今ほど、自分は無力だと痛感したことはない。何も出来ない訳じゃない、何もしない訳じゃない。けれどもそれが何の効果も結果も意味も、成さないのであれば何もしなかったことと同じではないか、と思ってしまうのだ。これは己の無力さを知れということなのだろうか?だとしたらそれは十分に効力を発しているということになる。私は役立たずだ。でも、そんなことずっと昔から知っていた。

「ボス、コーヒーです」

そう言ってごとりとデスクにカップを置く。淵からは煙が立ち上り、茶色い水面は波を立てる。ありがとう。といつもなら笑顔とともにそう返事が返ってくるのに。今日はそれがない。彼は机上の紙から目を離さない。私がカップを置いたことすら気付いてないのだ。それほど今の彼は集中している。多分、この私というひとりの人間の存在さえも彼の意識の中にはないのだ。それもこの数時間の話ではなくて、今朝から、昨夜から、昨日の朝から、ずっと。彼は机に座り、書類を読んでいる。なぜか彼の読むべき書類はいつもどこからか現れて、尽きることを知らないのだ。食事も睡眠もとらず、ずっと。

「少々お休みになられた方が」

控えめにそう声を掛けてみるが私の声は届かない。もう証明済みだ。耳には届くはずなのに心までは届かない。何度もそう言ってみるのに、顔を上げる気配すらない。泣きそうに、なる。このままだと彼は少なからずいつか壊れてしまうのに。遠くに行ってしまうのに。私はそれを止める術を持たないのだ。リボーンさんがいてくれたら、と思う。獄寺さんでも山本さんでも笹川さんでも六道さんでも雲雀さんでもランボさんでもいい。彼らだったらボスをこちら側に引き戻してくれるのに。皆いない。昨日からだ。逆に言えば彼らがいないからボスはこうなってしまったのかもしれない。私など、今何が起きているかなど知るよしもないのだが、彼ら全員が出払ってしまうなんて余程のことがあったに違いないと思った。ボンゴレの危機、とか。だから彼はそのことに心を砕いているのかもしれなかった。何も考えずにすむように。

私が昼に置いた簡単なサンドウィッチももうカピカピに乾いてしまっている。私はそれをさげた。彼が紙に何かを書きつける音がする。もう二度と食べられることのないサンドウィッチ。こんなの間違っている、と思った。でもそれを正してくれる人は皆いない。だったら、今最も近くにいる私がそれをすべきではないか。ボス。私は彼の正面に回って呼びかける。彼の瞳はひどく澄んでいた。同時に何も映していないように思えた。もしくは明日。まだやってはこない無色の明日だ。

「ボス、聞いていますか?」

何度呼びかけても返ってこない。最後はほぼ怒鳴るように「ボスいい加減にしてください!」と叫んだ。でも、それでも何も返ってこなかった。まるで私が幽霊になってしまったみたいだと思った。もしくは彼が。まるで私がこの世に働きかけることの出来ることなど何もないかのように。何で届かない?届くはずなのに。一体あなたはどこまで遠くに行ってしまったのです?それとも、本当に向こうに連れて行かれてしまったのですか?だったら返してよ。私の目の前にいるこの男を返してください。私は何としてでもこの人を連れ戻す覚悟です。私の声が小さいと言うのならもっと大きな声を出すから。この声を捧げてもいいから。 あなたはこんな役立たずの私を必要としてくれたから。だから、私はあなたのためだけに生きていこうとおもうのです。
すみません。私は小さな声で手を合わせて謝った。その手を振り上げ―――パシーンと乾いた音が部屋に鳴り響いた。おねがいだよ、

「痛っ!何すんだよ、リボー、ん…?」
「リボーンさんは今いません。それより少し休憩なさった方がよろしいのでは?」
「あ、うん」
「何か軽く食べれるものをお持ちしますね」
「うん…」

ぼけっとした顔で、目で私を追うのが分かった。ファミリーのことを心配するのも分かります。ボンゴレの明日を憂うのも分かります。ですが、もう少しご自身のことも気にかけていただかないと困ります。あなたあってこそのボンゴレなのですから。 昨日からあなたは食事も睡眠もとられなかったのですよ?私が何度声を掛けても一向に反応なさらなくて。コーヒーだって一度も口をつけずに。私は冷めてしまったそれを何度もいれなおして、 一体何を考えてるんですか。30時間です。30時間もの間あなたは私を無視していたんですよ?表情、ひとつ変えないで。というより無表情のまま30時間。もしかしたらギネス更新したんじゃないですか?おめでとうございます。

そこまで私が一気に言うとかれは穏やかな表情で と言った。は?何お礼言ってるんですか。私嫌味言ってるんですよ。 ばかじゃないんですか?私ボスにすごい失礼なこと言ってるんですよ?さっきはあろうことかボスに平手打ちをかましました。少しは怒ったらどうです?そんなだから他のファミリーになめられるんですよ

「ごめんな。オレ、をひとりにして。同じ部屋にいたのに、一番近くにいたのに、のことひとりにしてごめん」

ぽたぽたと目から水が溢れて落ちた。こうして人前で泣くのなんて一体何年ぶりだろう。こんないい大人が泣くなんて。

、」

それでも彼が今までの分を補うかのようにやさしい声色で私を呼ぶので。

「オレ、まだダメダメだ。誰か近くにオレのこと心配してくれる人がいないとひとりで立つことすらできない」

ね  違うよ、きみが私に必要なんだよ



 

title by OperaAlice