、さん」

柔らかい風が髪を撫でる。いつの間にか春はゆるやかに、ひっそりと、しかし確実にやってきていたのだと気付く。春は好き。暖かな風、新芽がめぶき、色とりどりの花が景色を彩るのは見ていて嬉しくなる。そして新しく何かが始まるという予感と一抹の不安。心地良い緊張だ。春はゆっくりとやさしく私を包み込むように。私のそばにいる。その春風に乗せたように、声が聞こえた。振り向く。私を呼ぶのは誰?春の声。

「…沢田、くん?」
「やっぱりさんだ。久しぶり」

そこにはひとりの青年が立っていた。黒のスーツがおそろしく似合っている人。どこかで見覚えのある顔。やわらかな髪が揺れて。それがふと幼い顔と重なった。

「ほんと、久しぶり。一瞬沢田くんだと分からなかったよ」
「まぁ、5年ぶりだし、ね」
「よく私が分かったね」
「オレもすぐには分からなかったよ?さんキレイになってたし」

そんなお世辞、と思った。そしてそんなお世辞を言えるほど私たちは成長したのだと。私が知ってる彼はこんな風に平然とこんなこと言わなかっただろう。私たちが同じ教室で同じ時間を過ごしていたのはついこの間のように思えるのに、その思い出はひどく懐かしい匂いがするのだ。あの時から私たちはこんなにも隔たっている。彼は変わった。私も変わっている。春だから、だろうか?春はまるで自分が新しくなったように思えるから。もしかしたら私はあの時から何も変わっていないのかもしれない。変わっているのかもしれない。それにしても変わってないな。彼がそう言ったので私はドキっとした。心が読まれたのかと思った。

「それにしても変わってないな、この町は」
「そうだね、この道も、店もあまり変わってない、ね」
さんはずっとこの町に?」
「ううん、大学に行ってるからひとり暮らしだよ。私も、帰ってくるのは久しぶりだ」
「オレも。ずっと、忘れていたよ」

ずっとこの町で暮らしていたのにね。そうだ、かつてこの町は私の世界のすべてであったのに。いつの間に、こんなにも遠くなってしまったのだろう。世界の中心であったのに。

「沢田くんは今何してるの?システムエンジニア?」
「え、なんでシステムエンジニア?」
「なんとなく…」
「なんとなくでオレ、システムエンジニアになっちゃうんだ?」

残念だけどはずれ。オレ、システムエンジニアじゃないよ。そう言って彼は笑った。
ふと初恋のことを思い出した。なぜだろう。私は目立つ方ではなかったあの男の子がすきだったなぁと思ったのだ。友達はフェンスの向こうに見える男の子やクラスで異彩を放つ男の子に惹かれていった中で私は彼を見ていた。惹かれていた。何をやってもうまく行かない奴だと笑われていたけれども。時々、柔らかく微笑む彼が好きだった。時々、彼が親しい人に向ける強い意志を持った瞳が好きだった。その横顔をずっと見ていたいと思ったものだ。できれば、その笑顔もその凛々しい横顔も私に向けてほしいと。彼は世界一かっこいい男の子だった。

「なんか、また同窓会やりたいな。沢田くん、前回来れなかったよね」
「そう。皆元気だった?」
「うん。皆、変わらない」
「そうだな、次はオレも行こうかな」

初恋のあの男の子は今どこで何をしているのだろうか。