「ねぇねぇ、ちょっと話聞いてよー」

そう声をかけても部屋の主のひとりである滝夜叉丸は文机に向かって筆を走らせ、こちらを見ようともしない。もうひとりの部屋の主がいない今、訪ねてきた私をもてなすのは彼の役目なのではないかと思うのだが、私がいくら背中に声をかけても彼は振り向かなかった。それでも私の存在は無視出来ないようで時折筆を持つ手がピクリとする。

「たきー、滝!話を聞いて!」
「うるさい!私は今明日の予習で忙しいのだ」
「滝は優秀だからそんなのしなくても大丈夫だよ。話を聞いて」
「優秀だからこそ努力を欠かさないのだ。大体お前は喜八郎に会いに来たのではなかったのか」
「そうだけど喜八郎いないから」

本当は私は喜八郎を探してこの部屋に来たのだけれど、喜八郎がいないと分かった今は滝に用事があるのだ。そう言っても滝は不審な顔で私を見る。いつも喜八郎を探して大騒ぎしながらあちこち走り回っているから滝がそう思うのも仕方ないことかもしれない。

「分かった、聞く。聞くから静かにしろ」

そう言って滝は筆を置いて私の方へ向き直った。私はとても真面目な顔を作って滝の正面に座り直す。

「喜八郎が何を考えているか分からない」
「そんなの今に始まったことではないではないか」

滝は冷静にそう答える。確かにその通りなんだけれど。基本喜八郎が何考えているか分からない。なんとなくこんなこと考えてるんじゃないかなーと思うことはあるけれど、喜八郎は色々なことを考えていてもあまり口に出してはくれないから読みとりにくい。

「でも滝は私より喜八郎のことよく分かってる」
「まぁ一緒にいる時間が長いからな」
「ずるい」
「ずるいと言われてもなぁ」

ずるいずるいと繰り返している滝は呆れたようにため息を吐いた。なんとか喜八郎と一緒にいる時間を増やそうとはしているのだけれど、委員会も違うし部屋も当然同室ではない私には一緒にいると言っても限界がある。同じ教室で授業も受けれないし。それに自由時間は一緒にいようと思っても喜八郎はどこかへ穴掘りに行ってしまって見つからないときもある。

「そうだな、穴でも掘ってれば喜八郎の考えていること分かるんじゃないか」

なるほど、滝にしてはいいことを言うと思った。自分も穴を掘ってみれば喜八郎が何を考えながら掘っているか理解できるかもしれない。喜八郎は一日の多くを穴を掘って過ごしているのだからこのときの喜八郎の気持ちが分かれば彼の半分くらいは理解できたことになるのではないか。

「さすが滝!ありがとう!」

それだけ言って滝と喜八郎の部屋をあとにする。勢いよく戸を閉めたら予想以上に大きな音がして、滝が「!」と大きな声を上げた。滝はそういう女の作法にうるさい。まるでお母さんみたいだ。

自分専用の踏鋤なんて持っていないので用具倉庫へ行ってたまたまいた食満先輩に頼んで学園の備品である踏鋤を借りた。喜八郎は自分の手鋤も持っていたような気がしたから使うか分からないけれどそちらも一応借りてきた。そのふたつを持って学園内を散策する。穴を掘るにはどこがいいのだろう。なるべく土がやわらかいところで、人があまり通らないところがいい。掘っている間に人が通っては困るけれど、どうせ掘るのなら誰か仕掛けに引っかかるところがいい。

そう考えるとなんだか喜八郎の考えていたことが分かるような気がした。今まで喜八郎を探すために闇雲に駆けずり回っていたが自分が穴を掘る気持ちになればある程度彼のいる場所が絞られてくるようなきがした。得るものはあったと言うことだ。

土をザカザカ掘っていると段々腕が痛くなってきた。普段こんな重労働をしない私の腕は早くも悲鳴を上げていた。私の腕がぷにぷにで細っこいのに対して喜八郎の腕は想像と違ってしっかりと筋肉が付いていたことを思い出す。喜八郎はこうやって穴を掘っているから筋肉が付いているのだろうか。それとも穴を掘るために普段からそういう鍛錬を積んでいるのだろうか。

やっと自分の胸あたりまで掘ったところで私の体力の限界だった。ちょっと休憩しようと思ってその穴の底にぺたりとおしりをつけてしゃがみ込む。そうすると丁度私の頭まで穴の中に隠れた。これの倍くらいの深さの穴を掘る喜八郎はやはりすごい。しかもそれを一日に何個も掘れてしまうんだから。

私の掘った穴は喜八郎のもののように深くないけれど、それでもしゃがみ込んで上を見るといつもより空が狭かった。土の匂いがする。私は土の匂いをかぐたびに喜八郎の匂いだなぁと思っていたのだけれど、その匂いが今は私からもするのだろうか。そんなことを考えながら背を土の壁につけて寄りかかった。普段は服が土で汚れるのが嫌だからこんなことしないのだけれど。

そうやって穴にぴったりはまって座っていると段々眠くなってきた。狭いところは落ち着くからだろうか。少し日が傾いて程良く穴の中が日陰になっているからだろうか。昼寝するには丁度いい気候で私は自然と目を閉じた。

「何やってるの」
「あ、喜八郎!」

上から声が降ってきて私はパッと顔を上げた。向こうから来てくれるなんて今日はいい日だ。もしかしたらこうして毎日穴を掘っていれば喜八郎の方から興味を持って私のところへ来てくれるんじゃないかと思ったけれど、こんなこと毎日するのは不可能だ。

「こうしていれば喜八郎のこと分かるかなって」

そう言うと彼は『分からない』というような顔をした。喜八郎は人のこと分かりたいって思ったことあるのだろうか。他人は他人と思っていそうだけれど、私にはやっぱり喜八郎が何を考えているかちゃんと分からない。やっぱりこれって過ごした時間とかじゃなくて、もっと根本的なところで私は喜八郎を理解出来ていないのかもしれない。例えば私は喜八郎のこと名前で呼んでいるけれども、これも私が勝手に始めたことだ。滝が綾部のこと喜八郎って呼んでいて、それがとても親しげで私も喜八郎って呼ぶようにした。けれどもそれに対して彼は何も言わなかった。気にしていないのか、それとも内心嫌だと思っていたのか私には分からなかった。言われないから呼んでもいいかなって勝手に解釈していただけだ。

は僕の考えていることなんて分からなくていいよ」

そう言って喜八郎は頭を振った。他人の考えていることを理解しようだなんておこがましいことだっただろうか。自分が考えていることすべて知られたら気持ち悪いかもしれない。喜八郎を不快にしてしまったかもしれない。喜八郎のこと知りたいっていうのは私の本心だけれど、不快にさせてしまったなら謝らなくては。そう思って口を開きかけた瞬間、喜八郎の声が上にかぶさった。

「だって今考えていること知れたら困るもの」

その声色は私が想像していたものよりもやわらかくて、顔を上げると一瞬だけ喜八郎が微笑む顔が見えた。いつもよりやさしい目をしていて、口元が少し上に上がっている気がした。ふわふわと喜八郎の髪に似た笑顔だった。けれどもそれも見れたのは本当に一瞬のことであっと思った瞬間にはすでにいつもの喜八郎の表情に戻ってしまっていた。

「喜八郎、今のもう一回」
「なに言ってるの?」

そう言う喜八郎の顔はいつもの表情だ。喜八郎がいつもさっきみたいな表情をしていたら喜八郎の考えていることちょっとは分かりやすい気がするんだけどなぁと思う。

「早く出ておいで」

そう言って喜八郎は私の手を取って穴から引きずりだした。いつもなら穴から出てきてとお願いするのは私の方なのに、喜八郎からそう言われるのはなんだか変な感じがした。

汚れてる。洗いに行こう」
「ちょっと待って、この穴を埋め直さないと」
「そんなの用具委員にやらせとけばいいよ」
「でも食満先輩に踏鋤やら手鋤やらも借りたし」
「どうせ埋め直すときに使うからそこら辺に置いておけばいい」

確かに埋め直すときには鋤を使うかもしれないけれどそのまま放置って恩を仇で返すようで気が引けた。渋っていると喜八郎が「早く」と手を引いて急かすので私は転けないようにするのに精一杯だった。やっぱり喜八郎の考えることは分からない。いつもは私が喜八郎についた土を落とそうとしてもそんなのどうでもいいという風な態度を取っているのにこんなことされるとますます喜八郎が分からなくなる。

「分かんないよ」そう小さく呟くと「私もの考えてること分からないからおあいこ」と喜八郎が言った。やっぱりそういうものなのかもしれない。それよりも喜八郎が私のことを考えてくれているということが嬉しかった。だから今は分からないままでもいいかななんて喜八郎に手を引かれながら思う。

ひかる砂利