その日はいつもと同じ帰り道になるはずだったのに。いつもと変わらない日常であったらよかったのに。道の先に見知った顔を見つけてしまったのがいけなかった。彼がある家の前に立っている理由などちょっと考えれば分かったはずなのに。その家に入っていく人影とか、見えていたのに。「やまもと、」と思わず彼の名前を呼んでしまったのは、この一年で一番の失態だったと言えるだろう。たった四文字の音を不用意に口走ってしまっただけであるが、それは私の人生において重大な意味をなすものであったのだ。きっと。

「あれ?じゃん」

極小さな声で呟いたはずだった言葉はなぜだか、もしかしたら誰かの陰謀ではないかと思うほど、しっかりと彼の耳に届いてしまったらしく振り向いた彼の目はしっかりと私の姿を捉えた。しまった、と慌てて口を手で覆ってももう遅い。

「山本、久しぶりだね」

仕方なく当たり障りのない返事を返す。どうして、こんなところで会ってしまったのだろう。とことんついていないと思う。街路灯に照らされた彼は私の知らない制服を着ていて、私が覚えているより背が高くなっているような気がした。元々背が高かったのに、さらに、だ。

「何でこんなとこにいんだ?」
「学校の帰り道だよ。ほら、私の学校すぐそこだから」
「あー、そっか。そういえばそうだな」

そういえばそうだな。その言葉が私の心にずぶりと音を立てて深く突き刺さった気がした。私は彼の沢山の友達の内のひとりにすぎず、通っている高校さえも忘れられている。その程度の存在だった。ほらね、やっぱりそうでしょう?と私は見えない誰かに言った。

「山本こそ、何でこんなところに?」

言わなきゃよかった、と思った。今日私後悔ばかりしてる。余計なことばかり口にしてる。ばかだなぁ。そんな、分かりきったこと聞かなくてもいいのに。うっかり見てしまったことの罪悪感?無意識にたまたまこの場にいたんだよってことをアピールしようとしたのだろうか。ばかだなぁ。

「んー、彼女を送りに」

ほら、ね?にかっと笑って明るく答えた彼はとても幸せそうに、見えた。楽しい高校生活を送っているんだ、と。私だけが取り残されている。一年以上会っていないのだから当たり前だけれど、私と彼はもうすでに違う人生を歩いている。

「彼女できたんだ?かわいい?」
「そりゃもう」

むちゃくちゃかわいいよ、と彼は言った。幸せそうだなぁ。良かったなぁと思っているはずなのに。ズキズキと心臓のあたりが痛んでよく分からない。良かったね、って私はちゃんと笑って言えたかなぁ?

「じゃあ、こんなとこ彼女に見られたら大変じゃない」

もし彼女が帰っていく彼の姿を見送るために窓から外を覗いていたら。彼が自分の家の目の前で知らない女と話しているところをみたら彼女はどう思うだろうか。実際今も彼女がこちらを見ていないという確証はない。

「見られたっていいさ」

それは多分彼にとって深い意味はもたない言葉のはずだ、と私には簡単に予想がついた。それは誤解されて彼女と別れることになってもいい、という意味じゃないのだ。誤解されたってその誤解は簡単に解けるという意味だ。私と彼とは何もやましいことはないのだから。彼は彼女に、ただの中学時代の友達、と笑って言えばいい、と考えているのだ。 ああ、もしも前者の意味だったなら。 だったなら私はどうするというの?ありえない

「そろそろ帰ろうぜ」

と彼は昔のように言った。何も変わらなかったかのように。中学時代と同じように。だけど実際は彼は一年前とは違う制服を着て、私もまた昔とは違う制服に身を包んでいる。時間が巻き戻ればいいのになぁ、と思った。本当はあなたが差し出したその手を取りたかったよ

「そういうのは、本当に好きな子にだけにしなきゃだめだよ」

ねぇツナ、やっぱり彼は私なんか必要じゃなかったよ。彼はこんなにも幸せじゃないか