった。それくらい気が付いた気持ちはすとんと私の心の中に落ち着いた。

「好きだよ」
「知っている」

長次くんの声が心地良い。じわじわと胸の中にあたたかいものが広がっていく。パタンと彼が読んでいた本を閉じた。視線が上がってその瞳が私を捉える。

「長次くん」

再び彼の名前を呼ぶ。本を閉じて彼の膝の上に置かれたままの手に自分の手をそっと重ねる。彼の大きな手は私のものと重ねると自分の手の小ささが際立つようだった。手ひとつとっても全然違う。そう思いながら触れていると長次くんのもう片方の手がそれに重ねられた。私の手がすっぽり隠れてしまう。私の手を包みこむように握られるととても安心した。



私の名前を呼ぶ彼の声。耳に心地良い低音の声がとてもとてもやさしい。その瞳を見れば彼の答えなど聞かなくても分かった。


沈黙の続き